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4.子育てひろば21活動

子育て広場21講演会:「改定保育所保育指針について」

子育て広場21講演会を認定こども園ベアーズで開催しました。

演 題  「改定保育所保育指針について」
講 師   鶴見大学短期大学部教授   天野 珠路先生
日 時   平成30年5月29日(火曜日)
午後6時30分~8時30分

場 所  認定こども園ベアーズ
主 催  認定こども園ベアーズ子育てひろば21委員会

 

米子地区の職員、保護者、近隣の保育関係者を対象に(参加者約100名)、平成30年4月から施行されている「改訂保育所保育指針」についての研修をおこないました。

元厚生労働省保育指導専門官の天野珠路先生に話していただくことで、変わった部分、変わらない考え方などがよりわかりやすくなりました。

幼児教育をおこなう施設としての保育園であること、乳児から幼児まで大切にしたい視点、そしてそれが小学校、中学校、高校とつながっていることを学びました。

「健康」、「人間関係」「環境」「言葉」「表現」の5領域についての詳しい解説後、子どもがそれぞれ自発的に関わることができる環境の大切さを、実際の保育現場の写真をたくさん使って説明していただき、明日からの保育、子育てにつながる有意義な研修でした。

 

 

天野珠路先生の研修は、関東地区の職員向けにもおこないました。

4月7日(土)15:30~17:30

AP市ヶ谷  参加者128名

4月14日(土)15:30~17:30

AP横浜駅西口  参加者99名、

6月30日(土)15:30~17:30

ホテルKSP   参加者92名…

子育て広場21講演会

講師:鳥取大学地域学部教授 塩野谷斉先生

演題:絵本の見方、読み方、選び方

日時:H29年5月27日(土) 15時半~17時半
場所:認定こども園ベアーズ遊戯室

H29年5月27日、認定こども園ベアーズ保護者、社会福祉法人尚徳福祉会職員、近隣の保育園、幼稚園、認定こども園の職員約100名が参加して、子育て広場21講演会が開催されました。
講師には鳥取大学地域学部教授 塩野谷斉先生をおむかえして、「絵本の見方、読み方、選び方」の題で話していただきました。

絵本の絵について、文章について、文章のリズムについて、絵本をどう選びどう読むのか、具体例を示して頂きながら話していただきました。今まで意識してこなかった観点をいくつか学び、「目から鱗」となりました。

平成28年度子育てひろば21講演会(平成28年11月12日開催)

平成28年度子育てひろば21講演会

日時:平成28年11月12日  15時30分~17時30分

場所:認定こども園ベアーズ

講師:鳥取大学地域教育学部教授

鳥取大学附属幼稚園長

塩野谷 斉先生

演題:子どもの発達と環境-乳幼児の遊びの大切さ-

職員の感想文

>>平成28年度子育てひろば21講演会感想文

平成27年度子育てひろば21講演会(平成27年9月12日開催)

平成27年度子育てひろば21講演会

日時:平成27年9月12日 15時~17時

場所:認定こども園ベアーズ

講師:川村学園女子大学准教授 箕輪潤子先生

タイトル:保育における遊びと学び

 

講師プロフィール

津田塾大学卒業

東京大学大学院教育学研究科 博士課程 単位取得満期退学

川村学園女子大学 教育学部 幼児教育学科 准教授

専門:保育学・幼児教育学

研究内容:砂場での遊び、保育の質、片付け場面 など

 

>>当日資料 150912(PDF)

>>箕輪潤子先生講演会感想文(PDF)

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第9回子育てひろば21委員会講演会 演題 「子どもの豊かな個性と知性をのばすためには」

平成19年4月14日(土)

演題 「子どもの豊かな個性と知性をのばすためには」

東京女子医科大学乳児行動発達学講座特任教授
日本赤ちゃん学会 理事長 小西 行郎先生


今日は初めに子どもの発見から話させていただきます。

赤ちゃん研究をやっているとご紹介ありましたけれども、その前に“子ども”っていうものの意識で、子どもっていつ頃から“こども”と認知されましたかという話から入っていきたいと思います。

実は子どもの発見とは17世紀から18世紀のヨーロッパで、大人とは違う存在っていう意味での“こども”っていうのが考えられるようになってきたわけです。それはなぜかと言うと、それまでは1歳でも2歳でも3歳でも生きている以上働かされたわけですね。大人の世界で一緒に働いていた状況で子どもがいたわけです。そうするといっぱい死んでたわけですけれども、どうやらうまくやれば助かるなという話になったわけです。日本でも実はちっちゃい子ども達っていうのは、江戸時代では“神の子”と言われていましたから、7歳までの子どもが死んだ場合にはお墓の中に入れていません。7歳までの子どもが死んだときには、家の庭とか土間とかに埋められていて、これは人間の死とは考えなかったわけです。だから神の子と考えられていたわけです。だから死ぬことは全然怖くなかったわけです。ある意味でいえば、死ぬのは当然だと言われていたわけです。
私は小児科の医者なんですけど、今ほとんど小児科の医者をやめています。というのは、もうしんどくなったっていうのが1つと、昔は子どもは死ぬもんだということがあります。私は医者になったのは30年前で、30年前の福井の現状は福井日赤にいましたけれども、患者さんが入院された時に必ず我々がお母さん方に何を言うかというと、「死ぬかもしんないよ」子どもはいつ死んでもおかしくないんだから、たとえ軽い肺炎だろうと風邪だろうと入院するときにはお母さん方に「いつ死んでもおかしくないんだから、覚悟してね」って言う、そうするとお母さん方は「そうですか」って言うかんじでした。実は福井日赤にいる医者の2年目から3年目の間の2年間勤めましたけれども、死亡診断書をその時に30枚書いたんです。1日に2人死んだとか、3人死んだみたいなところがあって、今なら全部訴えられたかなっていう状況でしたけれども、その頃福井県では、福井日赤で死ぬんだったら諦めなければならないっていう神様のような先生がいて、トミザワテイゾウっていいますけれどもこの先生に診ていただいて、死んでも文句は言えないと、逆に言えば死ぬ前までにはトミザワ先生に1回診てもらったらいいという…そういう感覚は今のお母さんにはないでしょう。今のお母さん方は子どもが死ぬっていうことは絶対に信じられない話で、受け入れられない話になってきた。でもそれをよく考えたときに、何がどうしてそうなったかということをすこし考えなくてはならないこともあるかも知れません。そこから今日は入ります。

実は子どもっていうものは、大人と違うっていう時に、西洋では何が出来たかというと学校が出来たんですね。学校っていうのは何の為につくったかというと、大人の社会から子どもを切り離す為にあったわけです。ようするに働かせている子ども達を、働かなくてもいい、お勉強さえすればいいんだよという面目なんですが、本当は大人の社会から切り離すものとして学校があったわけです。ですから学校が出来てしまってからの状態で、なおかつ学校が完備された状態で、当然何が起こったかというと、地域の育児力が落ちてきた。これはある意味当たり前なわけです。いま盛んに政府とか行政の方で、地域の教育力、育児力が落ちてきたと言う。これをどうしたらいいですか?答えは1つしかありません。学校をやめればいいのです。学校をつぶせばいいのです。子ども達を家に帰せばいいのです。それしか本来あり得ないのです。だけども我々はそれを選ばなかったわけです。なぜかっていうと、勉強しなくてはいけない、知識を得なくてはいけない。技術を得る為に学校を造った以上、地域の育児力は落ちるものとして考えなければいけなかったのです。実はこういう話はきちんと考えていかなきゃいけない。いろんな脳科学の先生方に、理想的な育児は…理想的な子どもの環境は…っていうと“自然だ”と言われる。自然の中で子ども達を遊ばすことだと言われる、或いはどろんこ、裸足で歩いたら子ども達の発達は良い、或いは学校の教育は良いと言われるけれども、それは違うのではないか…   そういうことを我々は選んだのではないか。靴を履いて、服を着て、学校でお勉強するっていうことを目標にやっていながら、なおかつ裸足で山ん中を走った方が子ども達に良いっていうのは、勝手に脳科学者が言うだけの話で、現実の場面では困る。我々はある意味では滅びの道を選んだのですよ。ようするに便利な話をしといて、子ども達は歩かなければいけないと言ったところで、おとっつぁんが車に乗って走っているので、しょうがないだろうと…そういうふうな時代を子どもの発見からずーっと考えていると、暗くなるわね………将来はないだろうって話になるわけですけれども………いろんな先生方が言われることを、少しそういう目で見直してみたら、違うことが見えて来るかもしれません。

我々自身がどうするかということを問われているにもかかわらず、それを子どもの問題として置き換えていることもあり得ます。学校を造って18世紀、19世紀は成功したけれども、21世紀は学校を造ったことの弊がいが出てきたのは、何かというと、不登校であったり、いじめであったりしたかも知れない。学校を造らなかったら、いじめは無かったかも知れない。不登校ってそもそも学校がなければ、不登校はないわけですから、学校を造ったから不登校が出来た以上、不登校の防止策はどうするかっていうのは、学校を無くせばいいんですよ、でも、それじゃ困るでしょ。どっちを選びますか?っていう問題だって考えなくてはいけない可能性があるのだろう、そこから考えると全く違うことありますよねって話になります。

20世紀を支えた教育なり、子育ての理論は何だったかというと、進化論、もう1つ怖いのは養成学でした。ようするに良い子どもを生んで、良い教育をすれば良い大人が出来るだろうっていうふうに20世紀は頑張ってやったわけですよ。だから20世紀になって子どもの問題がいろいろ出てきた時に、情報化だ、一人っ子だ、どうのこうのって、社会が変わったから子どもの問題が出来たという発想ではなくて、子どもの発達っていうのは右肩上がりだと考えたのは間違いかも知れない。ようするに、あなた方だって子どもが出来れば何がいいかって、…子ども達には可能性があるからいいよねって言うでしょ。可能性ありません。だって1個しかなれないのだから…現実そうなんですよ。だからそこの夢を語ってもしかたがないかも知れない。最初から変なこと言いますけどね…将来この子は天才になる……ならへんって、あんたの子だって(笑)。だからじっと旦那の顔を見て諦めなしゃーないだろ、選んだ相手が悪けりゃ、種が悪けりゃ、しゃーないよ。(笑)でも、実は良いか、悪いかって考えなければならないのは、好きで選んだ旦那なのだから、いい旦那なんでしょ。じゃ旦那並みになれば幸せでしょって発想になぜならないかっていうことですよ。女の人って変よね。結婚するまでは旦那が好きで好きで結婚するのでしょ。で、結婚するととたんに、うちの旦那は…てけなすでしょ。旦那もそうだよね。うちの嫁はバカだねってね。バカって選んだのはあんただろ。もっとバカなのはあんただろって話でね……わけの分からない夢で子ども達を追いやるのであれば、実現可能な夢をなぜ考えないか、実現可能な夢を考える事はなぜ問題なのかという事です。私の子どもが美男子にできるわけないじゃないですか。(笑)そこ笑うところじゃないですよ…すこし礼儀を考えて…(笑)いやそんなことありませんとかね、いや先生なかなかとか…誰も言わないからね(笑)性格がだんだん悪くなってきているのですけどね、実は大事なことなのです。
お父さん方お母さん方そうでしょ。子どもが出てきた時に誰の顔に似たかって言うでしょ。お父さん似だとかお母さん似だとか、じゃ、頭だって一緒だよ。運動能力だってどっちかに似るよ。出発点がそこだと思うと気が楽なんです。だからうちの子どもが頭がいいとかどうのこうの言ったわけじゃないですよ。うちの子どもだってかわいそうなのだから。だって娘がいつも言うんだもん。「なんで私だけお父さんに似たの?」(笑)……笑うところ違うって(笑)でも娘がかわいくて、娘の話を聞くと涙が出るんだからね。だから子どもはニートになってますからね。働かずに…家の中でごろごろごろごろしてますからね。

