第8回子育てひろば21委員会講演会 演題 乳幼児の発達~子どもの社会性と気になる子どものこと~

平成18年7月1日(土)

演題 乳幼児の発達~子どもの社会性と気になる子どものこと~

お茶の水女子大学 子ども発達教育研究センター
教授 榊原 洋一先生


講師プロフィール

榊原洋一(さかきはら よういち)
御茶ノ水女子大学 子ども発達教育研究センター教授

著書

など(※著書にあるリンクはそれぞれamazon.co.jpの該当ページです。)


日本の子どもは世界の中で、少なくとも体の健康については世界一いい状態にあります。例えば、赤ちゃんまでにいろんな病気で命を落としてしまう乳児死亡率というのがありますけど、千人「おぎゃあ」と生まれた子どもの内、今、日本の子どもは3、4人命を落とすその程度、ところが世界の乳児死亡率の平均は、千人に対してどのくらい1才までに命を落としてしまうかというと、50から60、日本は3、4ですからそれに比べると20分の1位です。こうなったのも日本のお医者さんたちが頑張っていることがありますが、それ以上に一人ひとりの子育てに携わる親とか保育士さん幼稚園の先生、そういう人たちが子どもについての知識を沢山もっているということが、実はそういう良い状態になっている1つの理由です。明治時代は東京をみますと、日本でもだいたい1000人生まれると百人以上は亡くなっていて、10人に1人か2人は亡くなっていたわけです。今でも世界で一番状態の悪いアフリカだと国によっては5歳までに、だいたい1000人のうち200人が亡くなってしまう国があります。5人のうち1人は亡くなる。日本はそういうことはないわけです。ところが、今日のお話のメインにしようと思いますのは、最近の子どもたちは体の発達はいいけれど、心の発達がうまくいかなくなっているのではないかと言われています。それが本当かどうかもありますが、その中でも特に落ち着きがないとか、集団に入れない或いは、保育園、幼稚園だと指示がなかなか通らないお子さんというのが何か目立っている気がするというお気持ちを持っていらっしゃる方が増えてきていると思います。本当に増えてきているのかというのは、また述べようと思いますけれども、そういう子どもについてお話ししようと思います。

皆さん、子育てとか子どもの発達についてある程度セミプロの方もいらっしゃると思いますけれど、赤ちゃんの体ではなく、社会性、人間関係などがどうやって出来てくるのかについておさらいを最初にしようと思います。その後にそこがうまくいかない子ども達についてお話しようと思います。

=新生児=

赤ちゃんというのは、昔は真っ白な紙のようなもので、まわりの環境に合わせて、どんな環境にいるかで、全部が決まっていくと考えられていた時代がありますが、今は違います。従来の捉え方でタブラ・ラサという言葉が書いてありますけれども、これはラテン語じゃないかと思います。タブラというのは“板”で、ラサといのは“何も書いてない”です。英語だとブランクスレート、“何も書いてない板のようなもの”、そして子どもが育っていく環境で、まわりの環境の中でその子の性格が決まっていくという考え方があったのですが、今はどうもそうではないですね。すでに赤ちゃんとしてオギャアと生まれた時に、その子ども自身が社会、或いは他人、或いは世の中についてちゃんとうまく対応できるような体制が出来ている、とくに脳の中のそういうプログラムが出来ているという考え方が主です。いくつか例をお話しようと思います。

=新生児模倣=

例えば赤ちゃんの模倣は聞かれたことがあると思います。新生児模倣といいますけれども、生まれてから2、3日しか経っていない子どもと向き合って、口を大きく開けるとかベロを出すと、子どもはそれを見ているうちに、口がむずがゆくなったようにして舌を出します。これはそれを最初に報告したメルツォフさんという人がいい始めました。けれども最初は偶然だろうとみんな言って信じなかったのですが、自然に起こるよりずっと高い確率でそれが起こるのです。皆さんも0歳児保育をやっている方はやってごらんになるといいと思いますし、私もNHKの番組でこれを紹介したときに、やらせじゃなくてやろうということで、出なかったらどうしようかなと思いながらスタジオに来てもらった子でやったんですね。そしたら本番の場面で舌を出したら、子どもが出してくれました。私たちが人の真似ができるのはどうしてでしょう。右手を挙げて下さいと言って挙げることが出来るのは自分に右手がある、自分と相手が人の体つきが似てる、相似であることがわかるのですが、生まれてから2、3日の子どもは自分の体も見たことないし、顔なんてまだ見たこともないのにもかかわらず、目の前でお父さんとかお母さんが舌をペロっと出していると、出すわけです。説明がつかないのですが、そういうことが起こるわけです。人間の脳の中には回りの大人と似たような行動をするような回路があると思うしかないわけですね。

=顔への嗜好=

顔が好きだということも有名ですね。子どもたちはいろんなものを見ています。赤ん坊でも生まれていろんなものを見ますけれど、一番よくみるのは人の顔です。2、3ヶ月になると追視をします。よく追視をさせるために、ガラガラ・・・・ でやることがあって、ガラガラって音をたてながらやって、ちゃんと子どもは追視をしてますよって言いますけれども、音の方を向いているかもしれないですね。やるのだったら、音をさせずにすーっとやればいいです。でも小さいものだったら見ないことがあるので、そういう時にどうやるかといいますと、子どもをベッドに縦に寝かせて、顔を上から覗き込むわけです。向こうにとっては怖いかもしれないですけど、目が合ったところで私が『ズーー』と顔を動かすわけですね。そうすると絶対「なんだ!この巨大なへんなものは?」という風にちゃんと見ています。 ガラガラ・・・・ で追わない子どもでも、これでするとちゃんと見ています。「新生児は顔に対して嗜好がある」とファンツとかジョンソンという研究者が、一生懸命そういう研究をしています。それからおしゃもじみたいな人の顔の形をしたものでやるより、そこに顔が書いてあるものをジーと見ます。これは脳の中で人の顔を一生懸命見る部分というのがあるのです。視線を最初に見るのですね。どっちを見ているかなというのを見ます。私達の顔の面積、或いはその人の体の面積に対して、目なんてこんなに小さいですね。ところが生まれて、まだハイハイも出来ない子どもでも、見るとちゃんと視線を返しますよね。

私は電車通勤ですが、たまたま赤ちゃんを連れている人がいると、遠くから見るんですね。そうすると、4、5ヶ月の赤ちゃんでも離れたところにいるこのおじさんの顔をパッと見ます。そこから私は実験をします。絶対目を離さなさずにジーっと見ていると、子どもは変だなと思ってジーと見返します。そのうち、お母さんの方を見たりして…そこからが面白いですよ。また見ているかな?と思って見るんですね。普通の状況ではそんな変な人いませんから、もう見てないですけれども、私はジーと見てるんですね。しばらく見ているとそのうち不安になってきます。その位赤ちゃんにとって視線は大きいです。それを大人に対してやると変なことになるので止めた方がいいですよ。

それから、赤ちゃんは世の中とか周りにいる人、自分自身、或いは言葉を理解するための仕組みが子どもの中にあるといわれています。たとえば世界の理解で因果関係がわかる。因果関係なんて難しいですが実は子どもは分かっている。それは今いろんな心理実験をして、ある事が起きると、次にこんな事が起きるというのを、乳児に見せると理解している。それはどうして分かるのか…というと、聞くわけにはいかないですよね。5ヶ月の子に「今のどう思う?」って聞いてもわからないです。ところが心理研究者は一生懸命やっていて、子どもが理解しているかどうか知る方法があるのす。3、4ヶ月の赤ちゃんを座らして、 ついたて・・・・ があって、ボールを見せてコロコロっと転がすわけです。ボールがついたての後ろから出てくるとすっと見て、すぐに飽きちゃうんですけど、仕組みを作ってコロコロって転がしても出て来ないようにすると、「変だな・・」ってジーっとそこを見るのです。こういうふうな形で因果関係が分かります。

先ほど言いましたように、表情も分かる、言葉も分かる、こういう事は教わらなくても言葉を身に付けるような仕組みが脳の中にある、これは因果関係の理解です。私はこれをテレビでやろうと思って、お座りが出来るような子についたての前に座ってもらって、上からビデオで写してもらいました。どうしたかと言うと「ボールを転がすよ」と言って、ボールを子どもの前に転がし、ついたての後ろで隠れます。すると子どもはボールが出る前に反対側を見るのです。当たり前のことだけども、子どもはボールが転がって、この後ろを通ると、ここから出てくると前もって理解しているからこういう行動ができるのです。犬でやるとどういうことになるかと言うと、ボールが出てくると見ますが、出てから驚きます。人の場合は前もって理解している。ですから、人間の子どもっていうのは物の運動がわかるというように言われています。こういうことが教えなくてもある程度わかります。

