33.未満児保育の存在意義

3歳未満の子供を保育園に預けることは悪いことですか?

3歳未満の子供を保育園に預けてお母さんが働くことは、悪いことでしょうか? 以前から、日本では3歳児神話と言って、3歳までは母親が育児に専念すべきだと言われてきました。1998年版厚生白書がこの3歳児神話の考え方には少なくとも合理的根拠は認められないと否定しました。そして、実際に保育園生活をおくる3歳未満の子供たちを見ていると、彼らにとって保育園生活は悪い影響を及ぼすものでは決してないと思われます。しかし一般的にはまだ、小さい子供を保育園に預けることは悪いことだとの考えが根強いようです。「こんな小さい子を預けて」「そこまでしてお金をかせぎたいの?」「子供がかわいそうじゃないか」などさまざまなことを言われて動揺しているお母さんに多く出会います。

注)1998年度厚生白書より

母親が育児に専念することは歴史的に見て普遍的なものでもないし、たいていの育児は父親(だんせい)によっても遂行可能である。また、母親と子供の過度の密着はむしろ弊害を生んでいる、との指摘も強い。欧米の研究でも、母子関係のみの強調は見直され、父親やその他の育児者などの役割にも目が向けられている。三歳児神話には、少なくとも合理的な根拠は認められない。

0歳、1歳、2歳児の保育園生活

保育園に預けられている乳児や幼い子供たちは母親や家族と離され、さびしい思いをしているのでしょうか?泣いてもほったらかしで、相手をなかなかしてもらえず一日を過ごしているのでしょうか?
私たちの保育園では、未満児も散歩、砂遊び、水遊び、室内でのままごと、絵本、歌と毎日友達や保育士と楽しく遊んでいます。もちろん入園したての慣れない時期は、朝、お母さんと離れられず泣いてしまう子供もいます。でも保育園に慣れて、保育園は楽しい所なのだとわかってしまうと喜んで登園できます。朝、仲良しの友達や大好きな先生やお気に入りのおもちゃをみつけて走っていき、楽しい毎日の始まりです。
一般にまだ社会的存在でないと考えられている0歳児から、子供同士のかかわり合う様子がみられます。他の子供の存在が気になりそばによっていったり、お互いの顔を見てわらいあったり、単語にならない言葉で話し掛けたり。時には愛情表現で出した手で相手の髪をひっぱってしまって泣かれたり、おもちゃの取り合いになって泣いたり、保育士の取り合いで泣いたりの場面もありますが、それも友達との係わり合いのひとつです。室内では、はいはい、よちよち歩きで遊びまわり、天気がよければ時には散歩車やベビーカーでお散歩、眠くなったらお昼寝、そして、個人個人にあった離乳食と、ミルクをおなかいっぱいもらいます。

1歳児になるともっと活動的になり、お散歩、砂遊び、絵本、歌と遊びが増え、4月当初は会話らしい会話がなかったクラスの中にだんだん会話らしい会話がとびかうようになります。食事のときはそれぞれが自分で何とか食べようとして、終わった後は子供たちも周囲もご飯粒だらけです。おまるでおしっこができ得意になっている子供もいます。
2歳児になるともっともっと色々な事ができるようになり、遊びもごっこ遊びやお絵かきなどできるようになります。友達同士けんかしたり、競争したりもしますが、みんな仲良しの仲間です。

私たちの保育園では、年に3回健康診断を行う際、家庭に子供の発達に関する問診表を記入してもらいます。その時、家庭での評価と保育園の評価がかなり食い違うことがあります。そのほとんどが保育園ではできているのに家庭ではできていないと評価されている内容です。「意味のある単語がでますか?」に対して家庭では「いいえ」に○がされているT君が保育園ではアンパンマンの人形を見て、「ぱーんまん」と言っていたり、「積み木がつめますか?」の問に「いいえ」となっているKちゃんが保育園では上手にできていたり、「ジャンプができますか?」と言う問に「いいえ」となっているAちゃんが保育園ではジャンプをしていたり。保育園では家庭よりもダイナミックにそしてたくさんの人と関わりながら遊んでいるために、家庭では見られない姿が見られるのではないでしょうか。また両親が「まだこれができない、あれができない」とネガティブに考える傾向があって、子供のできることを過小評価している場合もあります。両親以外の保育者の目があり、子供に関わっていくことは決して悪いことではないと思います。

乳児期は一日中母親と一緒に過ごすべき?