だからすこーし考えてみた時に、何が本当に大事で、何が実現可能かなってことを常に考える必要があるだろう。すると何が見えてくるかっていうと今の教育の中で、お母さん方よく子どもたちを水泳教室とかに出すでしょ。あれは意味がありませんから。あんたの子だから。実はなんでこんな話をするかって言うと、うちのお袋はめちゃくちゃ諦めのいい人で、私ね、ちっちゃい時に全部やったんです。私ペンシルバニア幼稚園ってわけのわからない幼稚園だったんですよ。やっとこの頃思い出すんです。俺、英語の教育受けたって…トレインとかね。あれね年取ってくると思い出すんだよね。わかんないけど、そういえば英語だったよな……トイとか、遠いだか近いだかわかんないけど、おもちゃだったな……って、昭和22年に私生まれていますけど、昭和26年くらいにすでに英語教育をやっていたわけです。結果、これですよ。英語大嫌いですからね。英語分かりません。適当にごまかせますよ、ジェスチャーでも何でもいいから。でもオランダに1年間留学していましたけどね。あそこ英語しゃべらなくていいのですよ。もちろんオランダ語しゃべれませんよ。オランダ人英語へたなんですよ。ですので、辞書を引きながら会話するとね楽しいよね。お前もわかんねーかってね。以外としゃべれるんですよ。
実はお袋は他に何をしたかっていうとピアノでしょ、絵でしょ、そろばんでしょ、私ね、悲惨だったのは小学校時代、跳び箱と鉄棒とマットの家庭教師ついたんですよ。すごいでしょ。やっとこの頃わかったんです。俺はADHDだなって…後で話ますけど、ADHDの子って運動能力悪いんです。不器用なんです。自閉症の子もそうなんです。学習障がいとかLDとか軽度発達障がいていうでしょ、あれね一番最初に出てくるのは運動障がいなんです。あれ皆さんコミュニケーション障がいだと思っているでしょ。違いますよ。私はね逆上がりがずっと出来なかったのです。だからトラウマなんですよ。ところが野球が出来たんですよ。運動神経は鈍くないにもかかわらず、跳び箱が跳べなくてマットが回れなくて鉄棒が出来なかったので、家庭教師が小学校3年生からついたんです。6年まで。お袋は84歳なので死ぬ前に聞いたんですよね。「何でそんなにいろいろやった?」って言ったら、ひとこと「試したかった」。ついでに「どうだった?」って言ったら「全部ダメだった」って…俺は全部ダメな子かなって…あなた方は全部ダメだった子の講演を聴いているわけですよ。(笑) 先生、優しい先生だから第一人者だって言っていただきますけど、赤ちゃん学会作ったのは私だから、一人しか居なかったんだもん。その時には…一人しか居なかったら楽よ。そうすると、言ったことは皆さん信用するからね。半分位うそかも分かんない…。うちのお袋は何をやったかというと、いろいろ調べてみてダメならすぐ止めたんです。半年ぐらいで脈がないと思ったら全部止めてましたから。それほどトラウマにはならなかった。だけど未だにピアノも弾けませんしね、ギターもフルートもやりましたけど1年しかもたないですしね。絵も描いたし何やっても全部だめなんだもん。全部だめだと開き直るから…全部失敗してるんです。人生ね、いろいろ。試験は3勝9敗なんです。小学校から付属学校受けるとかずっとやって通ったの3回しかないですよ。高等学校で1回と1年浪人して受かったのが1回と2年浪人して受かったのが1回、試験は落ちるものなんです僕は…試験が1回で通ると変だな~って思うわけです。1回で通ったのは車の免許だけ…若干ねこれもカンニングして取ったところがある(笑)もう1つは医師の国家試験。あれは情報収集したから…京大の情報収集係だったんです僕は…どういう問題が出て答えはって…それで勉強したんです。医学の勉強はしてないんです。勉強しないってすごいいいですよ。何でもすること新鮮なんだから…初めて注射した時に血が赤いってよく分かったからね。それでも30年たったら一人前の顔して医者してるんですからね。勉強しないからこそ、かえって自由な発想が出来たこともあります。

ロボットの先生と話しをして、たぶん他の小児科の医者だと飛び付かなかったのを、ロボットの先生と話しをして飛び付いたのは私なんです。なぜかというと既成概念が無かったから、おもろいわなって話になった。何を研究しているかと言うと、ロボットで食欲と性欲どちらが強いかっていうのを調べているんです。お腹のすいたロボットとお腹のいっぱいのロボットを置いといて、向こうに雄と雌のロボットと充電器を置いとくわけです。そうして2つのロボットがどっちに行くかを調べるわけです。するとお腹がすいてると充電器の方に行って充電するわけです。お腹がいっぱいのやつは、男は女、女のロボットは男のロボットの方へ行くっていう…分かります?ロボットでやっている…おもしろいと思いません?もう1つは実はお腹の赤ちゃんはどうして動くかって分かっていないでしょ。お腹にいる赤ちゃんはいつから動くって、お母さん方知ってますか。経験あるから知ってるよね。よっぽど鈍いと6ヶ月。普通だと4、5ヶ月で動いてて感じるでしょ。でも動くのは2ヶ月ですからね。その時、脳みそはあると思います?だいたい2ヶ月って何センチかわかります?数ミリですよ。数ミリの赤ちゃんが動き始める。この時、脳があると思います?脳はノーですよ。ないわけです。人間は考えて手足を動かしていると思っているでしょ。受精してすぐの赤ちゃんは脳がなくても動くんですからね。面白いと思いません?あんまり面白くないみたいね。それを聞いたとき興奮して一晩寝れなかったんだから、それで何をしようかって言ったら、ロボットを使ってシュミレーションしようかって話で……出来るんですよ。そうすると胎動の意味が分かってくるんです。我々は何が分かっているかっていると、どうやら胎動するから頭が作られるのではないか。手足を動かすのが先にあって、脳が出来るのじゃないかってことを考えると面白いでしょ。嘘かも知れませんよ。そんな話をしていると、頭は柔軟な方がいいし、その時に本当に勉強しなきゃいけないかというのは考えなくちゃいけない。いろんな事を考えていくと、実は子ども達の発達なり教育なりっていうのは、簡単にできるものでもないし、こうすれば良くなるものでは、たぶんないのではないか。大変なものは何かっていうと、子どもが自分でやっているという事です。間違いなく夢が全部叶えられるわけではなくて、子どもには限界があるわけだし、発達にも必ず限界があるって事をちゃんと分かっておかないといけないと言う事です。ときには鳶が鷹を産むこともあるのでしょうけれども、ほとんどが鳶の子は鳶なんですよ。鳶は鷹と比べてどちらがいいかなんて分かんないわけだし、鳶は鳶でも立派な鳶もいれば、変な鳶もいるかも知れない。鷹だってろくでもない鷹もいるかも分からない。自分の子どもの発達をどう受け入れていくかを考えなくてはいけないということです。

実は20世紀の大きな間違いは夢を描き過ぎた事なのかも知れない。ようするに教育すれば教育するだけ良くなるって考えたのが、実は大きな間違いで、20世紀の末に我々は子ども達に見たのが悲惨な状況だったのかも知れないっていう考え方です。そうすると、実現可能な夢をどういうふうに求めていくのかになりはしないかなっていう気がします。

20世紀というのは、女性と子どもの世紀と言われて、子ども研究がもっとも伸びた時代であります。20世紀の子ども研究は、より科学的なものを追求しようと、統計学によって数値化するとか、科学的な方法の追求がずっと行われてきた。だけれども非常に面白かったのは科学的なものに対して非科学的なものも、20世紀には生まれてきた。それで今何が起こっているかというと育児書の中で、非科学的なことを書いた本が売れたりする一方で、赤ちゃん学会が出した『赤ちゃん学を知ってますか』というかなり難しい赤ちゃんの科学的な研究を書いてる本が11万部位売れてるという事で、二分化してます。科学っていうものに対しての信頼性みたいなものがあり、でも科学的でないものに対する夢はやっぱりもってると思うんです。人間っていうのは。なんでもかんでも科学で分かるっていう時に、そんなわけないだろうって皆さん思っているから、非科学的なところに入っていく。それはそれでかまわないけれど、でも皆さんが育児なり保育なり教育なりで伝えていこうとすると、一般化しないといけないし、それには、当然科学性のあるものでないと広められないでしょ、ていうふうになって来ると思うんです。だけども、それが一般に受け入れられているかどうかっていうのは、別の話になりますけれども。

実は今、非常に困っているのが、児童精神科と小児神経の問題なんです。子どもの軽度発達障がい。発達障がいって言った時に、子どもの心の問題っていうふうに考えられている人がいるとすれば、それはもうすぐに止めていただきたい。心の問題ではありません。あれは、脳障がいの問題です。どこが違うか、障がいって問題で捉える時と、心って問題って捉える時には全く違うって話になるからです。心の問題になってくると、接し方の問題になってくるし、場合によっては親の育て方が悪いって言う人がいっぱいいるわけです。それは何の流れをくんでいるかというと、お腹に居るときに…ってもってくるわけですけども、少なくとも振り返りで、子どもたちの問題が出てきたときに、お母さん方を問い詰めて「育児はどうでしたか?」お母さん方は「そう言えば…」って、「それが原因ですよ。」って言い方は少なくとも科学的ではない。これをやっていても解決はしない。なぜなら終わったことを振り返っても解決しないからです。基本的にね。そうじゃなくて、発達障がいの全てが脳障がいだという話になってきますと、それをどう受け入れるかって話になります。お母さん方、お父さん方を責めることにはならない。現実的に発達障がいのほとんどが脳障がいですから、必ず脳の障がいがあるわけですから、脳障がいだということを受け入れていかなければいけない。なおかつ大事なことは、脳障がいであるってことは、普通の子はならないってことです。だから少々キレたり、問題のある子と、いわゆる発達障がいとは、全く違うものだという観点を持たなければいけないということです。少々キレっぽいやつは、私のようにキレっぽい人間は、これでも一応正常なわけです。そこの線引きをきちんとしないといけないという早期診断はあります。けれども診断をすれば治るという発想にはなりません。診断をすることが、なぜ許されるかというと、治療があって初めて内定します。治療がない段階で診断をしても意味がない。ってことは、診断をする医者は当然治療も常に念頭において指導ができない限り、言っちゃいかんというふうになります。そうすると、私は診断をしないっていうか、しても意味ないから…と思っていますし、ADHDかLDか区別したって、あんまり関係ないので…。今のお母さん方一番困るのは、あなたの子どもさんはADHDですよって言ったら、すぐ何とか先生の本を読んできて勉強してADHDをわかったような気持ちになりますけど…分かりません。全部子どもは違いますから。子どもたちが違う以上診断をしても意味がない。と私は思います。なんとなくね、診断すると分かったような気になるんだみんなね。私はADHDの専門医だみたいに言っているわけですけど、治療まで出来ないと意味がないんだろうなって気もしますけど、いずれにせよ、その子どもたちをきちんと診ることがまず第一で、診断をするんであればそういったように努力を考えてしなければいけませんよ。ということになります。

子ども感の変遷に戻りますけれども、実はこの20世紀に行われたことは何かっていうと、もう一つ大きな問題は子どもたちに対する考え方が随分変わってきましたよということです。考え直さなければいけないだろうなと思うのは、今までは実は何歳までは神のうち、何歳までは人のうちって変わってきたのはそうなんですけど、ようするに今のお母さん方、若い世代の人たちは子どもを作るっていう発想になっている。結婚してそろそろ子どもを作ろうかっていう会話が、普通に行われているわけでしょ。われわれが、結婚したころは子どもは授かるものであったので、子どもが出来るかどうかは、なんとなくコウノトリが持ってくるかなみたいな、わりに純粋なっていうか、可愛らしい考え方を私たちは持っていたわけで、子どもが出来ると神様がくれたと思って素直に喜んだわけですけど、今の若い人たちは、子ども作ろうと思ってますので、出来て当たり前って話になります。大体生命が生まれるってことに対する、畏敬の念は常に持ったほうがいいだろうって考えれば、これは授かるものって考え方はおいとかなければいけないんじゃないか、医学が出来た為に授からぬものになったし、下手をすると再生医療が出来たために、部品まで出来るようになった。すると子どもはもうお人形さんになってきた。ってことは作り直してもいいってことになってくるでしょ。変なものが作れたら、作り直せばいいって話にだってなってきてる。一方で、子どもが死ななくなってきたから、お母さん方に育児ができなくってきた。なぜかというと、失敗して死んだりしたら、お母さんが追及されるから。そうしたら子どもできませんよ。作る気にならない。ようするに子ども観がガラっと変わり始めてきた。で、死ななくなった為に不安が増えてきた。片一方で作り変えるって発想になってきた。そうするとどこへ行き着くかっていうと、かなり怖いものはあるだろうなって気がします。もう一回昔に返るって話じゃなくて、ここの問題点をきちっと話さなくてはいけないだろう。代理母がどうのこうのって話題になってくる前に、なぜそういう事が言えるのか、神様の領域に医者が或いは人間が入っていっていいのかどうかって問題だと考えなくてはいけない。確かに子どもがほしいって分かるし、結婚して子どもが出来ない人たちがそれで悩んでいることは分かります。だけどその結論が、“子どもを作る”ってことだけですか、不可能なことは不可能なんだって発想もいるかも知れません。いくら頑張っても子どもが病気で亡くなる場合はあります。その時、小児科の医者を責めてもらっても困るって時だってある。と言うと、医者のおごりだって言われるかもしれませんけれども…。やっぱりそこも少し考えていかないと行き過ぎたところがないことはないなという気がします。みんなでもう一回、子どもは何なのか、子どもの発達は何なのかということは、常に考えていただいてもおかしくはないんではないかなっていう気がします。