=人の理解=

顔が大好きです。人の顔には3つの情報が書かれています。3つの情報とは何かといいますと、1つは視線の方向です。自分を見ているのか横を見ているのか。3、4ヶ月の赤ちゃんでそれに気が付きます。2つめは表情です。にこにこ笑っているのか怒っているのか泣いているのか。私達は人の顔を非常に敏感に見て取れます。4、5ヶ月の赤ちゃんであやすと笑うようになる社会的笑いが出来るその頃から出来てきます。3つは個人識別です。この人はお母さん、お父さん、田中さんという識別です。ですから私達にとっては人の顔の中には、その人がこっちを見ているのか、どういう表情をしているのか、知っている人なのか知らない人なのか、男の人なのか女の人なのか、私達は日常生活の中で瞬時に判断しているわけです。子どもの場合は視線に気が付くのは2、3ヶ月、表情がわかるのは4、5ヶ月、そして個人識別ができるようになるのは、皆さんよく知っている人見知りです。ですから、最初の1年間で私達にとって非常に重要な人の顔に書かれている情報が子どもは基本的に読めるようになります。

私達はコミュニケーションというと言葉だと思っていますが違います。本当は顔つきとか視線とか、知っている人か知らない人か…私達が一般の場所でその情報を使っているわけです。たとえば、こちらをジーっと見つめて怒った顔の知らない人が来たら、私たちは普通逃げるわけですよね。それが、自分が好きな人がニッコリ笑って近づいてきた場合には、こっちから近づいて行きたいです。同じように、怒って知らない人がこちらに向かって来ても、視線をみたら隣の人を見ている場合には、私たちはこっちで何か起こるかなと思うわけです。非常に重要な事ですけど、これが教えなくても1才位までに出来るようになります。

=自分の理解=

自分自身についても赤ちゃんは知らないうちに理解していきます。私達は自分に手があって動くなんて当然知っているわけです。どこで身につけているかといいますと、実は乳児期に自分の手を見ていることがあります。これはどういう意味があるかというと、今、目の前で動いているものはなんか変だけど、手を動かしている感覚も頭の中にある…なんか変だな…自分が思うと、動くぞと思うことで自分に体があるという事に気がつくと言われています。

=言葉の発達=

言葉もそうです。お子さんが言葉を覚えていく或いは、言葉で指示が入る入らないは本当に大きいことだと思いますが、言葉というのは基本的に全く教えなくて身に付くというのは知っています。たとえば何にもしないでも声の方を向いて喃語が出て、だいたい1才前後で言葉を喋るようになります。これは個人差があります。ゆっくりの子もいれば早い子もいます。教えた訳でもないのに、「まま」とか「だだ」とか言います。私の先輩にご夫妻で小児科の先生をされている方がいて、お二人とも当直かなんかで忙しく、おばあちゃんに子どもを見てもらっていました。この間初めて言葉を言ったって言われるので「なんて言ったの」って聞いたら「電気」って言ったって…。寝かされてばっかりだったのかなと思いましたけど、そういう子もいますが、個人差もありますけどいろんな言葉をしゃべります。だいたい単語が350位出てくると、2語文が出てきます。2才前後で2語文といいますけれども、これはむしろしゃべれる単語の数がある程度になってくると、それを組み合わせて使うようになります。2語文しゃべろうにも3つしか単語を知らなければ、2語文はしゃべれないわけです。そして助詞を使うようなります。助詞も3才から4才になると初めて、「が」とか「は」を入れるようになります。それもみんな教えなくて子どもは気が付きます。だから「が」は格助詞で、「は」は副助詞で違うんだよなんて、誰も教えた経験がなくても使うようになります。最初は「ワンワン来た」とか「おんも行く」「ぶーぶーちょうだい」など助詞を使わないです。ところがある時ふとその間に何か入れるという事に気が付く訳です。そこで「ぶーぶー  を ちょうだい」と言うようになります。それは本人が決めているのです。ですから日本中どこでも同じ誤りを子どもたちはやっているわけです。園庭で転んで血が出ると「血が出たな」と言います。みんな「血が」「出た」と覚えるわけです。私の娘も4才になったばかりの時に、「パパ、パパ 血が が 出た」と言っていました。そこで、この赤いのは何て言うか知ってるかと聞くと「血が」と言っていましたから、「血が出た」「ワンワン来た」そこで気が付いて「血が が 出た」これはすごい進歩です。つまりそこで助詞に気が付くわけです。「血が出た」以外で、この間大学で講演した後に、学生さんがアンケート書いてくれて、“私は「蚊に に 食われた」と言っていました”とありました。「蚊 に くわれた」「蚊に に くわれた」他にあったらまた教えて下さい。

=言葉の発達のメカニズム=

そういう具合に言葉も自然に身に付いてきます。これも難しい話は今日は申し上げませんけれども、言葉も全部材料を耳に入れて、文法を覚えていくわけではなくて、どうも頭の中の物事を考える働きが、言葉の構造と非常に似ているとチョムスキーさんという方が言い始めたんですね。ここにある普遍文法というのは、世界中に6000くらい言葉があるそうです。その言葉の基本的な構造を言語学的に組み立ててみると、共通のルールがあり、全部同じだそうです。日本語と英語で共通のルールと言われても、私には良く分かりませんけれども、言語学的にそのようです。その事でチョムスキー氏は、“どうも言葉というのは、1つ1つの単語(パーツ)は違うけれども、それを脳の中で組み立てる時に、多分、一定のルールになるということは言葉というのは脳の中に、ある程度プログラムされている人間のコミュニケーションの基本的なものだろう。”と言ったのです。

=チョムスキー説を支える事実=

その事でチョムスキーさんが言っているピジン英語というのがあるのですが、どういうのかというと、植民地があった頃に、例えば、イギリスの英語を喋るボスがいて、ゴム園とかコーヒーのプランテーションで地元のたくさんの人たちを雇うわけです。みんな住み込みで家族ごと農園の中に住んでいて、そういう地域では、村が違うと言葉が違うことが多いわけです。ニューギニアっていう島がありますが、そこには350の…もっとかな?まったく違う言葉があります。そういう人たちが、雇われ主と喋る為に、英語の単語を片言で喋っています。ところが家に帰ると現地の言葉を使って、奥さんや子ども達と話をしている。隣の家では英語では通じるけど、やっぱり自分達の言葉で喋っている。その人たちの親はそれで止まりで、その部族の言葉を使っています。子ども達は群れていて、おじさんおばさんの言う事は分からないけど、その子ども達と話すにはどうするかというと、共通にあるのは、英語の単語しかないのですね。そうすると英語の単語を合わせて、ピジン英語を作るのだそうです。それは、単語は英語だけれども、文法は子ども達が勝手に作り上げて、ローカルな文法を作っちゃうわけです。そういう例が沢山知られています。チョムスキーさんはいくつかの地域で使われているピジン英語を集めて来て、文法構造をみたら、全部共通のルールにのっとってるんですね。子ども達が自分達の中で作りあげたルールも、実は文法のルールにある。言葉というのは脳の中の活動がそのまま出たものである。例えば最近は、言語遺伝子のある遺伝子がないと言葉の文法がうまく出来ないと言われています。

=遺伝する文法遺伝子=

ここにゴプニックという方が報告した、Foxp2いう遺伝子が無い人達は英語の時制変化ができない。複数と端数がよくわからない。言葉も脳の中にそういうことを支える仕組みがあるということですね。

=子どもの言葉の発達=

子どもはだんだん言葉を貯めて、5、60の言葉の意味がわかると初めての言葉を出します。言葉の数が300から350になると二語文になります。その後、助詞が伝わるというふうになって身につけていくわけですが、これは非常に個人差があって、何にもしなくても、実は子どもは言葉を聞きながら覚えていきます。みなさんも子どもに話しかけた方がいい、読み聞かせをしましょうといわれ、読み聞かせ運動ってありますよね。ブックスタートってありますけど…、たくさん話かけないと言葉が遅れるのではないかと思われますがそんなことはないです。どうしてかと言うと、お家とか保育園、幼稚園の自然の環境の中で子ども達がさらされている言葉の環境っていうのがもともと豊かです。アメリカで20家族に子どもが初めての言葉を喋る頃の11ヶ月から3才までの間、2週間ずつ時々時間をおいて、家の中の何十箇所にもマイクを置かして頂いて、その子どもに聞こえている言葉がどのくらいあるかという、すごい研究をされました。ボランティアの家庭は、今日はマイクがONになっている日っていうのは、たぶんお父さんもお母さんも喧嘩できないねっていう話でしょうけど…。それをやって研究していた人が驚いたということに、アメリカの平均的な家庭で子どもは寝る時間も起きている時間も押しなべて、1時間に平均500から700語の言葉が子どもの耳に入っている事がわかったのです。すごいですよ。もちろんその子どもに話されているものばっかりじゃないですよ、頭越しに言葉が飛んでいるようなのも実は聞いているので…そのくらい言葉の環境っていうのは豊かであるということがわかっています。

