第5回講演会 子どもが育つみちすじ⑥
それは、信頼感を与えてあげてこの子を愛して守ってあげたいと思っていたら丁度いい加減になります。どんなに頑張ったって80点か70点位しか取れません、どんなお母さんも。
だって赤ちゃんとお母さん、別人ですから、100%子どもの欲求が分かる訳ないです。一生懸命側にいても泣きやまない時、こっちが泣きたくなりますね。 「何か言ってよ、何がしてほしいのか、してあげるから」・・・言いたくなる。でも、何をしてもね、おむつを替えてもおっぱいをあげてもお白湯をあげても何 をしても泣きやまない時、子どもはその間ずーっと怒ってます。つまり、自分の欲求にたどりついてもらえないから。
で、最後に眠かった。もうやっと、寝入った時の幸せな顔を見て、「あー眠かったの、ごめんごめん」って。そういうことしょっちゅうありますね。それはこの 子になんとかしてあげたいと思うお母さんや先生が10点ほど引かれてしまうけど、その引かれ方とっても意味がある訳です。
最初からどうでもいいですわーって言ったらもっと悪くなります。やっぱりね、なんとかこの子が気持ちよくなるようにしてあげたい、という素朴なごくごく健康で平凡な考え方で十分です。
そして、一生懸命してみて子どもが待っている時間があって、でも待てば必ずくる、という経験を100回も1000回もする。
そうすると、赤ちゃんはここで希望という人格的活力を身につけると、私は特によく使うんですが、赤ん坊の時にはね、人間の人格的活力として自分の人格を組織づける強い力のひとつが希望ということ、希望のもてる人というのはね基本的信頼感です。
つまり、この世に失敗やら間違いやらいっぱいあって、暗―い夕暮れがあるでしょう。
仕事に失敗するか、友だちとあるいは恋人とうまくいかない、夫婦がうまくいかない、親子がうまくいかない、あーあって暗い夕暮れを迎える時に、でも明日ま た頑張ってみよう何かいいことがあるかもしれない、かすかな明かりを見いだす人、これは理性で思うよりも何より自分がそういうタイプの人は信頼感、人に対 する自分に対する信頼感がどこかで無意識のうちに火種に火をつけるんです。
そして、朝、朝日が昇ってなんとか生きてみようって思う訳です。これは言葉で説得より何より、その人の人格の深いところにある力、活力なんですね。赤ちゃんは希望でしょう。
つまりもう100回も1000回も、一日に何回も何回も、一年経ったら100回も1000回もありますが、泣いたら来てくれる泣いたら来てくれる、あのつ らいお腹がすいて苦しいとき助けに来てくれたという経験を何回も何回も経験すると、人生でうまくいかない時も、もしかしたらうまくいく日が来るかもしれな い。未来について誰も何の保障もないんですよ。
希望というのはそういう時に生まれる力ですから、反対は絶望ですけれど、絶望も我々は感じます。もう絶対駄目だと思う、誰も明日のことは分からないにも関わらずネガティブに思うのを、絶望といいます。そして、その中にかすかでもいい光を見いだす。
だから子どもの時基本的信頼感と希望という力は、これは大人になって、どうしてこの人はこんなに不幸の問屋さんみたいにね苦しんでいて、私の前に来る患者さんなんかもそうですが、
もう本当になんとまあ次から次へと苦しい試練の中に、と思うような方でも、ふっとね、でも人生何かあるかもしれません。なんとか頑張ってやってみたいと思いますっておしゃる方があります。
これは、私が説得したりなんかよりも、自分の内側から、さっきのディベロプメントですね。
何か種のようなものが自分の中で立ち上がる訳ですね。
そして、打ちひしがれる中で何とか生きてみようと思う。それは赤ん坊の時に、これだけじゃないんですが、ここで一番獲得できるといってるんですが、何度も 何度も基本的な本当に生きるか死ぬかというぐらいベイシックなその経験の中で、子どもは人格的な活力として、この希望という力を獲得するんだろうと考えま す。
反対があのあれですね、虐待を受ける子どもたち、0歳の虐待、乳児の虐待というのがありますね。これぐらい悲しいことはありません。一番信頼を置くべき親 に愛されないどころか、本当に恐怖の経験をさせられるとしますと、子どもはこの世界に何の光も見いだせなくなります。人というものを信頼できなくなりま す。不信に黒々と心を塗りつぶされますね、で、そうなりますとね、生きていく時に人を愛したり信頼することが大変難しくなります。
基本的信頼感が危うい訳です。しかもね、人に対する信頼感が危ういよりももっと重要なのは、自分に対する信頼感、赤ちゃんでね他人に愛されることで、他人を愛する力ができるっていうのはよく言われます。
愛された子どもが人を愛することができる、そうですね。皆さんも人に愛されて、本当にいい人間関係をもつことによって、自分の中にエネルギーがしっかりと湧いてくる。
いじめる子、犯罪を犯した子が沢山いる訳ですが、この子たちの中には、そういう心の中に基本的信頼感を培うことを失敗している子どもたちがいます。その子 に出会うと本当に人に対する愛のかけらも育てられない悲しみがあります。それでも、その子たちが本当にこの世に、やさしく本当の思いやりのある人に出会う と、心が少し変わります。そして「あー、人は信頼できるかもしれない」と思って、少しずつ人を信頼することを覚えていきます。
ところが、治療で一番手間どうのは、人を信頼させることよりも、自分を信頼する力、こちらの方が治療がむずかしいです。
つまりね、人に愛されているあの赤ちゃんたち、みなさんが抱っこして、もう落とさないようにって思って一生懸命抱っこしますね、お父さんもそうですね、お 父さんも同じですよ、お母さんもそうです。お風呂に入れて、最初は危なげな手つきですね、耳にはじゃぶじゃぶ水が入りそうで、お湯が入りそうで、あーこれ は危ないなって思ってたりします。ごつごつした手つきでね。
でも、いつの間にかお父さんもやさしい、やさしい手つきで、子どもを傷つけないように傷つけないようにって、こう愛撫するようにお風呂に入れたり、おむつ を替えたりなさいますね。それはもう子どもへの思いが、自然に子どもにやさしくいとおしさを増していく、素敵な母なる心、同じ心が育つわけですが、そうい う風に育てられた子どもたちは、何を感ずるか、人を信頼することと、それよりもっと大きいこと。“私は私に値打ちがあると思う”だってこんなに大事にされ …