科学、科学っていう一方で、科学でないものに対する憧れはずーっと持っているのが、ピーターパンであったり、星の王子様。ようするに大人になってほしくないって願いがあるのだろう。子どもの将来はすごいっていう一方で、大人になるなよって、矛盾した時代が20世紀だったわけです。そうすると、21世紀これに変わってどういう発想を発達学にもってくるかということが重要になってきます。私が思っているのは、21世紀にもし出来るのであれば、良いことも悪いことも含めて子どもは発達する。夢もあるけど大変なこともあるよ。或いは希望もあるけど限界もあるよということをちゃんと認めたうえでの発達感をしなければいけないのじゃないか。もっと言えば、これから子ども作って育ててようと思うお母さん方がいれば、大事なことは自分の相手をどう評価するかってことになるのじゃないか。個性を伸ばすって時に大事なことは、自分のだんなさんのいいところをどう探すかってことなのじゃないかな、自分の良いところ悪いところをどういうふうに判断するってことじゃないのかな。もう一回言いますけども、親なみに育てることをきちんと考えたほうがいいかな。親なみにってことは、親のいいところをという意味ですよ。だんなのいいところだけで親なみになんて言えませんからね。だから育児っていうのは、基本的に夫婦がお互いに見直す作業なんだろうなって気がします。

共働きなんですけどね、小児科の医者で大変なんですよ。子ども4人も作って…まぁ出来ちゃったわけですけどね。全部保育園ですからねうちは、6ヶ月から保育園ですからね。6ヶ月から保育園に出した時に何と言われたと思います。「医者なんでしょ。金持ちなんでしょ。人雇って、家でみればいいじゃないですか。なんで保育園に預けるんですか」って。保育園にやるのがいい親なんだよ。私は子どもが出来た時に保育園に入れたかったんです。最初から保育園に入れたかった。入れる事が重要だと思った。なぜかっていうと、子どもの集団があるのは保育園しかないと思ったんです。保育園を選ぶ条件は何かっていうと、良い保育士さんがいるところは選ばない。子どもを放し飼いにしているところを選ぶって(笑)。それが風の子保育園、この保育園は実はですね、父親の野球チームがいて今だにいるんですよ。さすがに60になったら野球チーム出来ないと思うでしょ。すると息子がいるんですよ。風の子保育園の野球チームは今、2代目。で何が一番楽しかったというと、保育園で酒盛りしたんです。これを保育園にいる間ずっと続けていたもんですから、実は私らの父会っていうのは10年位続いたんですよ。何でかっていうと、次また保育園に入れたいねって。なんてことないお父さんが野球チームを続ける為に、子どもを作って保育園に入れたというね~わけの分からん保育園でね、結局最終的に何があったかというと、保育園が地域になったんですね。○○町ではなくて、○○保育園で我々は生活をしてた。だから何かがあったら、保育園に行ったんですね。だから保育園は園のものではないと思ってました。親達のものだと思ってましたから、私たちが威張っていました。園長先生がいろんな研修会するときに、親の方が「許可証出せ」みたいな、ここは我々の保育園だみたいなところがありましたから…そういうこともずっと考えていくと、子育ても違ってきた。そういった意味で、もう一回見直しをした方がいいなと思っているし、今日ここに来させていただいて、やっぱり保育園も大事だし、地域はいいよね。やっぱり田舎はいいよ。空気うまいし、水うまいし、米うまいし、魚がうまいし、梅干はあるし、らっきょうはあるし、子どもが脱水してもポカリスエットいらないんだから、お粥さんと、梅干と、らっきょう食わしときゃ、りっぱなポカリスエットですからね。まぁどうでもいいんですけどね(笑)だけど、そういうの考えたときに、実はここで講演させていただくのは逆でね、ここの人たちが東京で講演しなきゃいけない。ここの保育がいかにすばらしいかっていうのは、ゴマすってますけど(笑)今さらゴマすっても講演料あがりませんので(笑)。ほんと地域がなぜ大事か、地域で子どもたちを育てることの重要性をこれからもっと言わなければいけないとしたら、育児情報を出さなければいけないのは、実は東京じゃなくて、横浜じゃなくて、鳥取であったり福井であったりするはずなんです。だから福井だったり鳥取だったりする保育園はもっと胸をはって東京に発信してほしい。お母さん方もそれをちゃんと言ってほしい気がします。だってこんな田んぼの中だったら、大きな声したって声が飛んでいくんだもん。「わぁー」って言ったって、すーっと聞こえなくなるけど、東京が何が起こるかっていうと、前に壁がありますから、園庭で「ぎゃー」っていうとまた返ってくるわけです。子ども2回怒られているのよ、「バカ」っていうと、向こうからまた「バカ」って返ってくるでしょ。また返って「バカ」って「バカ」「バカ」…って下手するとずっと、わんわん~~って子ども落ち着くわけがないじゃないですか。ここなら、すーっと消えていくじゃないですか、いいよね。って話ですよ。だからもう一回考え直すとき、20世紀から考え直さなくちゃいけないのは、行き過ぎた科学性を強調したのを訂正するっていうことと、きちんと子どもの育児を考え直すっていう点では、地域にとっかかりはあるんだろうなって気はします。