=初めての言葉(1)(2)=

ここに出ていますね。初めての言葉(1)ですが、最初はママって言って、いろんな言葉を言っています。初めての言葉(2)は別の子です。7ヶ月でヨイト!って言っていますね。すごい元気ですけれども、おんも、おててなど言っています。

=語彙の急速な増加=

これは子どもっていうのはいつ、いくつ言えるようになったのかというのを書くと、直線上に増えるではなくて、突然爆発的に増えていくのがわかります。どうしてこんなことが出来るのかというと、どんな環境でも実は子どもっていうのは1時間に500から700の単語、これは英語ですから、wordsなので日本の場合ちょっと違うと思いますが、その位豊かに言葉を聞いているのですね。だけど、ご両親とも聴力障害がある家庭なんかでは非常に少なくなるので言葉が出ません。それからお母さんが鬱(うつ)傾向のお子さんは言葉の数が少ないことがわかっています。これは単語の数だけで言うといくらでも後になってから増えてきます。今日そのお話をすると、さらに3時間増えてしまうのですが、言葉には臨界期があります。自分の母国語を覚えるにはいくつまで、バイリンガルになるためにはいくつ位の時っていうのがありますけれども、単語、語彙については実は臨界期はないです。50歳でも60歳でも頑張って新しいことを覚えれば覚えていきます。それは私たちが、転職してその業界用語は覚えますから…単語の数にはそれほど臨界期はないですね。いずれにせよこの表のようなこの位のスピードでいきます。新しい単語を覚えていくのは、子どもの場合は5、6歳の頃が一番ピークです。平均して2時間に1つずつ新しい単語を覚えていきます。「私達も2時間に1つずつなんて出来ますよ~、だって、中学の時に前の日に50個単語を覚えて、ちゃんと英語の試験にパスしたよ」と思われるかも知れないですが、そういうのは普通は試験が終わると全部忘れているわけですよね。ところが2時間に1つずつ言葉を覚えている子どもは、それが一生身に付いているわけです。私達は5、6万語の言葉を理解できるわけですけれども、それは私たちが、小さいときは言葉の天才だったのですね。2時間に1つずつ楽々と覚えられたわけです。私も50歳を超えると、1週間かかっても覚えられないことがあるのに、子どもの頃はそうだったのですね。大事なことは教えなくてもいいよ。子どもは耳をすましているぞって言うのは事実です。だいたいお家の中で使っている言葉というのは、知らん顔しながら一生懸命聞いています。そして家の中にマイクをたくさん置いた研究で、もう一つ分かったことは、聞いているだけでなく、誰もいないところで、子どもは新しい言葉を時々小さい声でささやいて出しているらしいです。どっかで、“ワンワン”と聞いた言葉を、子どもは寝ているときに、“ワンワン”って自分で言っているんですね。私達がいるところでないから分からないわけです。実は子どもはそうやってリハーサルもやっている。特に初めて聞いた音についてはそれをやるみたいです。“デンキ”には「デンキ、デンキ」ってたぶん言っていて、どんどん増えていくのです。と言うように、子どもは非常に敏感に聞いています。

=言葉の発達と個人差=

これは男の子と女の子の語彙表出数が出ていますけれども、24ヶ月で平均をみると300くらいですね。だいたいこの位の数になると2語文が出るぞということです。しかしどんどん増えていって、2才半でも500くらい言うようになる、非常に優秀な言葉の学習者であります。ところが大事なことは、発達を見る時に大切なことは、発達は非常に個人差があるということです。

個人差はとても大事なことで私達が見るときに、その子どもは定常発達の中で個人差にあるのか、もしかして個人差を外れたところにあるのかは、私達医者なんかは注意しなくてはいけないです。もちろん、子どもを相手にしている人たちもそこをきっちりと見なくてはいけないですね。それが、「ちょっとこの子は言葉が遅いね」なんてちらっと言うと、親御さんは「えっ~」と思うわけですけれども、遅い子もいるわけです。遅いからその子の到達する最後の言葉の能力がいいという証拠は全くないです。これは早期教育なんかもそうです。早くやった方が本当にいいのかっていうことが言われていて、早くやったら後まで残るような能力がつくっていう証拠はないです。みなさんの中で、もしやっていたら申し訳ないですが、フラッシュカードってありますよね、2、3才の子がフラッシュカードやると、先ほど言ったようにみんな2時間に1個単語を覚えるような能力があります。敏感な時ですね。フラッシュカードの中でも、黒い玉の数を当てるなんていうのをすると、パッと見ただけで、「はい、17個」とかね、パッ「16個」とわかるパターン認識ができるのです。これはもちろんそういう能力があるわけです。親は喜びます。うちの子凄い、ピッ「32個」なんて一瞬にわかる。そのくらいの能力があるわけです。しかし、大事なことは、その能力がある子どもがそういうことをやることによって、将来何か…、その子がたとえば10才になった時に何らかの能力を伸ばすことに寄与している証拠はないです。私もちょっと悪口書いて、ドットカードをやって大人になって何かいいことあるかというと、日本野鳥の会でパッと数えられる…野鳥の会の人がいたらすいません。(笑)そのくらいしかない。あるいは紅白歌合戦でどっちが…ってね。昔はやってましたね、あの時は役に立ちますけど…。ですから子どもの非常に敏感な時期があるのは確かですが、そのことがあるトレーニングしたりすることで、後まで残るかどうかは分からないです。今日はポイントとしてお話しますが、この時期はもともと非常に敏感で能動的に物事を覚え、周りのことを知る力があるんだというのが一番重要なところです。

=顔認知の意味=

たとえば視線がわかって、顔がわかって、そして共同注視、一緒に物を見るそしてその先に人が自分と違うことを考えている、人は違う考えを持ってますよっていうのが心の理論。心の理論っていうのはマインドリーディングと言いますけれども、社会性の一番重要なところです。自分が考えていることと、みんなが考えていることが同じだったら、社会関係なんてなんにも問題が起きないわけです。それは、自分が考えていることは人も考えていることですよね。例えば、群れを作っている魚っていうのは、考えているかどうかわかりませんけれども、一匹がピッと横行くと、みんなバッと向きを変えて群れで動いていますね。人間の社会生活は違うわけです。自分がこう思っても他人はそう思わない。自分が好きなものであっても他人は好きではない。これが心の理論です。心の理論っていうのは実は4才位で分かるようになるようです。4才以下の子どもっていうのは、自分が考えていること、周りが考えていることの区別がつかないと言うか、だいたい自分が考えることは、他の子も考えると思っているようです。心の理論っていうのは、他人がどう思っているかというのを類推する力です。

たとえば、猿にそういうのがあるのか実験をします。猿が大好きなバナナを猿がいる10メートル位先に2本置いておきます。その1つのバナナの後ろには人が立っていて、バナナをジッと見ています。もう1つのバナナは、やっぱり人が立っていますが、バナナを見ていません。猿はどっちに取りに行くでしょう。皆さんのご推察どおり見てない方に行きます。この実験で何が解るかというと、猿に心の理論があるという結論になるのです。どういうことかと言うと、何故、見ているほうのバナナには行かなくて、見ていないほうに行くかというと、私達人間にとって当たり前ですが、見てるほうに行って取ったら、あの人は自分が取ったのを見て、捕まえに来るかもしれない。こっちの人はずっと横見ているから、気が付かないだろう。それはそこに立っている人の頭の中で起こっていることを類推している訳です。それが人間の子どもが出来るようになるのはだいたい4才です。それは実は躾に非常に重要になります。