赤ちゃん学会を作りましたのは、何かというと基本的にはいろんな研究をされている情報を、お母さん方に出したいなということで、いろんな研究をされていますので、お話をさせていただきます。
うちの学会にはロボットの研究者がいるって話をしました。ロボットの先生がたがなぜいるかってことに少しふれますと、今、ロボットっていうのは計算式を入れ込んで人間が思ったとおりに動かす以上の動きをロボットはするわけです。それで、我々がこういう動物とか人間で得た情報をロボットに入れ込み、そのロボットを動かしたときに、シュミレーションした理論が正しいかどうかって分かる。ようするに、人間の赤ちゃんの歩行パターンを解明して、メカニズムが分かれば、それをロボットに打ち込んでいってロボットを歩かすことによってその理論が正しいかどうかが分かるって発想になります。我々はボトムアップ的な研究をして、彼はトップダウン的な研究にそれを結びつけてくるということが出来れば、証明ができるでしょうってことになります。究極のロボットは何を作りたいかというと、成長発達するロボットが作りたい。だから赤ちゃんから徐々に大きくなってきて、大人になって死んでいくようなロボットを作りたい。究極ですよ。浅間先生ってロボカップやってる先生です。ロボット使って国際のサッカー大会の理事長で、仲良い先生なんですけど。この先生ねアンドロイドっていう人間と似たようなロボットを作っているんです。これ一体3千万円くらいするんですよ。若い女性のアンドロイド作ってね、これが300体売れたんですよ。これどこに売れたと思います?誰が買ったと思います?買ったのはアラブのどっかの王様が買ったの。銀行の受付に置いたんです。何でかっていうと、テロで爆破されると、アンドロイドって大丈夫でしょ、無くなって終わりだから…。人間1人死ぬと大変ですからね。でもやっぱり若い女の人がいいじゃないですか。日本人の顔した受付のロボットが、アラブのどっかにいるみたいですよ、300体ほど。3千万で300体っていったら、90億、これがね儲かってないんですよ。作るの高いから…、ぱーっと全部出来ませんからね、結構手作りのところがあって。何が言いたかったっていうと、アンドロイド作って面白かったのは、人間にだんだん近いアンドロイド作っていくと、どっかで気持ち悪くなるんですって。人面魚っているじゃないですか、人面犬とか、或いは壁に人の顔が映ってるていうじゃないですか、霊の写真とかって、あれ全然違いますからね、人間ってそういう能力持っているんです。ようするに人間に似たようなものを探し出す能力っていうのは、持って生まれてくるんです。だから人間の赤ちゃんはまっすぐな線よりも、丸い線を好むんです、それはお母さんの顔に似てるから…生まれつき人間っていうのは、人間に似たものを探す能力を持っているわけです。ですのであれは霊が写っている写真では絶対ありません。そう見えるのは当たり前の話なんです。あれを探して霊能者が「ほら、女の人がちゃんと写ってますね」なんて写っているように見えるだけ、悪いですけど…。心霊写真ではありません。ただ面白かったのは、ろう人形見ていると気持ち悪くなる人いるでしょ。ずっと人間に近づけていくと、人間って嫌悪感が増すんです。これがね不気味の谷っていう意見書があるんです。似たものがいると排除しようとするんです。これね、ひょっとするといじめの原因に関係する可能性がある。同じような子どもたちをずっと入れ込んでいって、競争させると誰かを排除しようとする。ところが、はじめから障がいがある子どもたちっていうか、自分たちと異質なものをいれると、子どもたちはどうするかっていうと、中に入れようとするんです。だから、教育において発達障がいの子どもさんを入れることの重要性っていうのは、自分たちとは違う、或いは自分たちの能力とは違う人を入れることによって、その実はクラスがうまくいくっていうことなんです。人間っていうのは、もともといろんな人がいる社会でないとうまくやれないんだろう。それを一定にしてきちんと選別をして、一つに集団を作ったら伸びるかというと、そうはうまくいかないのは、分かっているじゃないですか。英才教育で早くから良い学校に入れたやつは、確かに伸びるやつはいますけど、考えたら高等学校のある中学校に成績別に行くんだったら、進学校って全ていいわけですよ。上から順番にランクづけされたら、2番目の学校から飛び越えていくことは無いはずでしょ。もちろんそういう学校であれば、でも、現実はそうじゃないでしょ。飛び越えている人もいるし、落ち込んでいく人もいるだろう。落ち込んでいるケースは何かっていうと、均一な集団を作ったことの問題なんです。だから世の中には、どちらかっていうとまばらな集団を作っといた方がいいだろうっていう、それが出来るのは実は、保育園なんですね。だから保育園っていうのはいいだろう。思いやりは、思いやられる子どもがいて、初めて成立する行為なので、同じような子どもたちを揃えていくら道徳教育をしたところで、思いやりは生まれません。競争心しかないから…と考えるとね、いろんな考え方ができるでしょ。だから発達障がいの子がいるから、子どもたちが授業で邪魔をされる。或いはうちの子どもたちは、横でぎゃーぎゃーいうと勉強の邪魔になるっていうふうに、狭い考え方を持っているお母さん方が、もしいるとすれば、あなたの子どもたちはそれ以上に重要なものを、発達障がいを持っている子どもたちから学んでますよってことです。たぶん、算数国語理科社会の成績が伸びる以上に、重要なものを子どもたちは勉強しているだろうと、だからいろんな障がいがある子どもが同じところに住まなければいけないというのは、そこなんです。
障がいがある子どもたちの為に、普通の子どもたちと一緒に住まわすのではありません。普通の子どもたちにとって、いろんな子どもがいるってことを勉強する為には、どうしてもいろんな子どもたちを入れたクラスを作らなければいけないと考えれば、ほんとに自然の状態でその地域の中でそのまま学校に行けばいいってことあるでしょ。なんとなく、見方が間違っているんですよ。よく学校に行きますけど、たとえばADHDの子どもがいたら、うるさくて授業が出来ない、ギャーギャー言うのは先生だけですからね。だって横にいる子どもたち全然迷惑してないんだもの。だって一日中うるさいんだもん。一週間いたらうるさいの分かっているんだもん。こいつはうるさいなと思ったら、しゃーないなと諦めてんだから。だからADHDで学級崩壊してるんですよって言いますけど、そういう学校を見たことありますけど、学級崩壊しているのは先生だけだもんね。勝手に崩壊してるって、子どもたちはうまくやってるってことが結構ある。そこで崩壊し始めたから先生が攻撃し始めてくるとなっちゃいます。だから考え方かなと思います。
なんで、不気味の谷からこっちいくかっていうと、不気味の谷っていう現象って結構面白い。だから近いと差別でしょ、我々は中国の人かな、韓国の人かな、日本の人かなって分かるじゃないですか。アメリカ人は全体分からないですよね。逆に僕らがドイツ人とオランダ人が分かりますか?分からないですよ。でもオランダ人はドイツ人大嫌いなんですね。パッと見たらすぐ分かる。どこが違いまんねんって聞いたら、匂いが違うとかね、は~っ?て…分かんないですよ。同じ人種だもん。言葉だってドイツ語と英語って似たようなとこありますからね。オランダ語って英語とドイツ語の間なんですよ、言葉が。チーズはカースなんですけど、オランダの一部ではチーズって、あの小ちゃいオランダだって実はオランダ語じゃない少数民族がいるわけですけど、そこはほとんど英語とオランダ語のあいだ語なんです。それでもわかるんですもん、あいつはフリースランド人だっていうんだもん。ずっと近いところに住んでると差別が生じます。だから似てる子どもには差別が生じるけど、違った子どもには差別をしないということを、教育の中でどううまく使うかです。そこをワンパターンに考えてると教育できないでしょ。自分たちの世界だって、同じような人たちばかりだと面白くないでしょ。俺よりできないなと思うと気分慰められるしね。すごいなと思ったらマネをしようかなと思うわけじゃないですか、だからもっといろんなひろい幅で子ども達を見ていったらいいなと気はしますけどね。そんな話もあります。これはロボットやさんです。実はロボットで何をしたかっていうと、ロボットがいて赤ちゃんがいて、実は研究でわかっているのは、赤ちゃんがクーイングといって赤ちゃん語でしゃべると、お母さんがオウム返ししてマザーイズを返すって、或いはマザーイズをするとクーイングが返るという報告があるので、これをロボットでやりました。養育者っていうのは研究者です。赤ちゃんがロボットです。ロボットに向かってお母さんが、研究者が、「○○ちゃんかわいいね」みたいなことをしゃべると、それを聞いてロボットが返す。その時のお母さんみたいな声で返すってことをやっていくと、研究者もだんだん仲良くなってきて、インターアクションができるよねっていう…信用する?赤ちゃん学の研究って割りにね信用できないやつがいっぱいあるんです。信用するかしないかは、その人の性格による。鳥取の人はそういった意味では、疑り深いか、疑り深くないかがすぐわかる。
実はですね、赤ちゃんが足し算がわかるっていう話。生後5か月の赤ちゃんが足し算がわかるっている話。1匹ねずみをを置いておきます。モニターのテレビでね。一回隠します。音をトントンと2回叩いてパッと開けるとねずみは3匹っていうのと、一匹ねずみを置いて隠して1回トンと聞かして開くとねずみが3匹という時に、3匹のねずみを長く見る時間、どちらがが長いかということを調べるわけですね。1+2が3になるか、1+1が3になるかです。わかってます?すると5か月の赤ちゃんは1+2から3になる時よりも、1と1で3になるほうが長くみます。あれ?なんでやねんって考えるから、赤ちゃんは足し算が分かってるって話なんです。5か月よ、これ信用する人?そうとう疑り深くなっちゃった。どうもこのへんがいい加減で誰も信用しないけど、実はこれはいろんな人が研究やってて、何回やっても同じ結果がでるんです。間違いなく5か月の赤ちゃんは足し算がわかる。でこれを反対にすると、引き算が分かる。3匹いて1匹引いて、2匹残っている場合と、1匹の時には、赤ちゃんは1匹の方を見ますから。実は、これ難しいとおもうでしょ。おんなじこと出来るのがいるんですよ、動物の中で。何だと思います?動物の中に足し算引き算がわかるやつがいるんです。チンパンジーって、オランウータンっていうと思うでしょ、実はカラスなんですよ。カラスだとわかる?ごみ収集が来るじゃない、その時に監視小屋にね人間を入れるわけですよ。まずやったのはどういうことやったかというと、1人の人間が入って、しばらくたって出ていくと、カラスは取りにいくんですよ。もう居ないと思うから、それを繰り返すわけです。2人入って、1人出ていくと、来ないんですよ。残っているから…。もう1人出ていくと取りに来るわけですよ。何人入るまでカラスは計算できるか。実は子どもたちに数を覚えさすときに、1歳とか2歳の赤ちゃんに1,2,3あとは、たくさんなんだ。ということは、3つまでわかるんです。だからこれ3つまでなんです。疑り深いやつは、これを4にすると赤ちゃんさっぱり分りません。ちょっと面白いと思うでしょ。カラスの話をすると、あ~そうかって、人間の赤ちゃんも分かるかなと思うでしょ。でも、4歳の子が足し算できないの?できないでしょ。4歳くらいになると、1+1が出来ないのがいっぱいいるわけでしょ。これなんでだと思います?こういう現象が有事現象ってあるわけです。赤ちゃんが生まれた時の能力と、それをいったん消して、もう一回出てくる能力を持っている。だから何を言いたいかっていうと、胎教しても意味がないってことです。忘れるんだから、無駄! 間違ってもお腹に電話するようなバカなことはしないでほしい。そういう人いるじゃないですか、お腹に何とかフォンとか当てて、「お元気ですか?」っていう。もっと面白いのが、お父さんが「お父さんよ」って。分かるかそんなもんってね…。男っていうのは、何となく淋しいもんで、信用するしかないもんね。たぶん、お父さんなんだろうなって…(笑)「うんうん」って言ったよって、お母さんうまいからね、「あら、声がわかったみたいよ」なんてね。するかそんなもんね。有名な心理の先生だって「お腹にいる赤ちゃんは、お母さんが楽しい時は楽しくて、悲しい時は悲しい」そんなわけないじゃないですか。なんでお母さんが幸せだったら、赤ちゃんが幸せになるのよ。そんなどうやって証明するのよ。証明できません。できるのは1個だけあります。お母さんがストレス多いときには、赤ちゃんが反応します。ようするにいろんな育児実験で、悪い条件においたら、良い条件に比べたら悪くなるっていう証明はいっぱいあるんです。チャウセスクの所で、変な育ち方をした子どもたちを、普通の乳児院に入れたら良くなった。だからいい環境にしたら良くなった。悪いやつをよくすることはできますけど、それ以上にはできません。そこのからくりがわかってないんですよね。悪い状況だと悪くなる、これを良くしたら良くなるってこれは当たり前です。ところがそれ以上良くしたときに良くなるっていう話はありません。もう1つよく使われるのが、ねずみの実験で、ねずみの環境をよくしたら、そっちのねずみの方が頭が良くなった。ねずみの環境がいいかどうかって、なんで人間がわかるの。よく出されるのは、くるくるよく回る風車とか入れてね、ねずみが楽しんでいるって…。ねずみはえらい迷惑やで。人間が見ているところで、くるくる回って「あんた楽しいね」って言われて…。ねずみにしたら「早く出してよ」っていうに決まってるよね。放し飼いにさせてよ、その方が幸せだって…いうに決まってるじゃない。そういうことを使って、悪い状況から良くすることはあります。これは証明はいくらでもできます。ところが、良くしたからって良くなるって報告はありません。出来ません。なぜなら、良い状況っていうのは難しいからです。悪いのは誰でも悪いと言えるんですが、良いっていうのは難しいです。個人差があったり、考え方の違いがあるからです。悪い状況っていうのは誰が見ても悪いんです。戦争の真っ只中で住んでる子どもたちが良い状況だなんて、誰も思わないわけでしょ。戦争がない状況の子どもと比べた時に、戦争がない子どもたちが幸せ。これはいいですよ。だけど、良い状況で比べた時に、果たしていいかどうかって難しいでしょ。だけど、子どもの教育なりを言っているデータっていうのは、裏返しにしているだけです。裏返し出来ないものを裏返しにしても仕方がない。何が言いたいかわかります?どう接しても一緒だから、まぁのんびりやるべって、悪くしなきゃいいんだよって考えれば楽です。悪くすることは出来ますから防げますけど、良くしようとするから、お母さん方苦労するわけでしょ。うちのお袋みたいに、何でもかんでもやろうとして大事なことはダメなら諦めなさいってことです。だから育児っていうのは、あきらめが肝心だよって。今日の講演は全部これに繋がるんです。楽でしょ。だって、お母さん一人で育てるって無理なんだから、ここの保育園は違うんですが、いろんな保育園に行くと、お母さんの代わりって言ってさ、保育園に出すくらいだったら、家で見なさいって保育士さんずいぶんいますけど、今の子ども達は家で24時間お母さんといる方が不幸ですよ。今でなくてもずっとそうですよ。お母さんと一緒にいる子どもが幸せだとは思えない。だって24時間もたないもん。そういうこというのは、大抵お父さんなんです男なんですよ。そういう先生いっぱいいますけど、育児なんて絶対やってませんから。紙おむつと布おむつの事よく言われるんだけど、紙おむつが愛情なくて、布おむつがあるってよく言うじゃないですか、だから布おむつにしなさいとかね。おしっこするかどうかは、紙おむつと、布おむつに差があるっていうやつ、おしっこしたあと、布おむつは気持ち悪いけど、紙おむつは気持ち悪くないから、赤ちゃんいつも垂れ流しするって言うでしょ。あれへんよ。考えてみてごらん。おしっこするかどうかていうのは、溜まるかどうかの問題でしょ。溜まったときにどうしよう、どこに出そうかって時に、出た後が気持ち悪いからって考えている人います?今出したいなとか、我慢しようかしか考えないでしょ。布おむつだと気持ち悪くて…って考えるバカいませんよ。布おむつとか紙おむつとか言いますけど、50枚おむつ洗ったことあります?私は双子で年子だよ自慢じゃないけど…。3人ガキだよ。3人子どもがいて、毎日おむつ50枚洗ったのよ。布おむつで。だって紙おむつ無かったから。愛情わきません。わくわけないじゃん。毎日、京都のくそ寒いところで冬の冷たいところで、言いますけど布おむつはトイレで洗うんですよ。自分がウンチしたところで洗うんですよ。手入れて洗うんですよ。こんな顔しながら。愛情感じます?感じませんよ。このやろーちょっと我慢しろって思うんじゃんね。私も小児科の医者ですけど、そのころ小児科の先生何を言うかというと、ウンチの色を見て、においを嗅いでみましょう。それで健康度が分かりますって。分かりません。腹立つだけだもん。その時外来やってたからね僕、お母さんにウンチの色見て時にはにおいを嗅ぎましょうなんてやってたからね。これだけ嘘をつければ、立派なもんだよ。だから無理な事言ってもしゃーない。だったら利用すればいい。ミルクがダメで母乳がいい?出ないもんしゃーないやん。うちなんて、3つ子やで、おっぱい足りひんもん。おとっつぁんどう頑張ってもおっぱい出-へんもん。小児科学会の先生とかがさ、母乳が減ったら登校拒否が増えたとかね。なんやねんそれ、うちの子が登校拒否かって喧嘩しようかと思ったこともあります。そんなおっばいだけで変わるんだったら、苦労せーへんで。母乳さえ飲ましたら、不登校が減るんだったら、とっくの昔にやってます。だけど母乳数増えたけど、不登校減らないじゃないですか。母乳がいいことはいいですよ。否定はしませんよ。人間だけですよ自分の親のおっぱい飲まないのはって、なんで人間の子どもが牛のおっぱい飲むんですかって言う人がいる。文明を開化させてミルクを使うのは人間しかいないからですよ。われわれは牛と違う、サルと違う。なぜかって言うと、それを出来たから人間の赤ちゃんは生き残って来たじゃないですか今まで。栄養失調ならずに来たのは、ミルク会社が頑張って来たからじゃないですか。世界にトップレベルのミルク作ってるんですよ、日本のミルク会社は。ミルクを飲みましょう、母乳を止めましょうってどこが悪いの。こんな話をすると紙おむつが国を滅ぼすって言う先生がいる。無責任な事言うなって。洗えってこれから毎日、出来るか?って、「おまえ家に雇ってやるからやれ」って言ったら、年取った先生だったから「俺は出来ない」って。「なら言うな」って。それから言わなくなりましたけど…。頭で考えるのは構わないけど、それでお母さんいじめてどうするのよ。出来ないなら出来ないって。“早寝早起き朝ごはん”、朝ごはん食わない民族だっているんですよ。俺、朝ごはん食べますよ。肥満児です。3回食ってこうなったわけですからね。2回に減らそうかなって、でも食べるしか楽しみないので…もう立派なメタボリック症候群。改める気はさらさらありません。私、酒も飲まないしタバコも飲まないし女遊びしないし賭け事しないでしょ。楽しみ喰うことだけですからね。いいんです、早く喰って、ポコっと死ぬんですから。
簡単なことなんです。みなさんが絶対これが良いって言うときに、ちょっと逆考えて見なさい。その余裕が日本に無くなってきている。だから育児がしにくくなってきている。母乳が出なきゃ、ミルク飲んでいいじゃない。だけど金はかかるよってことですよ。紙おむつ使ってどこが悪い。あきらかにおむつかぶれが減ったんですから、だったらそれでいいじゃないですか。なぜ布おむつにこだわる、なぜそれが愛情なんですか。お母さんを縛るのはもう止めてほしい、と思いません?あんなに愛情が足りないって誰が言えるのよ、って思うんですよ。だったら適当にやれって、親は無くとも子は育つって言ってくれる先生が増えなきゃあかんでしょ。私は、親は無くとも子は育つよって、親なみにしかならないから諦めてねって、外来でよく言うことにしてるんですけど、そうすると、患者さんは増えないですね(笑)。だけど気は楽になるかな。
子どもは褒めて褒めて育てろっていうでしょ。褒めて褒めて引きこもりですからね。間違いなく。褒めて褒めて引きこもりなら、怒って怒って引きこもりの方が楽。なぜかって言うと、原因はあなたにあるっていうのが、よく分かるから…。もっと言いたいのは何かっていうと、褒めるっていうことは、少なくとも、見方が上から下なんです。褒めてあげてるんです。子どもたちはそれを好みませんって。子どもたちは出来るだけ対等な形で、大人と接したいところがあるとすれば、バカって言うことも必要だし、ダメって言うことも必要だし、あほっていうのも必要になるわけです。外来でね、子ども泣かすことに凝ってまして、お母さんに「今から泣かしますから、横で見ていて下さい」って、実は1時間に2人しか診ない外来なんで暇なんです。(笑)。10人患者さんがいると、看護師さんが止めてくれって言うんだもん。先生疲れすぎ。今日は十分仕事しましたから、10人でいいですって。絶対あの病院そろそろ潰れると思いますけど…。何がそれで分かったかというと、怒られることで子どもは伸びるんです。なぜかって言うと怒られると、何でかって子どもは考えるんですよ。面白いのは実は赤ちゃんを遊ぶ時に、たとえば4ヶ月から1歳になる赤ちゃんで、もっとも嫌な表情って分かります?。赤ちゃんにもっとも嫌なことをしようと思うと表情を変えれば、すぐ嫌がります。何かっていうと表情をなくすことなんです。顔を動かさないことです。顔を止める、するとねものすごく嫌がります。これね、めちゃくちゃ面白いですよ。どんな赤ちゃんでもやりますから。これね今、外来で凝ってるんですよ。それでね何が面白かったかというと、4ヶ月の赤ちゃんは、すごいショックなんですよね。顔の表情が無くなるというのは。6ヶ月になってくるとさすがにちょっと、怒り顔と笑い顔で止めるのと反応が違ってくるんです。面白いのは9ヶ月の赤ちゃん、どうすると思います?赤ちゃんの前で表情止めるとね何すると思います?ごまするのよ。自分から笑うのよ。手をだすやつもいるのよ、こっち向いてって。これをなぜやらないかですよ。いじめてくると、向こうから努力をするわけですよ。だから怒れば努力するってことなんですよ。怒られたら努力するってことをなぜしないかですよ。なぜ褒めろ褒めろって言うやつがいるかってことです。いかに子どもを知らないかってことです。
保育園でこの間ブランコやってて、振れ振れっていうからだんだん大きくなって、ストンと落ちたやつがいるんですよ。この時にどう接したらいいか、正解は「バカ」って言う。「お前が手を離すから落ちたんだ。俺は知らないよ」って言うと、その子はどうしたかっていうと「もう1回」って来たんだもん。そこで「痛いね、お父ちゃんが悪かったね」って言うとそれで終わっちゃうんです。終わりにしない為には、もう1回やるって気にさせる為には、落ちた子どもをけなすことなんです。実はそれが子どもたちにとっては嬉しいわけです。対等扱いされてるって分かるから、のりの良い園長先生に同じことを教えたら、この間相撲をとって投げられて泣きそうになった時に「弱虫」って言ったら、子どもが泣くの止めて飛び掛ってきたって、それを何回か繰り返していくうちに園長先生と仲良くなった。褒めて褒めてどんな子どもが作りたい?セルフエスティーム、自尊感情。自尊感情行き過ぎたらわがままな人間なんですよ。だからなんだってプラスにはならないんですよ。全部プラスも行き過ぎたらマイナスなんだから、そこでバランスを取らなければならない。褒める一方でけなさなければいけない。或いは怒らなきゃいけない。ずっと怒っといて、1回褒めると子どもは感激するわけでしょ。うちの子どもなんてお父さん怖いんだからね。だって、私は家から叩き出したんだからね。暴力振るいましたよ、18歳の時にぶん殴りましたもの。うちの儀式です(笑)3人とも家から叩き出しました。で、きっかけを言うと私が悪い。こっちの方が悪いことしたんだから、わがままなんだから…で、一言、「お父さんの言うこと聞けなかったなら家から出てって」私がめしを喰わせている間は俺の言うことを聞け。それが嫌なら出て行ってもらわな、しゃーないわね。私の家は私が憲法なんだから、偉そうに言って後でかみさんに「ごめんね」って謝らなきゃいけない(笑)本当はかみさんが一番強いんだねって話なんだけど。だけどそれはあえてやりました。男親の重要な仕事は何かって言うと、世の中が不条理であることをいかに教えるかなんだよね。世の中理論どおりにいかないよって理屈じゃないよって教えるのは父親なんですよね。父親はかなり息子や娘の前の邪魔をしなけりゃいけない仕事なんだろうと私は思います。だからいつも分かりやすくて、いつも良いお父さんにはなってほしくない。お父さんが、お母さんの育児の代わりをする。いくらやってもね、私だってずいぶん、ご飯も作りましたし育児は半分以上私がやりましたけど、かみさんが最後に言った言葉は何かっていうと、「あんたは、育児はたしかにしてくれて、助けてくれた。でもあんたの育児はやりたいときにやってる育児なんでしょ。私たちは風邪をひいてても、熱だしてしんどくても、やらなきゃいけないときにはやらなきゃいけないのが女の育児だったとしたら、男は余裕のときしかできないなら、育児したとは言うな」すいません、ごめんなさいってそこから講演会では、育児したってことは言わないようにしている。いろんなこと言われてますけど、なんでそんな単純なんだろうね。褒めて褒めて良い子が育つなら、人間苦労せーへんって。褒めて褒めてごますって何ぼやねんって言われますよ子どもに、「良い子だね」って言ったら、「次何する?」っていうじゃないですか、もうなめられてるんだったらさ、怒ればいいじゃん、喧嘩すればいいじゃん。だから怒ることも考えなくてはいけない。おいしいご飯を作れなかったら、まずいご飯を作りなさいって、まずいご飯を作るとどううまく食べるかを考えるから…間食しなくなるから。お母さんがいつもおいしいご飯を作ると、子どもは食べなくなる。まずいご飯を作ると、時に良いご飯を作ってやると感激する。楽でしょ。まずいご飯を美味く食べようと、子どもたちはお父さんと話しをして楽しく食べようとするわけだから。何を喰わすかじゃなくて、いかに食べさすかが重要だとしたら、何を食べさすかは重要ではない。食欲いらない。DHA?ドコサヘキサエンサン?鰯の頭喰って頭良くなる?昔の人もっと頭良いわね。私ら鰯食えなかったんだから、芋がゆ喰ったんだからね。頭悪いかもしれない…。けれども、そういうことだってあるでしょ。何が物の本質かってことは考えないと分かんない。食事の「食」って“人が良く”って書くんですよ。良いものを入れるとは書いてない。人間関係を良くするために食事がある。だから障がい児の教育をする時に、何が一番大事かっていうと食事なんです。どんなに重い障がいの子どもだって、食べるものには興味があるから、その時に一番会話が出来やすいから、食事の時間っていうのは、コミュニケーションの時間として考えなきゃいけない。だから時間をかけて食べなさい。何を食べさすかじゃない。鰯を食う暇があったら、どうしゃべるかを考えた方がいい。と思いません?
視覚の話しで、生まれてすぐの赤ちゃんは、縞の大きな模様が分かったりすると、これで視力が分かったりする。今、視力0.02とか分かってますけど、視力0.02でお母さんの顔が分かるんですよね。なぜかっていうと、赤ちゃんは情報量が多くても分からない、情報量が少なくてもかまわない。だけど分かってますよ。小児科の先生では0.02の視力ではお母さんの顔は分からないと言われる人がいますけど、お風呂場でめがねをかけた状態でのものしか、赤ちゃんには見えてませんって言いますけど、赤ちゃんにとってその情報だけで十分なんです。それでお母さんとお母さん以外の人が分かりますから、なぜなら匂いとか声とかそういうもので判断するから、赤ちゃんはこの程度の視力でも分かります。でも間違いなく見えてますから、1ヶ月の赤ちゃんは、お母さんの髪型にむしろ注意しますから、外枠効果で外枠の方を見ますから、残念ながら中はあまり重要ではないので、お化粧はやめてほしい。まぁ旦那にとってもね、かみさんの顔なんてどうでもいいんですけどね…でもないかね…。4ヶ月に入ってくると、内枠の方に興味を持ちます。その頃にはお母さんお化粧考えて…。少しずつ赤ちゃんのこういう能力が分かると、対応の仕方が変わってくる。分かってないと思うと分かんないけど、分かってると思ったらいくらでも遊べる。4ヶ月の赤ちゃんが面白いのは、例えば左右に物を動かすときに目を追うのと、上下の時と赤ちゃんどちらが得意か知ってます?左右ですからね。面白いのは4ヶ月には手を出しますからね。ゆっくり、ゆっくり物を動かすと赤ちゃんは左手で取ります。ところがすっと来ると、右手を前に出します。右手をちょうど目の前に出します。これ何か分かります?これね予測が出来るってことです。赤ちゃんには物のスピードが分かってて、この程度で来るなと思った時に、まず間違いなく赤ちゃんは失敗しませんから。ある程度の速さでずっとくると、手を出しますから。するとね、なんとなく偉いなと思うじゃん。分かってるなと思うと遊べるでしょ。ゆっくりすると、こっち出すじゃない。6ヶ月くらいになると何をするかというと、ハイどうぞって手をだして、手を出す寸前に変えっこするわけです。すると赤ちゃん「んっ」ってこっちの顔を見ますからね。はいどうぞって言って、ダメって言うわけですから、赤ちゃん戸惑うわけでしょ。その時にこっちの顔を見ますから、「くれるの?くれないの?」って顔しますから。何回もやっていくと、手を出さなくなります。「あっおっちゃんくれないんだ」これ学習効果でしょ。