例えば、躾でも「それをしちゃいけません」っていうのは、直接的躾です。直接でない躾というのは、日本は特に子どもに考えさせようというのが多いわけです。大きくなれば“胸に手を当てて考えてみろ”とかですね“他人の迷惑を考えてみろ”これは他人の気持ちを推察させるわけです。これは4才までの子どもにとっては難しいです。「そんなことしたら、〇〇ちゃん大変だって、考えてごらんなさい」って言われても3才くらいの子は“他人が考える…どういうこと?”って分からないですね。やはり直接的な躾が2、3才の場合はどちらかというと有効です。あんまり間接的に言うと難しいです。ところが中国の北京の幼稚園に日本の子どもさんを通わせている日本の主婦の方が、向こうの幼稚園はすごい直接的で、「静かにしなさい」とかね「黙りなさい」「走り回らない」ですね。それで非常に日本の幼稚園での躾を良く思って、北京の先生に文句を言ったそうです。「日本ではもっと本人に考えさせます。」ところが向こうの先生は「どういうことですか、わかりません」と言われ「日本ではちゃんと子ども達に考えさて躾をしています。例としてあげますと…」とそこで日本の方が言ったのは、がやがや騒いでいる時に北京では「静かにしなさい」と言うけれど、日本の幼稚園では「ここではアリさんの声でしゃべろうね」って言うのです。これは大変難しい話です、でもここは象の声で、アリさんの声でというのは頭の中を使わないとわからないですよ。だってアリの声を聞いたことがある人いないでしょ。だけどアリさんの声というと、アリは小さいその声は小さいって類推しているわけです。しかし、そういうことというのは、実は頭を使わないと出来ないので、年齢が小さい時はある程度直接的なほうがいいようです。これは最近の脳科学というので分かっています。

=体の動きを見たときの脳活動部位=

これはグローブみたいな脳ですけれども、例えば人の顔を理解しているのは、グローブでいうと親指にあたるところに側頭葉っていうところがありますが、側頭葉の部分に人の表情とか顔などを理解するところがあるということが分かっています。

=乳児のこころの発達の表出=

私達が子どもの発達を見ているのは、赤ちゃんの心の発達、精神の発達が、もしかすると少しゆっくりしているのかなと思う時は、実は今まで言ってきた子どもの豊かな人に対する反応、人の様子をみたり真似をしたり、感心を持ったり、或いは言葉を覚えていく。こういうことが上手くいかないというところを見て、この子はもしかしてゆっくりしているのかもしれないというように推察するわけです。大人の場合にはむしろ、その人がご老人なんかの場合、認知症になっているのかなと思うとお話をして「今日はいつですか」「あなたのお名前はなんですか」と聞くと、この人は判ってないなと判断しますが、子どもの場合は出来ないのですね。行動から見ていくので、たくさんのお子さんを集団で見てる方たちというのは、基本的に2才児は“こんなもんだ”っていうのは皆さん頭の中に入っていますよね。その中で2才児のまぁ普通このくらいまでは2才児だけれど、この子はちょっと2才児としては…とたぶんそういうのに気が付かれると思います。これは非常に重要なことです。これはみなさんの中にある意味たくさんの標準的な子どもを見たという財産があるので、そのものさしの中で見ることが出来ます。特に心の発達ということで、落ち着きがなかったり、指示が入らない子どもたちというのが、最近、社会的に注目されているわけですが、幼稚園、保育園の先生方がもしかすると、そういう事に一番最初に気が付く人達である可能性があるということをこれから申し上げたいです。

=乳児の豊かな社会性=

私達は子どもと対面して話をしましょう、目を見て話をしましょう、といいます。子どもは目を見て話をすると一生懸命こっちを見て聞くわけですれども、そんなことをしなくても、子どもは周りにいる大人の顔をよく見ています。これはスティル・フェース実験といいます。これは乳児と保育者またはお母さんがしばらく普通に遊びます。向かい合ってもなくてもいいです。同じ部屋の中で遊びます。たとえば7、8ヶ月の子どもがお座りをして遊んでいると、後ろに誰かが座っている。その時にどういうことをするかって言うと、普通に遊んでもらって、10分遊んだ後にちょっと保育者またはお母さんに5分間スティル・フェースをしてくださいという指示を出します。スティル・フェースというのはスティール写真のスティル。動かない顔です。ですから、私達は表情がありますがその間表情を止めるわけです。視線も止めます。その時に子どもがどういう反応をするかを見ます。まだハイハイもしていない子どもも、時々自分の周りにいるお母さんとか、保育者の顔をちらちらっと実は時々見ているのです。遊んでいて居るだろうなぁってピッと見た時に、そこに顔が止まった人がいるわけです。そこからがおもしろいです。これはビデオで見ましたけど、一番ある反応は、驚いて行くんだけど何にも動かないので、そこで「ぎゃー」と泣く。中にはですね、果敢にも立ち上がって、顔を触ってこうやって、ぐーっと顔を動かそうとしたりするのです。そのくらい周りの顔を言われなくても見ているのです。聞いているっていう話は言いました。子どもは一生懸命聞いています。そしてまわりの保育者のお母さんでも、保育士でも、幼稚園の先生でもお父さんでも顔を時々ちらちらと見ているんだぞという事です。このことは非常に大事なことです。ですからこれはいつもニコニコしている必要はないですよ。しかし私達の豊かな顔の表情を子どもは時々モニターしている。いうことです。保育の時に何をやろうか、何を教えようか、何を読んであげようかというときに、やはりイキイキと感情を顔に出したり、ちゃんとお話をするということが大事で、保育の一番基本に従っても黙って能面のままでやったら、子どもは反応が変だなと思ってしまうということが解っています。

=こころの発達の障害=

私が専門にしているというのは子どもの神経ですが、30年前に医者になった頃は、子どもの神経の病気っていうと3つの大きい3大疾患というのがありました。1つは「てんかん」です。今非常に多いです。もう1つが、今は減ってきていますが、「脳性麻痺」が沢山いらっしゃいました。そして3つめが、いろんな意味での大人でいうと認知症といいますけども子どもの場合は精神遅滞、あるいは知的障害。これは1つの病気っていうわけじゃないです。この3つの病態のお子さんたちが小児神経のところに沢山いらっしゃるわけです。もちろんキンジストロフィとか脳腫瘍とか他のお子さんもいますけども、その3つがすごく多かったです。特に「てんかん」というのは子どものだいたい1%ぐらいいます。100人に1人ぐらいいるわけですね。非常に多いです。ところが、最近は発達障害のところの自閉症、注意欠陥多動性障害、学習障害、学習障害は小学校に入ってくらいから判るようになるわけですがこれが非常に多くなっています。多くなっているのは増えているという意味じゃなくて、外来に来るお子さんの中で多いです。

=広汎性発達障害=

たとえば、その中の1番最初にあげたのは広汎性発達障害。これは自閉性障害といってもいいし、自閉症スペクトルともいいますけども、自閉症に類するものです。これが実は最近多くなっているというように感じられています。私が医者になった頃は、自閉症というとだいたい1万人に何人かという書かれ方をしていました、ところが今から15、6年前にある国際学会で話を聞きましたが、日本の名古屋の先生がきっちりとした調査をして自閉症の人がどのくらいいるかということを調べたら、1千人に1人もいるのです。子ども全体ですよ。その事が学会の話題になりました。「自閉症結構多いよ、千人に1人」。私もそれを覚えていまして、千人に1人か、てんかんの10分の1位かなと。ところが最近はこの広汎性発達障害、PDDと書いていますが、全部で4つあります。その中のメインなものが3つです。「Reett症候群」というのは最近遺伝子異常がわかりました。もう今は考えなくていいと思いますが、「自閉症」と「アスペルガー症候群」これからちょっとお話しますが、これがですね、最近はだいたい150人に1人じゃないかとか、100人に1人ぐらいが広い意味の広汎性発達障害、つまり自閉性障害であろうと言われています。だから30年の間に1万人に数人が、千人に1人になって、それが100人に1人になっています。日本だけのことかと思っていたら、アメリカでもそうであり、この間、アメリカの自閉症の専門家の先生が来て講演をされたのですが、アメリカでは自閉症は150人に1人だと言われていました。