赤ちゃん勉強してるよって話が分かる。だから遊びをしなさいよって話なんです。大事な事は何かっていうと、おもちゃは渡すもんじゃないってことです。おもちゃんを渡した段階で、親子の関係が切れますから。だから渡さないで長く持たせるテクニックがお母さんには要求される。そのためには赤ちゃんのそういう能力をわかってほしい。勝手に面白がっているんですけどね。だまし合いですよ赤ちゃんと。いないいないばあだって考えなきゃいけないでしょ。いないいないばあする時に、いつも同じ顔で出る時と、変な顔をするとかね。どっちを喜ぶとかね。4ヶ月の赤ちゃんは毎回同じいないいないばあの方を喜びます。ちょっと大きくなると、変わった顔を喜びます。いないいないばあを考える会(笑)。だから、赤ちゃん学が少し役立ち始めて来たかなというと、赤ちゃんの能力が少しずつ分かってき始めた。そしたらそれを利用して遊ぶことが出来るでしょ。だから、今脳科学がいろんな脳科学をやっていますけど、役に立たない脳科学がいっぱいある。場合によっては、役に立つ以上に、しょうもないやつもいっぱいあるでしょ。生まれたてのフランス人の赤ちゃんにフランス語をテープで聞かせると、ちゃんと聞いている場合は聴覚が反応する。ところがそれを反対に回わしてやると、反応しないっていうことは、フランス人の赤ちゃんはフランス語を分かっているということです。同じお母さんの声、声は一緒なんだけど、順回しと逆回しが生まれて5日目の赤ちゃんが分かるって信用する?これだと信用するんですみんなね。これだと信用するのに、なぜこの足し算は信用しないかって話ですよ。足し算だと笑いが取れるのに、何で聴覚の話だと信用するのですかってことです。グラフの曲線があるから、何となく科学的に見えるからあなた方はだまされる。だから脳ドリル?やってんでしょ?60、70のおじいちゃんがやって、30になったって喜んでるんでしょ。バカになってるじゃん、60が30になったら退行現象っていうんやで普通は…。そう思わない?だから10歳のやつが勉強して20歳のレベルになれば、成長っていうんでしょ。天才っていうわけでしょ。60のおっさんが勉強して30歳になったら、これ天才か?60歳のおっさんが勉強して90歳になったら、これ伸びたっていう話です。なんでこんな単純なことで、笑いが取れるの?ようするに、あなた方の中で二十限界論なんですよ、頭の中がね。若い方がいいと思っているの。だから今度、国民投票を18歳で、30歳すればいいんですよ。わけのわかんないやつにやる必要はないんですよ。考えられないんだから…。何が大事かっていうことですよ。我々は本当に今、価値観の一定していない時に、何を価値観として求めているかって、数字で分かりやすい指標を示したことに、皆さん方はのってくるんです。それが間違っているんじゃないですか。IQ120でバラ色の人生で、IQ80以下だと人生真っ暗だと言った人がいる。皆さんIQ120になりたいんでしょ。言っておきますけど、120になったら、全部100ですからね。だってあれは、みんなを比べての指数ですから、全員あがれば、みんな100ですからね。さもしい話ですよね。俺よりか下のやつが何人いるかって話ですから、それを一生懸命頑張って何でやるのって話ですよ。価値観ってそういうもんじゃないんじゃないの。それと、脳ドリルの大きな問題はあれは速さを競ってるゲームなんです。全てがそうでしょ反応時間でしょ。人間の脳の中には、有髄繊維と無髄繊維があります。髄消化が出来ている繊維と、出来ない繊維があります。髄消化が出来るものは、速くスピードがなります。伝達速度が速くなります。だけども、人間の頭の中には髄消化ができない神経線維があります。これは情報をゆっくり判断するための脳なんです。だから我々はゆっくりきちんとした判断が出来る人間になりたいんであれば、反応速度を競争しなさんなということです。じっくりやることだって重要でしょ。当たり前の話じゃないですか、だからなんで脳ドリルやって頑張ってたよって喜ぶのってことです。さもしいでしょって話です。もうひとつ問題は老人に対する蔑視ですよ。60歳が70歳になっていくと、これは大変だ50歳に戻しましょっていうのは、正当に老人を評価することにはならないでしょ。90歳のお年寄りがいたら、よう頑張ってくれた。我々によう教えてくれて、本当に良い世の中にしてくれてってなぜ皆さん感謝しなの。あなた方のお父さんが年をとった時に、あなた方は、1+1をやらせますか?それが親孝行ですか。ボケるのが怖いからでしょ。お父さん、お母さんがボケになったら、ちゃんとみなさいよって話になるでしょ。ボケるまでよー頑張ったなってなぜ言わない。その前にボケるようにするのは、刺激が少ないんだったらちゃんとお母さんお父さんと話をしたら、生活したらどうって話になりませんか。そこが最初じゃないですか、頭が良いのは何なのかっていうことを考えなきゃいけないでしょ。そこをちゃんと考えないで、脳ドリルにうつつをぬかしてていいんですか。そこ間違ってませんかってことが伝えたかっただけです。
赤ちゃんがお母さんのまっすぐ見た顔と、横向いた顔を見せると脳波が違いますよ。赤ちゃんは真ん中しか理解できません。だから何やねんってそれだけの話なんですけどね、それだけの話だけど、何となくこれ見せる(脳波の数値)とやっぱりそうだなって思うから、だましやすいってことだけの話。実はそういうことが、知られてないし、研究されてないことは大きな問題ではないか。ようするに赤ちゃんの教科書がなかなか無いのは、実は赤ちゃんのことが分かってない、或いは、0歳から3歳までのことが、ほとんど分かっていない。それは誰に分かってないかって話なんです。お母さんとか保育士さんとかには、分かっているけど、研究者には分かってないだけかもしれません。そうすると、研究者と現場の先生との距離を縮めることによって、学問が発展するんじゃにかと思って、赤ちゃん学会を作ったんです。赤ちゃん学会は明日からでも、ここにおられる方でのすぐに入っていただいて結構です。っていうのは、資格はありませんので、医者だろうと…とにかく赤ちゃんが面白いなと思った人はいくらでも入っていただいて、お金いただきますので…ひたすら会員を増やそうと思っていますので。じゃなくて、こういうことで、学者を変えてほしいんですよね。だって現実の人間を知らんもん。チンパンジーをいかにして頭良くするかをずーっとやっていたから、やればやるほど頭良くなる思っているんです。どこまでいってもチンパンジーは3歳の子どもを越しませんから、たぶんね。ねずみの実験でいい環境にしたら、人間が良く育つのと同じですよ。人間を見ずして、ねずみをサルを見て教育を語るなってことです。脳を育てる前に我々がやらなきゃいけないことは、人を育てるってことです。脳を育てる前に、我々がしなくてはいけないことは、子どもを育てるってことですよ。基本的には…。だから、育脳なんて話じゃないんだけど、育脳って私が言ったみたいな形になってて、でも、育脳っていのは大事ではありません。はやり大事なのは、育児だと思います。子どもをいかに育てるかってことを考え直さなくてはいけない。脳科学はまだ答えてないだろうと思います。チンパンジーとその人間の赤ちゃんの行動学を調べて面白かったのは、赤ちゃんとチンパンジーのあかちゃんはほとんど同じ行動を5ヶ月くらいにしますけど、実はぜんぜん違うんですね。チンパンジーの赤ちゃんは、手と足を触るような行動があってから、手と手を触ります。ところが、人間の場合は、手と手を触ってから、手と足を触ります。何かっていうと、手と足が分離している動物は人間だけなんですよ。他の動物は後ろ足が前足を使うんですよ。ねずみと猫どっちが頭がいいか分かります。いいかどうかも分かんないですけど、ねずみと猫の差がどこにあるかっていうと、脊髄のところでポンと神経を切ると、猫はねぜんぜん手足が動かなくなるんです。手と足の間の脊髄ですよ。ところがねずみは手が動くんです。ねずみは持って食べるでしょ。りすとかねずみは持って食べるでしょ。猫はもって食べないでしょ。ということは後ろ足と前足が共同しているのが猫なんです。ところがねずみは後ろ足と前足が違う運動ができるんです。チンパンジーはもちろん手も自由に使えますけど、でも基本的には足がリードしているんです。人間だけが全く手と足を分離して動かす。でも我々だって、右手を出したら左足が動きますからね。普通はね。うちの小児科の医者で結婚式の時に、バージンロードを歩くじゃないですか、あの時に牧師さんに何言われたかって言うと、どちらの足を先に出します?って聞かれたんだね。その人右利きだから、右足だと思ったわけ、そしたら、右手も一緒に出たと言う。左足が先に出るから、右手が出るんです。それくらい、利き手と足というのは面白いわけですね。動物の中で、右手と右足が一緒に動く動物がいるの知っています?普通は右前足と左後足なんですけどね。うまが時々ギャロップすると、右前足と右後足が動きますけど、あれは訓練して動きますけど、実はらくだがそうみたいです。ほとんどの動物は交互性がありますけど…暇でしょ、こんな研究をしているやつがいっぱいいるわけですよ。でも、聞くと何となく面白いじゃないですか。あんまり関係ないけど、面白いからいいかなって、赤ちゃん学会って変な人ばっかりですからね。理事長がこれだからね。まあ知れてるわね。入ってくれます?(笑)笑っている人も何となく似ている気がするから…。
赤ちゃんって勝手に動いているんですよ。赤ちゃん上向いてる時に、動いているでしょ。知っているよね。教科書見て御覧なさい、赤ちゃんの運動は反射って書いてありますから、小児科の先生の書いている教科書見てもらえば分かりますけど、新生児の運動は原始反射です。って書いてあります。うそです。99%赤ちゃんは勝手に動いています。これは育児感をものすごく変えることなんです。ようするに赤ちゃん研究を通じて一番言いたいことは、何かっていうと、赤ちゃんは自分で動いて、自分で意識的に環境とやりとりをしています。赤ちゃんは受身の存在ではありません。だから白紙の状態では生まれてきません。生まれてすぐの赤ちゃんは、お母さんの声も分かるし、においも分かるし、手足も自由に動かします。だから邪魔をしないでほしいって話になります。育児をするっていうのは、何も出来ない赤ちゃんだからお母さんがやってやらなければならないって、教わってきたわけです。ジョンロックあたりの研究で赤ちゃんは白紙の状態で生まれてくるってずっと長い間信じられて来ましたけど、どうやらそうではなさそうだ。赤ちゃんには優れた能力がいっぱいある。例えばお腹の中で笑って生まれてくるのは何のためかっていうと、お母さんの愛情を歓喜するための能力を元からもっている。で、生まれてすぐの赤ちゃんが笑うのは理由はありません。幸せだとか悲しいだとかじゃなくて、お母ちゃん笑ってるから私のことかわいがってねっていう話です。だから、だまされてんだよ早い話が。お母さん方ね、生まれてすぐの赤ちゃんがにこっとするのは、あー幸せそうね、良い子ねってね。で、応えてあげると、お母さんのこと分かるのねってそんなの分かるわけないじゃん。単に笑っているだけ、でも、それは生きていく為に非常に重要な能力を持って生まれてくるって話になるからです。だからそういうことを考えてほしいってことになります。人間だけが、上を向いてしばらく居れる動物なんです。だがら仰臥位をとれる動物は人間しかいないってことです。なぜ仰臥位ができたかっていうと、お母さんが赤ちゃんを離すことが出来たからです。ようするに抱かなくなった動物は人間なんです。なのに、どうして抱けって言うんですか。抱くっていう行為は、人間だけしか出来ない行為なんですね。それはなぜかっていうと、抱かないっていう時間があるからです。日本ざるの赤ちゃんは1日中お母さんにしがみついています。ですのでお母さんは抱きません。チンパンジーの赤ちゃんは、時に抱かれ、時にしがみついてます。だから何が分かるかっていうと、赤ちゃんがお腹にしがみついたときに、歩くパターンを見れば日本ざるは4つ足で歩きます。チンパンジーは3つで歩きます。片手が赤ちゃんの背中にきて片手をついて歩きます。人間だけが二足歩行します。抱くっていうのが完成しているのが人間なんです。それと同時に我々は何を手に入れたかっていうと、赤ちゃんを降ろすっていうことを得たわけです。ですので、赤ちゃんをいつも24時間手に抱かなきゃいけないことはない、赤ちゃんを自由にすることが出来たから、それを証拠に霊長類研究所で生まれたチンパンジーは、あやすことが出来ます。置くことが出来ます。さらに凝ったことが出来るようになりました。なぜかっていうと襲われないからです。敵から襲われないからちゃんと下において、親子間で遊ぶようになった。子どもを下においてあやすような行動が出来てきた。そうすれば、赤ちゃんを抱くってことの重要性が逆に、抱かなくなったからこそ、抱く必要性が出来てきたともいえる。だけどそれは、一日中抱きなさいってことにならないし、抱く時間が長ければ長いほど良いってことにはならない。降ろして赤ちゃんとお母さんがコミュニケーションをとるせっかくの時間があったんだから、降ろしてあやしたらどうですかってことになるわけです。だからチンパンジーから学ぶことができるでしょ。ていうことです。だからスキンシップの話の我々考えなきゃいけないのは、赤ちゃんがスキンシップを望んでいますかっていうことは、常に考えなければならない。スキンシップとタッチケアとは違いますから、ここもはっきりしなければいけない話ですね。赤ちゃんをお母さんがマッサージするあれがいいのであれば、私があなたに触ったって痴漢行為にはならない。だって、誰一人赤ちゃんを触っているときに、赤ちゃんに断っているお母さんいないから。「さ、今から裸になって、お母さんがスキンシップしますよ」って触る?赤ちゃん邪魔かもよ。寝たいのにうるさいなと思うかもよ。なんで裸にすんねんとかね。いやらしとか思っているかもしれないじゃないですか。
そこで非常に重要なことは、何かって言うと、赤ちゃんの人権っていうことを考えてないんじゃないかって、ようするにお母さんが良いと思うことをすることは、全て赤ちゃんに良いって思い込んでいませんか、でも、それは怖いよってことです。常に赤ちゃんがどう思っているかって、どう反応するかってことは、聞いてほしいってことです。これをなぜ言いたいかっていうと、私が実は、医者になったときに、障がい児と会いました。いまだに障がい児と付き合っています。その医者がなぜ赤ちゃん研究にいったかというのは、1つだけです。しゃべれない子どもからどうサインを盗んでいくか、どう理解をするかって言うときに、赤ちゃんになってきたんです。それで分かったことは、何かっていうと、今まで我々が考えてきたことは、いかに人権を無視したことであるかってことです。障がい者のことが、分かっているような言い方をしているけども、ほんとに分かっているのか。障がいを持っている子どもの   …

第8回子育てひろば21委員会講演会 演題 乳幼児の発達~子どもの社会性と気になる子どものこと~

平成18年7月1日(土)

演題 乳幼児の発達~子どもの社会性と気になる子どものこと~

お茶の水女子大学 子ども発達教育研究センター
教授 榊原 洋一先生


講師プロフィール

榊原洋一(さかきはら よういち)
御茶ノ水女子大学 子ども発達教育研究センター教授

著書

など(※著書にあるリンクはそれぞれamazon.co.jpの該当ページです。)


日本の子どもは世界の中で、少なくとも体の健康については世界一いい状態にあります。例えば、赤ちゃんまでにいろんな病気で命を落としてしまう乳児死亡率というのがありますけど、千人「おぎゃあ」と生まれた子どもの内、今、日本の子どもは3、4人命を落とすその程度、ところが世界の乳児死亡率の平均は、千人に対してどのくらい1才までに命を落としてしまうかというと、50から60、日本は3、4ですからそれに比べると20分の1位です。こうなったのも日本のお医者さんたちが頑張っていることがありますが、それ以上に一人ひとりの子育てに携わる親とか保育士さん幼稚園の先生、そういう人たちが子どもについての知識を沢山もっているということが、実はそういう良い状態になっている1つの理由です。明治時代は東京をみますと、日本でもだいたい1000人生まれると百人以上は亡くなっていて、10人に1人か2人は亡くなっていたわけです。今でも世界で一番状態の悪いアフリカだと国によっては5歳までに、だいたい1000人のうち200人が亡くなってしまう国があります。5人のうち1人は亡くなる。日本はそういうことはないわけです。ところが、今日のお話のメインにしようと思いますのは、最近の子どもたちは体の発達はいいけれど、心の発達がうまくいかなくなっているのではないかと言われています。それが本当かどうかもありますが、その中でも特に落ち着きがないとか、集団に入れない或いは、保育園、幼稚園だと指示がなかなか通らないお子さんというのが何か目立っている気がするというお気持ちを持っていらっしゃる方が増えてきていると思います。本当に増えてきているのかというのは、また述べようと思いますけれども、そういう子どもについてお話ししようと思います。

皆さん、子育てとか子どもの発達についてある程度セミプロの方もいらっしゃると思いますけれど、赤ちゃんの体ではなく、社会性、人間関係などがどうやって出来てくるのかについておさらいを最初にしようと思います。その後にそこがうまくいかない子ども達についてお話しようと思います。

=新生児=

赤ちゃんというのは、昔は真っ白な紙のようなもので、まわりの環境に合わせて、どんな環境にいるかで、全部が決まっていくと考えられていた時代がありますが、今は違います。従来の捉え方でタブラ・ラサという言葉が書いてありますけれども、これはラテン語じゃないかと思います。タブラというのは“板”で、ラサといのは“何も書いてない”です。英語だとブランクスレート、“何も書いてない板のようなもの”、そして子どもが育っていく環境で、まわりの環境の中でその子の性格が決まっていくという考え方があったのですが、今はどうもそうではないですね。すでに赤ちゃんとしてオギャアと生まれた時に、その子ども自身が社会、或いは他人、或いは世の中についてちゃんとうまく対応できるような体制が出来ている、とくに脳の中のそういうプログラムが出来ているという考え方が主です。いくつか例をお話しようと思います。

=新生児模倣=

例えば赤ちゃんの模倣は聞かれたことがあると思います。新生児模倣といいますけれども、生まれてから2、3日しか経っていない子どもと向き合って、口を大きく開けるとかベロを出すと、子どもはそれを見ているうちに、口がむずがゆくなったようにして舌を出します。これはそれを最初に報告したメルツォフさんという人がいい始めました。けれども最初は偶然だろうとみんな言って信じなかったのですが、自然に起こるよりずっと高い確率でそれが起こるのです。皆さんも0歳児保育をやっている方はやってごらんになるといいと思いますし、私もNHKの番組でこれを紹介したときに、やらせじゃなくてやろうということで、出なかったらどうしようかなと思いながらスタジオに来てもらった子でやったんですね。そしたら本番の場面で舌を出したら、子どもが出してくれました。私たちが人の真似ができるのはどうしてでしょう。右手を挙げて下さいと言って挙げることが出来るのは自分に右手がある、自分と相手が人の体つきが似てる、相似であることがわかるのですが、生まれてから2、3日の子どもは自分の体も見たことないし、顔なんてまだ見たこともないのにもかかわらず、目の前でお父さんとかお母さんが舌をペロっと出していると、出すわけです。説明がつかないのですが、そういうことが起こるわけです。人間の脳の中には回りの大人と似たような行動をするような回路があると思うしかないわけですね。

=顔への嗜好=

顔が好きだということも有名ですね。子どもたちはいろんなものを見ています。赤ん坊でも生まれていろんなものを見ますけれど、一番よくみるのは人の顔です。2、3ヶ月になると追視をします。よく追視をさせるために、ガラガラ・・・・

第7回子育てひろば21委員会講演会 演題 「子どもの発達と保育-自己の育ちを支えるには―」

平成18年3月18日(土曜日)

明治学院大学心理学部教授
藤崎 眞知代 先生


1.赤ちゃんの世界

まず、最初に赤ちゃんの世界ですが、保育園では0歳から就学前の子どもさんを保育していらっしゃるので、日常のお仕事のなかで赤ちゃんの一人ひとりの個人差を実感されていることかと思います。私が学生の頃に、受身的と捉えられてきた赤ちゃんが、赤ちゃんなりの有能さをもった存在であると、一般的に理解され、そのように捉えられるようになりました。その背景にはレジメにありますように、赤ちゃんの意識レベルを区別して見ると、色々な能力を赤ちゃんなりに持っていることが分かってきたのです。

意識レベルは睡眠と覚醒の2つに大きく分けられます。さらに睡眠の中にも深い眠りと浅い眠りの状態に、覚醒には静かな覚醒と活発な覚醒と泣きの3つの状態に、あるいは睡眠と覚醒の中間に身体は起きていますが意識は眠っている半覚醒、半睡眠という状態(よく大学の授業中にみられますし、私も会議になると(笑)、立場が変わるとこういう状態になってしまいますが)を含めて6つの状態に分類する方もいらっしゃいます。この「静かに覚醒している」状態で、赤ちゃんは色々な刺激を捉えて反応を返してくれることが分かってきたわけです。これはアメリカの赤ちゃんの写真ですが、深~く良く眠っていて呼吸のリズムも規則的で、どんな音がしても呼吸の乱れない深い眠りから、夢を見ていてちょっと音がすると体を動かしたり、呼吸が不規則になる浅い眠りの状態、こっちは目を閉じていて、こっちは目を開けてる半覚醒半睡眠の状態から、泣きの状態、それに対して両目を静かにパッチリ開けて外を見ている、この状態のときに色々な刺激を与えると、それに対して的確に応えてくることから、最初にお話しました「有能な赤ちゃん観」という捉え方がなされるようになっていったわけです。

これは静かに覚醒している状態の赤ちゃんに、赤いボールを20cm位のところに示して左右に動かすと、目で追うだけでなく首を動かしてまで追っていく、物を目で追う反応が見られます。保育士の方が移動すると、その姿を目で追うなどは日常的に見られます。それから頭を支えないで手を引っ張って持ち上げたときに、首から肩を緊張させてゆき、最後にはしっかりと自分で起き上がり、自分で頭を持ち上げます。この姿勢は生まれたときの成熟度にもよりますが、こういった身体的な面での成熟に加えて、特に保育という場面では人への感心がとても早い時期から示されていきます。その1つが「談話のリズムへの同期性」とレジメには示してありますが、生後数日の新生児に、アメリカの赤ちゃんですので生の母国語の英会話を聞かせる、テープに録音した英会話を聞かせる、或いはテープに録音した母国語ではない中国語の会話を聞かせることをしますと、何語であっても人と人との会話のリズムに合わせて身体を動かしたり、頭を少し前後させたりという動きが見られます。それに対して規則的な机を叩く音に対しては、音に合わせて身体を動かすことは見られません。生まれて間もない赤ちゃんではありますが、人の会話のリズムに反応するといった人に志向している特徴を持って生まれてきていることが、「談話のリズムへの同期性」から示されます。

また、これは人の顔図形を1ヶ月と2ヶ月の赤ちゃんに見せたときに、どこに注目するか、瞳の動きを追ったものです。1ヶ月の赤ちゃんですと最初はお母さん顔の下、顎の当たりを見ているのですが、す~と頭の上の方から周辺部を見てから、目に視線を移動していきます。それが2ヶ月になりますと顔の周辺部ではなくて、目に注目します。赤ちゃんに向かうときにはよく目が動きます。表情も能面のような顔で赤ちゃんに接する方は少なく、自然とにこやかに口を動かして話かけます。目の白と黒のコントラスト、そしてよく動く口元、そういった顔の内部、人とコミュニケーションするときに大事な目と目のコンタクトですとか、会話に用いる部分に注目していく様子が2ヶ月の時点で特徴的に見られてきます。また、これは新生児1ヶ月での赤ちゃんの特徴ですが、大人の表情の模倣も既に見られます。