=自閉症=

自閉症は皆さんご存知だと思いますが、子どもの発達障害の1つで、生まれつき特にコミュニケーション、言葉の発達が非常にゆっくりしている、或いは言葉が出てこない子もいます。そしてある物とか、特定の場所とか、特定の行為に対する非常に強い執着や好みがあります。逆にある状況とかある場所とかある物に対してすごい嫌がって逃げてパニックになったりします。例えば、大きな音がすると耳を押さえて、逃げてパニックになったりします。例えば着ている物の材質がある1種類のものじゃないと嫌で、洋服も着たがらないとか、靴を履きたがらない。非常に過敏なところがあります。今は生まれつきであるし、沢山の遺伝子が関係しているであろうと言われていますが男の子に多いです。この後にお話する多動性障害も実は男の子に多くて、不思議なことに比率が自閉症も注意欠陥多動性症候群もだいたい同じで、4~5対1です。男の子に多いです。なぜそうなのかも解っていません。男の人と女の人の基本的な生物学的な違いは性染色体が女性の場合XXで、男性の場合XYと基本的にはそこが違いますがその差では説明が付きません。だって女の子にもいるわけです。もう1つは男の子っていうのは、胎児の時に男性ホルモンが非常に高くなる時期がありますが、その時に脳には男性ホルモンに対するレセプターっていうのがあって、少し行動が変わるといいます。ですから、皆さんも実感があると思いますが、男の赤ちゃん女の赤ちゃんでいうと、見かけは同じですけども、泣く量は男の子がちょっと多いとか、笑うのは女の子が多いとかの研究もありますね。そういうふうに少し対応の仕方が違うのですが、もう1つ大事な事は自閉症について専門家の中で解っていることは、生まれつきの素因があります。母親が上手く愛着関係ができないとか、手を抜いて育ててるとかそういう事で発症するのではないです。もちろん、もともと自閉的な子どもを手を抜いて育てるとそれがちょっと強くなることはあると思いますが…。生まれつきであるし育て方で出てくるものじゃないと言われています。最近はちょっとお話しました心の理論、他人の心を類推する力の発達が十分出てこない、生まれつき出てこない子が自閉症である。というように言われています。

=自閉症の症状=

この自閉症が全部にあるのは、言葉がゆっくりしています。言葉には非常に個人差があります。それは先ほど申し上げたとおりです。しかしその個人差の中でもやはり言葉が3、4才になっても出てこない。言葉が出ないだけじゃなくて、言葉の理解も充分ないし、先ほど言いました、私達は基本的な人間関係は言葉じゃなくて、その人がこっちを見ているかとか、どんな顔をしているかそれで判るわけですね。そういうことの理解、言葉以外のコミュニケーションも難しいわけです。私達も対面していて、相手が怒っているなと思ったら静かにしてますし、相手が楽しそうだったらこっちも楽しそうに出来ます。実は自閉症のお子さんのいうのは、それがわからないですね。言葉の理解も上手くいかないし、それ以上にその場所の雰囲気、他の人がかもし出している雰囲気もわからない。例えば、この部屋に誰かがふっと入って来て、ぱっと見ればみんな静かに聴いているなと思って静かになるわけです。みんな静かになれって言っていないけどわかるわけですね。ところがそれがわからなくて、ここに入って来ても、「みんなで歌を歌おうよ」なんてピョンピョン走り回ったりしてしまうのです。そして感覚過敏が結構あります。そして自閉症の場合には8割の子どもに全体的に理解の遅れなんかがあると言われています。

=自閉症(Autism)=

今の繰り返しになりますけど、これは大体50年位前に、レオ・カナーさんと言う人が言った3つの特徴があります。言葉が遅れること。対人的相互作用の障害、そして象徴的、想像的遊びが出来ない。非常におもちゃの遊び方なんかも独特な遊び方、タイヤだけ触っているとか、見ているとかそういう特徴があります。私達小児科の立場から申しますと、結構てんかんが多いです。15%くらいの子にてんかんの発作がありますし、脳波を撮ると大体50%くらいにてんかん性の異常が出ています。

=自閉性障害の診断基準=

これは診断基準というのがあるので、先ほどの繰り返しになりますが、DSM―Ⅳというのがありますこれは、精神疾患の診断基準が書いてある本ですが、1番目の1つは目と目で見つめ合ったり、顔の表情、体の姿勢ジェスチャーなど感情表現を、読み取ったり理解する非言語性行動つまり私達が人の顔を見て様子がわかったり、その人がどう思っているか見取る力が少ないですね。ですから自閉症のお子さん、自閉的なお子さんを診る時に私達が一番最初に考えなくてはならないことは、集団に入って来られない、指示が通らない、ああ問題がある子だと思っちゃうわけです。それは私達にとってはそうですけど、その子どもたちはわざと指示に従わないのではなくて、指示がわからない、そこがかもし出している雰囲気が本人にはわからないのです。どうしていいかわからないって感じでパニックになってみたり、走り回ったりする。そのことを理解して対応してあげることが、必要になると思います。そして人と共感することが出来ないのですね。みんながわーっと楽しそうにしてれば、なんとなく楽しくなるのが私達の特徴です。それは最初に話しました、新生児の模倣にあるように、私達は他人と同じように合わせるというのが実はもともと持っている基本的な能力としてあるわけです。もちろん他人が喜んでも、自分は喜べないというのはありますけれども、多くの場合、自分自身が何にも無い時、他人が喜んでいると普通は楽しくなります。ま、複雑でね、他人が喜んでいると嫌になることも、いろんな状況の中でもちろんありますけれども、嫌な人が喜んでいると嫌になりますよね。そういう時もあります…。

2番目はですね、言葉の遅れがあるということです。しかし不思議なことに自閉症のお子さんでも大体2割の子どもは知的な遅れがないお子さんですから言葉は出てきます。いずれ出てきます。コミュニケーションが出来る様になります。しかし言葉の裏にあるニュアンスが取れないです。いろんなところでお話していますが、言葉というのはその中に書かれた文字が伝えている意味の裏に、その言葉がしゃべれる状況とか、或いは言葉の喋り方、イントネーションでその裏に情動、気持ちを伝えるわけです。いつも例に出しているのは、ボーナス日に早めに5時に帰って「ただいま」というと家内が「おかえりなさい」ってもうすごく嬉しそうにおかえりなさいって言うわけですね。私に対してか、この給料袋に対してか分からないまでもね…。ところが同じ状況で「ただいま」って帰るのが夜中の2時に酔っ払って帰って、たまたま起きていると低音で「おかえりなさい」という訳です。同じお帰りなさいですけど、感情は360度…いや、360ではないですね。180度違うわけです。そういうふうに感情が入っているわけです。ところが自閉性障害の人は後ろの感情が分からないのです。でも言葉がしゃべれるようになってきた、自閉症の子どもはどうなるかっていうと、言葉の中に書かれた論理的な意味は分かるけど、感情がわからないです。ですから、同じようにしゃべっていても、感情が伝わらないのですね。実は私たちはお話をする時に、言葉には感情を込めて、もう一つは言葉を使うときに全体の流れの中で疑問文を使って、相手を非難したり、相手に指示を与えたりします。例えば「いい子はどうするのかな?」疑問文です。しかし、それを言われると、なんか怒られているなって大抵気が付くわけですね。これがわからないのです。そういうような特徴がありますね。例えば、ごっこあそびができないとか感情移入ができないという特徴ももちろんあります。

3つめはあるもの対する執着、おもちゃの遊び方に非常に独特な遊び方しかできません。部分にこだわって全体が見えないということがありますね。私が診ていた子じゃないですけど、自閉症の子ですけど、非常に人の足の大好きな子がいましたね。私がその子とキャンプに行った時に、座っていて足がもぞもぞするなと思ってみたら、私の足を触っているのですね。その子はそれが好きなんです。どうしてか理由はないけれどそういうものが好きだというのがあります。物体の一部に持続的に熱中するというものです。

=高機能自閉症とアスペルガー症候群=

実は最近アスペルガー症候群という名前を聞いたことがあると思いますが、アスペルガー症候群というのは、自閉症の中で知的な遅れがない。そして言葉の遅れもあまり目立たない。更に非常に物に対するこだわりなんかの程度があんまり強くない。そういう子どもたちとほぼ同じと思っていただいていいと思います。ということは、どういうことかというと、言葉はしゃべれます。物に対するこだわりもあるけれども、それが日常生活を大きく、そのために支障がくる程ではない。結果として例えば、幼稚園、保育園、学校にいらっしゃる。こういう子どもたちが先ほど言ったように、150人に1人、200人に1人とかいらっしゃるわけですね。この間に少し差がある高機能自閉症という知的に高い自閉症と、アスペルガー症候群というのは同じだとか違うとか議論がありますけれども、あんまりその辺はこだわらなくていいと思います。こういう子ども達は、他人と共感できない、その場の雰囲気が読めない、そしてコミュニケーションが取れない子ども達であるということです。これはアスペルガー症候群の診断基準が書いてあります。後で見てください。自閉症と同じです。ただ、言葉の遅れというところがないだけであとは同じ言葉で書かれています。

=米国ミネソタ州での自閉症障害=

この表は、アメリカで自閉症と診断がついた子の左端が1980年、25年前です。右端が2002年、この間にこれだけ増えたということです。これは発生率が増えたのではなく、アスペルガー症候群とかそういう自閉症の症状が全部揃わないお子さんに対しても、自閉性障害そういう名前をつけるようになった為であろうと、これを発表した研究者の人も言っています。しかし、中には、そうじゃない本当に増えたのかも知れないと言っている人もいます。

=自閉症スペクトルム=

日本では2002年に文部科学省が日本中の三百いくつの小学校と、中学校の先生にお願いしてチェックリストを持って行って、自閉的な障害或いは多動性障害そういうもののお子さんがどのくらいいるか調べました。するとだいたい0.9%という値が出ました。これはもちろんお医者さんがやってないので、多少違うかも知れませんが、0.9%ということは100人に1人位ですね。つまり100人に1人の子どもはそういう子どもがいるよということです。小学校に入ったとたんにそうなるわけではないので実は、保育園、幼稚園にいる時からそういう傾向はあった子どもたちが小学校で確認されたということなのですね。そういうことで、特別支援教育という考え方が出て、対象になるのは障害のある人全部ですけれども、特にこの自閉性生涯、多動性障害、学習障害この3つをあわせると、6.3%の子どもがそういう特別な支援が必要な子どもだという事がわかったわけです。学習障害というのは、読み書きが上手く出来ない子どもなので、もしかして保育園、幼稚園ではそれほど大きな問題にはならないと思いますが、それを除いた、落ち着きのない子ども、社会的な人間関係が出来ない子どもを合わせると3~4%。30人に1人位はそういうお子さんがいます。もちろん子どもの上手くいかないのは、情緒が安定しないなどで最近問題になっているのは、お家でネグレクトになっている子ども達っていうのは、独特の症状があると言われています。ネグレクトはそれだけでもテーマになります。いわゆる虐待の1つですが、アメリカでも日本でも今、虐待の中でも身体的虐待も増えてはいますが、ネグレクトが非常に多いだろうという事です。これも実は、保育園、幼稚園で気がつかれる場合があります。自閉性障害も最近は少子化でお母さん達も、子ども達を沢山見ていないから、子どもはこんなものかな…と思っていらっしゃる方もいるわけですね。特にアスペルガー症候群のようなそれほど顕在化しないような場合にはこんなもんかな…と思って、保育園、幼稚園に行ってみると、保育園、幼稚園の先生は沢山同じ年代の子どもを見ているわけです。だいたいこの辺が標準で、この辺位までは結構いるよっていうのが大体分かっているわけです。その中で、やっぱりちょっと…そうじゃないんじゃないかな?と一番最初に気が付くのは保育園、幼稚園の先生というのが今の現状なのですね。さらにネグレクトのような場合は、親はそういう事を言わないですから、これも保育園、幼稚園で気が付くことが多いです。私達小児科の医者はですね、少し後ろにいるのです。そこで問題になって親が来たり、幼稚園の先生から受けるわけですけれども、皆さんは第一戦にいるということで、ちょっと脅かしちゃってるかもしれませんが、実はそういうようなことがあちこちで言われています。自閉症スペクトルムというのは、自閉症、高機能自閉症、アスペルガー症候群とありますけど、いろんな考え方ありますが、一般的にアスペルガー症候群は知的な遅れはなく、言葉もよくお話する子がいます。しかしその言葉の裏にあるニュアンスなどを上手く伝えることが出来ません。

=アスペルガー症候群の子どもの生きにくさ=

アスペルガー症候群の子どもたちの「生きにくさ」と私は言っています。岡山大の佐藤先生は「困り感」と言っています。例えば人の視線、表情、顔の同定が苦手――これは先ほど言いましたように、赤ちゃんの時に自然に身に付くものですがれが身に付いてきません。例えば、皆さんも時間があったら読んでいただきたいですが、フジイエヒロコさんというアスペルガー症候群の方が自分の自伝を書いて出版されています。一番困ったのは、人の表情が全く分からなくて、人から教わって人の表情を見分ける為の表を作ったと本に載っています。喜んだ時の顔というのは、目がちょっとつりあがって口の両側が上に上がっているとか、怒っている時は、口はへの字になってて…そんなの言わなくても私達は分るはずですが、このフジイエさんという人は1個1個文章で書いて、それを組み合わせ見ないとわからないのですね。そんな事があるの?というけど、実際そうです。そして身振り手振りも分からない。人との距離がとれないですね。人との距離というのは非常に重要ですね。私達が今、社会的にお話をする距離と、後で一杯飲みましょうっていう距離と、たとえば親子とか恋人の距離って違うわけです。これを間違ってすると、今、私、お茶大(お茶の水女子大学)にいますけど、学生さんに恋人の距離でやると、セクハラでそのまますぐ辞めなくちゃいけない。その位社会の中で重要なことですね。それが分からないのですね。ですから私が見ているアスペルガーの子どもなんかは、診断の時に「今日どうだった?」って聞くと、顔の近くまで来て「先生…」なんて、そういう子が結構いますね。もちろん心の理論っていうのは4歳以降になって出来てくるので、「いらっしゃい」なんて側まで来て言う子もいれば…。しかしよく見てみると、それなりの距離をもっているわけです。テンプルグランディンさんというコロラド大学の助教授をやっている人は高機能自閉症ですけれど、校長先生から小学校の時に「あなたは人との距離がとれない」て怒られたんですね。たぶん、近づきすぎちゃったと思うのですが、彼女はどうしたかっていうと、行き帰りの通学路にスーパーマーケットがあって、自動ドアの赤外線でドアが開く距離が、それがちょうど校長先生に言われた距離だったので、毎日、パッパッパとあっ今日はぴったり止まった。そうやって練習して覚えたという話があるくらいです。そしてもう1つ、アスペルガー症候群とか、高機能自閉症の子は言葉の比喩とか暗喩、反語、社会的なうそが分からないです。社会的なうそというのは、私達が毎日ついているわけです。お世辞です。お世辞があるから私達はスムーズにいくわけです。どんなに親しい人でも、新しい服を買ってどう?と思った時に、一応は本当に親しければ「ううん、似合わない」と言ってもいいですけど、ふつうはですね、「うん、結構いいわね」っていうわけです。心の中に思ってなくても言うわけですね。ここでは園長先生なんかの場合そういうことが多くて、「ハワイ旅行のこのアロハいいでしょ」って言うと、「先生、お若くていいですよ」っていいながら、みんな向こうで派手だなって思っているわけですよ。しかし、社会的うそは非常に重要なのです。これが全然できないわけです。それからことばの比喩についてはいろいろお話しました。ありさんの声で話そうみたいなのが、高機能自閉症とかアスペルガーの子どもに言ったら辛いわけです。“ありさんの声で話そうね”って言われても「先生、ありさんの声ってどんな声ですか」ってたぶん聞きたくなるわけです。それはみんな考えてみなさいということですけれど出来ないです。そして、感覚過敏があったりしますね。アスペルガー症候群と多動性障害、両方もっているニキリンコさんって方は、雨の日は外に出られないんです。雨があたるとどうしても体が痛いような感じがしてしまうこういう感覚過敏があったりするのですね。ですから、自閉症とかアスペルガーの子どもが、大きな音がすると「わーっ」と言って逃げ回ってよく隠れてしまったりするということがあります。これはやはり本人にとっては耐えられないくらいの騒音が気になってしょうがないというのが実はあるから、そういう行動をとるといわれています。それを理解してあげないといけないですね。他にも記憶のフラッシュバックとか、物への関心こういうことがあるわけです。