それからもう1つ別の視点から、これはおしゃぶりの絵ですが、普通はこの部分を口の中に入れ心地良い感覚を経験するようにつるつるになっていますが、これはいぼがあり、いぼいぼおしゃぶりと呼ばれます。このいぼいぼのおしゃぶりを赤ちゃんには暗闇で口の中に含ませます。ですから実物は見ていません。次に今度は明るい部屋で、いぼいぼおしゃぶりとすべすべおしゃぶりを同時に赤ちゃんに見せてどちらに注目するか見てみますと、いぼいぼおしゃぶりの方に注目するのです。既に口の中で触覚として経験したそのものを見るのです。これは触覚で得た情報を目で見たときに視覚的に捉え、触角と視覚という異なる感覚器からの情報を統合していく感覚間の協応と言われています。私たちは目で見て、そのものを取ろうとして手を伸ばすとか異なる感覚器官の働きを統合して色々な行動を獲得していきます。そういった統合する力が生後1ヶ月の時点で見られるのです。さらに、もう一つ有能性さの例をあげてあります。それはモノの永続性の理解です。ものが見えなくなると世の中には存在しないと思ってしまったのが、見えなくなったものを一生懸命探すというのは、見えなくてもその物があり続けていることを理解したからこそできる行為です。この物の永続性の理解は9ヶ月位であると、有名な心理学者のピアジェの研究では言われていました。目の前で遊んでいたものをハンカチとか布で隠してしまうと、もうその物が無かったかのように赤ちゃんの注意が反れてしまうということなどからからです。しかし、現在では3ヶ月位には見られる、理解していることが示されています。それは赤ちゃんがびっくりするとその刺激を凝視するという行動を指標としたときに、もっと早いことが分かってきました。これがその1つの実験場面ですが、小さい人参と大きい人参が、こういう衝立つの後ろを通るというときに、小さい人参も大きい人参も一旦見えなくなって、また見えてきます。この様子を赤ちゃんはごく普通の表情で見ていました。次に衝立の形をこの様にここの部分をカットしたんですね。そうしますと、小さい人参の方は背丈より下ですので、先ほどと同様に一旦見えなくなり、また見えてくる様子を赤ちゃんは普通の表情で見ていました。次に、この大きい人参について、この衝立の裏を通ったときに見えなくなるようにし、またここで見えてくるように操作したときに、赤ちゃんはとてもびっくりして凝視しました。このことから、大きい人参はこの衝立の裏を通った場合には見え続けているはずだということを、赤ちゃんは理解していると分かったのです。びっくりして凝視するという幼い赤ちゃんでも良く見られる行動を指標にした時に、モノの永続性の理解は9ヶ月どころか3ヶ月の時点で見られたのです。この話を子育て支援にいらしている0~2歳のお子さんがいるお母さまたちにお話した時に、ちょうど3ヶ月のお子さんのいるお母さんが、「ちょっと席を立つとすごく捜して泣くことが最近よくあって、どうしたのかな?って思っていらしたのですが、今日の話を聞いてモノの永続性が理解できるようになったことで、私を一生懸命追いかけているんですね」とおっしゃっていました。本当に、生まれて1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月といった時点でも、実に色々な力を持っていて、まわりの世界を取り込もうとしていますし、周りの人に働きかけています。どういう面で外に働きかけているのかは一人ひとりの子どもさんによって違いますが、それをきちっと受けとめて返していってあげるってことがとても大切だと思います。特にこういう施設で産休明けくらいから預けられる子どもさんの保育を考えていくときに、その保育の内容のなかで、赤ちゃんの力を大事に受け止めていって頂きたいと思っています。これが1番目の赤ちゃんの世界という部分になります。

2.集団のなかでの発達

次にお話はちょっと飛びますが、集団生活のなかでの発達を考える前提に、最初に有能さの例としてもお話しました生まれながらにして人に志向するという面は強くありますし、人として生まれて人になっていくのは人との関係のなかではぐくまれていくということがあります。そういった人との関係のなかで子どもは発達していくこと、発達するのは子どもだけではなく、子どもと関わる保護者、お父さんやお母さん、そして保育者も子どもとともに発達していくという意味から、それでは保護者にとっても、保育者にとっても、一人ひとりの子どもにとっても、人それぞれの自己実現のありようを探ることが大事になってきます。一人ひとり年代も違う、ここにいらっしゃる保育者の方も色々な年代の方がいらしゃいますが、それぞれの人生のなかで、今の年代で保育に携わっておられることがご自分自身にとって、どのような意味があるのかということを探るためには、1つにはメイという人の3つの世界という考え方が参考になるのではないかなと思います。

そのメイの考えといいますのは、人というのは「3つの世界を生きている」のだということです。実存主義の臨床をなさってきている人ですけれども、人間の実存の仕方としてまわりの世界ともにある世界独自の世界、この3つの世界に人は生きているというのです。まわりの世界というのはまさに自分を取り巻く周囲の世界とか、自然の世界を指しています。自然とどのように自分は関わっているのか、周りとどのように関わっているのかということです。子どもの生活あるいは私たちの生活を考えた時に、自然との触れ合いがすぐにイメージされます。まわりの世界を自然との触れ合いとして考えたときに、こちらには沢山の田圃があって、畑もあるという環境ですが、そういった自然があれば自然と触れ合っているかというと、必ずしもそのようには言えません。あるいは、私の明治学院大学というのは東京都港区のビルや高層住宅のなかにありますが、ビルに囲まれた生活のなかでは自然と触れ合えないかというと、そうでもないのです。ここに示してありますように、自然が身近に有るか無いかということではなくて、自然に対してどのような目、あるいは気持ちが向いているのか、ということが問われています。コンクリートの都内の園では園庭が屋上ということもありますし、広めのベランダだけの園もあります。でもそういった環境のなかに、どのように自然を持ち込んでいるのか、周りに畑とか緑があっても、それが背景になってしまっていないかどうか、自分たちが日々の自然の変化に本当にどれだけ目を向け気持ちを向けているのかどうかが、このまわりの世界、自然との関わりとして問われているわけです。それは自分と自然とのかかわりだけでなく、子どもたちどのような自然との触れ合いを用意していこうとするのか、保育者としての自然への向き方にも反映していくものだと思います。

2番目のともにある世界といいますのは、ともですのでまさに人間同士の相互関係の世界を指しています。同じ子どもさんでも相手によって自分を発揮できるときもあれば、ちょっと引っ込んてしまう、黙ってしまう、というように相手によって人との関わりは違います。相手によって関わり方が異なり、相手によって独特の関係が形成されていくわけです。そういう一人ひとりの子どもさんが、自分らしさというものを、どのような相手に、どのような場面で発揮できているのか、そして、ただのお友だちから、とても親しみを持ったお友だちなど、友だちから親友といった仲間に対する親しみの気持ちの深まりを、どのように保育のなかではぐくんでいくのかということが、ともにある世界への援助として問われてきます。

グループを変えてみたり、お昼の時の席が隣になるように何げなく仕向けていくとか、波長の合いそうな子どもさん同士が遊べるようなセッティングを保育者の方で準備するといったことが、子どもさんのともにある世界の広がりにつながっていくと思います。

3番目の独自の世界といいますのは、人と一緒にいるだけでなくて、人との触れ合いを通して、さらに自分を知っていくことにもなり、自分独自の世界をもつことを指します。一人ひとりの子どもが、いったい今日、何をしたいのか、何をするのが楽しいのか、何が苦手で何が得意なのかというように、自分に向き合って自分の特徴に気づいていくことに基づいて、ひとりの人間としての独自性が子どもなりに、年中なら年中、年少さんなら年少さんのその年齢なりに、自分の独自性を掴んでいくような、そういった働きかけが大事になってきます。今日の講演のサブタイトルに「-自己の育ちを支えるには-」と書かせて頂きましたが、ともにある世界も、まわりの世界、自然との触れ合いも大事ですが、でもその根底にある自分自身の自己をはぐくむことが、特に私は大事だなと思っています。

独自の世界のありようが現実世界を見る基盤にもなっていきますし、人との関わりを持つ際の基盤にもなっていくということでは、その集団生活に入ってきたときに、まず一人で安心して過ごせる、そして保育者との間でやりとりができ、保育者に対しては自分の願いをちゃんと表現できるようになり、さらに保育者を介してお友だちとも触れ合っていく、といった広がりのなかで、さらにまた自分に戻っていくことになります。集団生活は共にある世界との出会いだけに、ややもするとお友だちと遊べないとか、お友だちがいないことを保護者の方は気になさるし、保育者の方もちょっと一人で浮いてる、ポツンとしていることに気を止めることが多いかと思いますが、一人でいる姿が、お友だちもいるなかで一人でいるのか、友だち関係がないままにただ一人ポツンとしているのか、そういったところを見極めながら、保育者との関係、お友だちとの関係、さらには自分自身とちゃんと向き合うように少し揺さぶっていく…といった働きかけも必要になってくるのではないかと思っています。…

第6回講演会 子育てで大事なことって?~自分が大好きと言える子に~

~講演概要~

5月28日(土)、東京大学大学院教育研究科教授 汐見稔幸先生をお迎えして第6回の講演会を終えました。参加者約220人、ベアーズのホールに入りきれないほどの参加者でした。

“子育てで大事なことは~自分が大好きといえる子に~”をテーマにお話していただきました。お話の内容を少しだけお知らせします。子育てに大きく3つのポ イントをかがけてのお話。ユーモアを交え事例をあげながらわかりやすくお話して下さり、2時間30分があっという間でした。以下は園だより用に講演会のポイントをまとめたものです。

1つ目のポイント「子育ては親育ちでもある」について・・・

子育てをしていくことは同時に親が自分自身を育てているということ。赤ちゃんを産めばすぐ親になるというのではなく、親として子どもを育てているプロセ スの中で、少しずつ自分自身がうつわを大きくしていくのである。子どもが育つというのが半分、実は育てている親が育つのが半分なのである。赤ちゃんを“抱 く”ということひとつとっても、はじめは抱っこすることが怖い。それが半年ぐらい経つと“抱く”という行為を繰り返す中で、赤ちゃんの表情をみて、そのし ぐさで全部を感じとって「あぁこんなやり方はまずい、どういう言葉をかけて、どういう姿勢の時、気持ちがいいのか」がわかってくる。ここに親の育ちがあ る。子どもを育てるということは孤立した中て一人では育てられない。気軽に本音で話し合える人(夫であったり、友人であったり)を周りに作ることが必要で ある。そうすることによって子育てが楽になる。・・・・・というお話。この子を立派に育てるんだ!と頑張り過ぎず、“自分育て”と思って家庭と保育園と 一緒に子育てを楽しみましょう。

子育て2つ目のポイントについて・・・

2つ目のポイントは「子どもを善くみる」ということ。

子どもを善くみる能力を親自身が育てる。

見抜く能力を身につけることによって親として成長する。

日本人のお母さんが子どもに対して一番よく使う言葉は・・・・「早くしなさい!」

しかし、この言葉を使うことによって、早く出来るようになった例は一例もない。「早くしなさい」 という言葉の裏返しは、「おまえはグズな子」「おまえはダメな子」。「早くしなさい」という言葉を言い続けることによって「おまえはダメな子」というメッセージを送り続けているのと同じである。 子どもにとって、まわりの人の反応が“自分はどういう人間なのか”とみつめる鏡である。ならば、見守られている、愛されているというメッセージを送ることが大切である。 持って生まれた性格は簡単には変わらない。性格そのものを否定するような見方をせず、肯定的に善くみて、「いつも見守っているよ」「愛しているよ」というメッセージを送っていきましょう。

子育て3つ目のポイントについて・・・

3つ目のポイントは「体験することで感性を育てよう」ということ。 子どもを育てていくとき、あなたは、「頭のよい子」「こころが優しい子」「身体の丈夫な子」

どんな子どもを育てたいですか?という質問ではじまった3つめのポイント。

知識だけをどんどん詰め込めばたしかに頭のよい?子が育ちます。が、それは言葉をたくさん知っていて頭が良さそうに見えるだけ。たとえば、「森」を言葉で 知り、テレビや本の中で森を見ても本当に森を知ったことにならない。実際に森に行き、体で森を体験することで、はじめて「森」という言葉がどんなものを知 ることができる。

「心を育てる」のも同じ、心それだけを取り出して豊かにすることは出来ない。心を豊かにする体験をすることによって育つものである。たとえば、親切にして喜ばれたり親切にされて嬉しかったり・・・・。

本当に心豊かで賢い子に育てようと思うなら、いろいろな実体験をさせよう。

豊かな体験をすることによって、頭も、心も、身体も育つ。感性豊かに育むことができるのである。・・・・

汐見先生の講演会の様子は今回で終わりです。

次回のテーマは?お楽しみに!!

職員の感想文集です。

NO.1

「 講演の中で子育ての秘訣を聞き、子どもを善く見る能力を身に付けると言われたことがとても心に残りました。すぐにできそうですが、子どものいけないところや気になることばかりが目につき、実際、善い所というのは意識してみて、言葉にしてみないとなかなかできないことだと思います。日々意識して一人ひとりの善いところを見つけ、声をかけるよう心掛けてはいますが、まだまだ一人ひとりの子ども自身を見切れていないと反省する毎日です。禁示や命令口調ではなく、子どもが自信を持って行動できるような言葉掛けをしなければと改めて感じました。
もうひとつは体を育てる、いろいろな体験をすることが大切と言うのにとても共感がもてました。自分でいろいろなことを体験し、学び、同時に心も育って欲しいと思います。また、安心してできるよう、遠くで見守ったり時にはサポートしたり環境を設定したりし、成長していって欲しいなと感じました。
最後に、子育ては親育ちと言われ、そうだなぁと改めて感じましたが、母親が一人で抱え込まないよう、保育者も支援していかなければならないと思いました。また、保護者が安心して悩みを相談できる保育者になりたいと感じました。…