=注意欠陥多動性障害(ADHD)=

多動性障害の話をします。私もそういう傾向があります。(写真を見て)これは私が診ている高校生の男の子の部屋です。この子は神奈川県にある非常に有名な進学校に通って、頭のいい子で、理科系のクラスにいます。将来何になろうかなっていうので、外科医にだけはなるなよって言っていますけど…。これはこの子の部屋ですね。見えますかね―この汚さです。だけど頭いい子でノートは取ったことがないです。お母さんが時々この部屋に侵入してきれいにするんですけど…。ゴミ箱に入れろと言っても、ゴミ箱は横になっていてとてもだめなんです。片付けられないですね。こういう症状があります。これは後で読んでいただきたいのですが、注意とか出来ないのは生まれつきです。この注意欠陥多動性・・障害という名前をつけるかどうかは別ですけれども、そういう行動様式を持っている子が、だいたい3~5%いるというわけです。これは結構多いです。ですから30人に1人くらいです。綿密に注意が出来ないとか、注意を持続できない、話かけられた時途中までしか聞いていない、或いはそこですぐに答えてしまう、指示に従えない、外側からの刺激にすぐに気をそらしてしまう、或いは多動の場合は、一番多いのは離席行動とか、座っていられない、もじもじしている、隣の子にちょっかいを出してしまうというような事があります。順番が待てない、他人を妨害し邪魔する。これは頭に浮かんじゃうと他人のことに気が回らないのです。その為に、そういう事がおこってしまうこういう子ども達がいます。これに名前をつけるかどうか別として、世界中で調べてもそのぐらいのお子さんがいるわけです。この子どもたちは、発達レベルに不相応。子どもはみんな落ち着きがないですが、同じ年代の子どもたちの中でも、特に落ち着きがなく、走り回ったりする子ども達が3~5%いるわけです。それが、6ヶ月以上2ヶ所以上の場所であって、その為に日常生活で支障をきたしている場合にこういう名前をつけようと、これは考え方が非常に難しいですね。この名前もADHDって直訳すると注意欠陥多動性障害になりますが、これは一つの病気の中の名前に、注意・欠陥・多動性障害。欠陥と障害があるすごい名前なのです。

=頻度=

この子ども達が非常に出ているのは、世界的でいろんな数が出ています。アメリカは14%もいるなんていうのもあります。男女比は4~5:1ですから、男の子だけの集団でいると、もしかすると、3~5%の数倍あるかも知れません。つまり10%近いかもしれません。10人に1人ぐらい。女の子の場合はそれより低いことが分かっています。日本でも3%ぐらい。ここに男女比が書いてありますね。

=臨床的特長=

実は思春期になるとだんだん落ち着きが出てくると言われています。しかし、注意欠陥の方はどうも、大人になるまで半分くらいの人はずっと引きずっているということが言われます。ですから、私達の中にも大人で注意欠陥の人はいるわけです。アメリカでは大きな調査が行われまして、驚くなかれアメリカの成人の4.4%はADDだといわれています。本当かな…お医者さんというのは善意でやっているのですけど、いろんなものに診断名を付けたがりますよね。メタボリック症候群は皆さんの中にも当てはまる方がいると思いますが、中年の男性のたぶん3人に1人くらいはメタボリック症候群になります。だからそういうところもあるのですが、アメリカでは4.4%の人がそうです。ただ、一番ADHDの事で皆さんに知っていただきたいことは、診断基準が18の症状があるんですね。そのうち1番の9つのかたまり。多動の方のうち6つ以上。或いは、注意欠陥の方で6つ以上、どちらかが満たせばADHDというわけです。ここに書かれている症状は全て褒められてた行動はありません。みんなにとって迷惑な事ばかりです。こういうのが沢山ある子ですからこういう子ども達っていうのは、小さい時から褒められたことが本当に少ないです。殆どいつも怒られている子ども達ということですね。

=合併障害・行為障害=

それがある為に、合併障害とか併存障害というのがあって、2番目に行為障害っていうのが書いてあります。行為障害っていうのは、今日は時間がないのでとばしますが、一言で言えば「非行」です。アメリカではADHDの子どもの3~4人は非行にはしってしまうのですね。他には欝になってしまったり、事故が多いなんていうのもありますけど、実は欝が多いのも、小さいときから、物心付いたときから何かある度に親から怒られたり、幼稚園、保育園の先生から怒られたり、友達からは ずる・・ するって言われたり、逆にいじめられたりするっていうことが、ずっと続く為に、自尊感情が育たないと言われています。私たち人間にとって、自尊感情というのは最後のよりどころです。つまり自分は何かいい所があるに違いないっていうのがあるので、私達はいやな事があっても頑張っているわけです。いいことがあるっていうのは、とりえがあるじゃなくてもいいです。誰かが自分のことを好きであってくれているという確信があれば、絶対に頑張れるわけです。0歳児保育をされている方はわかると思いますが、乳児でもあると思います。自分が愛されている、誰かが自分のことをかまってくれているということが、確信として持てる子どもっていうのは穏やかに育つのですね。行為障害のアメリカの診断基準があるんですが、全部非行です。他人の家に侵入したとかですね、物を盗んだとか喧嘩をするとか、人に危害を加えるとかまさにこういうものがあるのですが、アメリカでは3人から4人に1人のADHDの子がこういう事になってします。

=ドーパミン説=

脳の中でも前頭葉が上手く使われていないと言われていますし、ドーパミンという神経伝達物質がどうも上手くいっていないということが言われています。そういう症状が強い場合には日本でも最近、メチルフェニデート、リタリンというお薬を飲んだりするようなことが結構行われるようになってきています。ADHDのお子さんに対して、本当に支障が強い子どもには、リタリンという薬を飲むと、9割位のお子さんでそういう症状が少なくなります。

或いは殆ど無くなります。

=薬物療法の効果=

私自身も5、60人ちょっとの人にお薬を出しているんですけども、これについて議論もあります。小さい子どもがリタリンというお薬を飲んで、副作用があるのじゃないかと…アメリカの方で30年に亘ってアメリカの小学生の2.8%がリタリンを飲んでます。全小学生の2.8%。殆どはADEDと診断が付くと飲んでいますが、そういう体の面での副作用は一応無いという事が分かっていますが、小さい子どもに薬を飲ませてどうなんだろう…もちろん1つ1つの症状が抑えられ、良くなるということもありますが、一番大きいことは、その間に子ども自身は、自尊感情が育って来ないんです。自分はどっかで好かれているんだと感じる機会が本当に無く、ああいう行動があるから、大抵叱られて、たるんでるって言われたりして、もっと頑張れって言われてきているわけですね。そのことが非常に大きな問題になっています。

=薬物療法の効果例=

これは薬を飲んで成績がすごく良くなった子のノートです。左側が飲む前です、殆ど読めません。ところが右側はごちゃごちゃしてはますが字が読めます。この子は小学校4年生くらいですね。飲む前は平均点が大体5、60点だった子が、飲んでから全科目オール100点になっちゃったのです。それはどうしてかと言うと、ようするに飲むと最後まできっちりやるわけです。それまではいい加減にやっていたのですね。

=リタリンの効果 書字への影響=

これはちょっと見にくいですけど1、2年生の子ですけどリタリンを飲んでたら、連絡帳の字がどんどん小さくなっていっちゃった。左側が飲む前で自由に岡本太郎の絵みたいに、ぐわっと書いてあったのが、だんだん小さくなって7週後にはあんな小さくなっちゃった。見にくいですが、罫線に従って書いています。つまり、ここに罫線があるなってことに気がついたのですね。周りのことに気が付くようになったのです。それはリタリンの効果です。効果であると同時にリタリンって何かというと、私達が先ほど言いましたように、スティルフェースの実験をした時に、子どもは実は人の顔をチラチラと見ています。つまり自分に対して、モニタをするというのは私達は生まれ持っているんですが、モニター機構っていうのがADHDの子はないのです。ある意味では天真爛漫ですね。ところが、リタリンを飲んだことによって、モニタ機構がONになったので、この子はこんな大きく書いちゃって左側はかわいいと思いますが、だんだん小さくなって何にも言わなくてもあんなに小さな字になって…こういう事が治療して非常に悩みでもあります。子どもっぽく天真爛漫にいるのをこのお薬で抑えるとこうなります。しかし成績は良くなるし覚えも良くなります。これはどういうことかっていうと、多分この世の中というのは、自分の好きな事をやって、天真爛漫にやっているんじゃダメだっていう世の中だということです。ちょっと辛いとこですよね。私もここではこうやっていますけど、家ではだらしない格好をして走り回っているわけですが、でもそれをここでやたらダメなわけです。その場所にはその場所で要求されるものがあるということです。実は薬以外にも教室でいろいろ注意を向けさせる方法があるってことですけど、今回はとばします。

時間が来たので、最後のところお話したいんですが、2つお話したいですね。1つはですね、子どもは社会性を自分から身につけてきます。個人差があるけれども身につけてきます。しかし、それが生まれつき上手く出来ない子がいるということです。この社会とはリタリンの効果にあったように周りの人の目を気にしながら、身を正すっていうのがいい子っていうこれはしょうがないです。私達の社会はそういう事で、全員が天真爛漫でやるとみんな上手くいかないので、みんなある程度自分を我慢しているわけです。それを身につけないといけないです。しかしADHDのお子さんの場合にはそういう事に気がつかないのです。家族だけで生活しているようなところでは、ADHDのお子さんも結構楽しくやっていけるんですが、こういう社会の中でルールに従がわなくてはいけない、人に合わせなくてはいけいない、人の顔色を見なくてはいけないっていう世の中に適応できなかったんだということなんです。ですから、ADHDの子も自閉症の子もある意味育て方が悪いわけではないです。自閉症の子も自分自身の世界の中で、ファンタジーの中に生きているのが多いですが、やっぱり社会の中でいく為には、そこのルール、人の顔を読んだりしなくてはいけないけれど、それが出来ないです。ADHDの子どもは読むより先に気が散って読んでないということがあります。そういう本人自身に悪気があってやったのではないけれども、そういう行動様式をもっているというのが1つです。

もう1つはADHDで特にはっきりしているのですが、子どもはその行動特徴があまりにも天真爛漫でルールを守らなくて、人の顔を見ない為に、結果的に全部ネガティブの評価をされてしまいます。先生から怒られ、お家のお母さんからも叱られ、友達からはいじめられ、逆に言うとずるしてると言われるわけですね。その為にアメリカでは10人のうち3~4人の子どもは非行に走ってしまう。自尊感情が育たないのです。アメリカでは最近ADHDの子どものサマースクールというのがあります。いろんな専門的知識をもった先生がサマースクールで日常生活のソーシャルスキルというのを教えますが、同時にサマースクールでADHDの子どもを集めた先生方達が必ず実行しているルールがあります。それは何かというと普通の教室ではだいたい3回叱ったり、注意すると1回褒めるというのがアメリカの普通の学校での教え方です。ところが、ADHDの子のサマースクールではその比率を逆転させています。3回褒めて1回叱る。1回叱ったら3回褒める。これを今一生懸命やっているということをこの間アメリカに見学に行った小児科の先生が書いていました。何の為にそれをするかというと、アメリカのADHDのお子さんの教育に関わる人が一番心配しているのが、そういう子ども達の行動特性の為に、その子ども達の自尊感情がどんどんどんどん壊れているということが非常に大きいわけです。ですから褒めようと…でも何もないのにどうやって褒めるの?そこは褒める基準を変えるわけです。当然出来ていい事をやっていたら褒める。「授業の間ずっと教室に居たね」当たり前だけれど、「よかったね、○○君居たね」って基準を下げれば褒めることが出来るわけですね。そういう形にして自尊感情を壊さないようにしようということをやっているのですね。

自閉症の場合はちょっと違います。自閉症の場合は社会的に人の顔が読めないです。たとえば自閉症の子がパニックになったり、時々私たちから見ると理解できない行動をしているのは、彼らも私達のこの場所にある雰囲気意が読めない、人の表情が読めないので困っているのです。彼らの中には1つの論理があります。私達はそれに気がつかないですが、特に子育ての専門化を自称する為には、気が付いてあげなくちゃいけないと思います。

=LDと近接概念の関連図=

この図ですが、実はADHD、自閉症、アスペルガー症候群は一人の子どもの中に並存することが分かっています。全部じゃないですが、たとえば学習障害はADHDと3割位オーバーラップしていますし、基準上はアスペルガー症候群とか高機能自閉症とADHDは合併しないことになっていますが、実はそうじゃないです。一人の子どもの中に複数あることがあり、子どもにとって、ダブル、トリプルのハンデキャップになっているということですね。

最後に、この間お茶の水女子大にタカヤマケイコさんという方に来ていただきました。ご本人がADHDです。ホームページもやってますし日本中を講演して回っていらっしゃいます。彼女がアメリカに薬剤師さんとして留学している時に、向こうの大学であなたはADHDだと診断がついて、リタリンを飲んで良くなりました。小さい時からなにしろズレていて大学時代のあだ名が「ズレちゃん」と言っていたそうなんですが、本当に注意欠陥な方なんですね。おっちょこちょいですね、いい意味ですとね。私もこの間タカヤマさんと一緒に札幌で講演会があって、札幌駅で待ち合わせたけど、来ないですね。飛行機1本間乗り間違えて1時間後に来ましたね。「あ~やっぱりそうか」と思いましたけれども、「すいません、よくやるんです」って言っていましたけど…このタカヤマさんが講演されて、自分の小さい時の話をされてます。小さい時からぶきっちょで…これは多いですねADHDのお子さんにね。いつも落ち着かないし、言うことを聞かないので、常に怒られていたんですね。ところが、彼女が自分自身の記憶の中に、何をやっても上手くいかなかったのに、そうじゃないんだ思える身に付いているエピソードが1つある。それは何かというと、幼稚園か保育園の時に先生がぬり絵だったか、はさみで切るかどっちかだったけれど、凄く褒めてくれた「ケイコちゃんあなた出来るじゃないの、あなたのこれスゴイ!」ということを幼稚園の時言ってもらったことが、今大人になっても覚えています。その時言ってくれたので、「私は何やっても上手くいかないけど、そうじゃないんだ、私こういうのがあるんだ」とその時思って、それがずっと後まで彼女自身の力になったと言っていました。黒柳徹子さんもトットちゃんの中でそういう事を書いています。何かっていうと自尊感情っていうのは、持続的にそれを支えてもらうことが大事ですけど、案外ちょっとしたエピソードの中で特に小さい時に、褒められたとか元気付けられたってことは非常に大きい影響を後まで残すっていうことですね。

皆さんに言いたい事は分かったと思いますが、幼稚園、保育園の時にそういう行動を示す子どもっていうのは、実は周りから自分をどう言われているのかを結構気にしていて、自尊感情がそこできっちり保証されると一生に亘って自信につながったりすることがあるんです。半分皆さん脅かしていることになりますが、そういうことですね。

今日は皆さん実際の親御さんもいらっしゃると思いますが、幼稚園とか保育園で働いている方は、今日話した事の中で3つぐらいすごく大事だって分かったと思います。1つは、少子化で子どもについての知識のない親御さんが増えている中で、保育園、幼稚園に入っているお子さん達が、いつも見ている大きなグループの中でどの辺にいるのか、一応、このグループのどこかに入っているぞ、いやちょっと分からないけどちょっと外れているかもしれないと一番最初に気が付く場所であるという可能性があります。次どうするかっていうことが課題としてあるわけです。このお子さんどう見ても、もしかして自閉症かな?と思っても、親御さんに直接「お宅のお子さんは自閉症ですよ」なんて言ったら、全ての関係が無くなってしまいます。しかし、じゃあ何にも言わない事がいいのか…そうじゃないですね。その子どもにとってどうしたらいいか、なんらかの方向に進めなくちゃいけないわけです。皆さんはその最前線にいるのだというのが1つです。

2つめは、先ほど言いましたように、そういう事に気が付くだけじゃなくて、自尊感情が壊れやすい子どもたち、社会性が出来ない子ども達にとって、乳幼児期の体験というのは非常に大きな意味を持つ事がある。全てがじゃないと思います。そういうことで、子ども達は自分がどう見られているか、どういう視線で見ているかということを気にしているということを皆さんに知っていただきたいわけです。非常に皆さんに責任を振るみたいですけど…小児科の場合は、ちょっとずるを言いますと、診療所で待っていて問題があったらどうぞいらっしゃいってちょっと気が楽なんですね。逃げ口上になっていますが…皆さんは最前線でそういう子ども達の1日の生活を全部見ています。もちろん親御さんもそれを見ているわけですね。ですから子ども達っていうのは、能動的に周りの世界を見て、それで社会性を身につけていきます。しかしその中には社会性が上手く身につけられない子どももいて、そういう子ども達にとって、私達周りの大人が出来る事はたくさんあります。もちろん治療することもそうですが、その前の段階で、そういう子ども達に気が付いてあげて、その子ども達の気持ちを理解し、困り感とか生きにくさを気が付いてあげて、手助けをしてあげることによって、そういう子どもたちの自尊感情が崩れていくのを、防ぐことが出来る可能性があります。そういうところに皆さんがいるのだということで、一応ここでお話を終わりにしたいと思います。(終)

~以上の文章は2006年7月1日、保育園ベアーズにて行われた”第8回子育てひろば21講演会”の内容をテープから起こし、文書化したものです。この文章を無断転載、引用することを禁じます。~