子供たちを見ていると、小さいときからさまざまな個性、性格があり、またさまざまの能力があります。そして小さいときから社会性を持っています。この時期にずっと母子のカプセルで暮らすのはよいことでしょうか。母子のきずなは大切ですが、毎日一日中母子が向かい合って過ごすより、ある一定時間は母子以外の社会の中に入るほうが良いのではないでしょうか。御茶ノ水女子大学教授の無藤隆先生は著書の中で幼い子供たちが集団保育の場で、保育者や他事との相互作用から、さまざまな能力の発達をなしとげる可能性があるように思われると述べておられます。1)

たとえ一日中一緒にいなくても、一緒にいる時間にしっかり愛情を注げば母子の絆はしっかりできます。ある2歳の孫の面倒を見ているおばあさんが言っていました。「昼間こんなにかわいがってるのに夕方お母さんが帰ってきたら、お母さん、お母さんが始まる。子供の言っている言葉もお母さんが一番理解できる。それが子供にとってはいいことなのだろうけど。」。きっとこのお母さんは時間は短くても、愛情を注ぎ、子供をしっかり見つめ、「この子に対して、最終的には私が一番責任を持って育てているんだ」と自信を持って子供を育てているのでしょうね。

反対にいえば、いくら母親だからといって子供にとって自分が一番の存在とは限りません。時間の長さに関係なく、愛情をしっかり注ぎ、子供をしっかり理解し、子供に責任を持つ必要があります。保育園や誰かに預けるにしても、預けている間の様子はどうだったのか、子供が今日はどんな事をして過ごしていたのかをきちんと理解することが重要です。
また父子家庭など色々な事情で母親不在の家庭もあります。父親、あるいははは親代わりの人が愛情と責任を持って子供を育てれば、問題はありません。

保育園に行くと病気をすぐもらってしまう?

保育園あるいは幼稚園など集団生活をはじめた当初は病気によくかかります。これは当然のことです。たとえば風邪と一口に言ってもその原因となるウィルスは200種類以上あります。その多くのウィルスが、一度かかると免疫ができその後はそのウィルスに出会っても体の免疫がやっつけてくれるので、そのウィルスによる風邪にはかからなくなります。でも反対にいえば、かかったことのないウィルスに出会えば、風邪にかかってしまうのです。赤ちゃんは生後6月くらいまではお母さんの免疫を胎盤を通じてもらっていますが、それを過ぎると無防備です。社会生活を始めると色々なウィルスに出会い、風邪にかかり免疫ができていくのです。これは何歳で集団生活を始めても同じことです。保育園に行きはじめに頻繁に風邪をひいて「こんな小さいのに保育園に生かせるからだ」と回りの人に責められて落ち込んでいるお母さんによく出会います。私たちの医院ではそんなお母さんには先に述べたことを説明し「一年間、特に最初の3ヶ月を何とか乗り切ったら、後は病気をする回数がぐっと減りますよ」と励まします。そしてその通り子供たちは一年経つと病気の回数がぐっと減り、2~3年経つと年に数回しか病気をしなくなり、小学校に行くころには年に1~2回しか病気をしなくなります。「以前あれほど子供の病気で悩んでいたのがうそみたい」と多くのお母さんたちが言われます。

人間社会で生活をしていく以上風邪にかかるのはあたりまえのことです。集団生活を始めたことが悪いことではありません。病気になったときにどう対処するのかが大切なのです。いつもと違う症状に早く気づくこと、食欲、水分の取り方に注意すること、保育園を休むときの体勢の準備をしておくことなどです。

お母さんが働くこと

昔から母親は子育てに専念してきたのでしょうか?ちがいます。
日本の多くを占めていた農村部では数十年前まで、ほとんどの家庭が農家でした。
そこでは赤ちゃんのお母さんも重要な働き手で、赤ちゃんを背負って田んぼに出たり、籠に入れて畑に連れて行ったり、もう少し大きくなると、兄弟に面倒を見させたりして働いてきました。家の中でも、家事に今とは比べ物にならないような労力を要しました。私たちの保育園の周囲でも今から30数年前の昭和40年前後までは水道もありませんでした。洗濯は川にある洗濯場で、風呂の水汲みは井戸で行っていました。風呂を沸かすのももちろん薪です。たとえ家の中にお母さんがいても育児に割ける時間はほんのわずかです。家族が、食べて、生きていけるように親は必死で働いていたのです。

人間にとって働くことは自然のことであり、それは子供を持つお母さんにとっても同じことです。昔から、人間は労働をし、その上で子供を育ててきたのです。現在の社会では、現金収入がないと生活できません。昔のような家庭内や家庭の周囲での労働が主な家庭でなされていた状況とちがって、母親たちも通勤をして、様々な職種で働いています。これは時代の流れとして当然のことです。

小さいときから男女平等な学校生活をおくり、勉強にしろ運動にしろ、努力して上を目指すことが良いことだと教えられてきた女性にとって、母親になった途端、社会から身を引くのは理不尽なことです。法律上でも男女雇用機会均等法の施行、改正で職場での男女平等が義務付けられている現在、母親になった女性にも、子供を持つ以前と同じ様に働ける環境を作る必要があります。

母子関係の良い悪いは、家庭外で働くか働かないか、子供と接する時間が長いか短いかなどの単純な要因で決まるものではありません。母子が長時間いっしょにいればいるほど、母親が抱っこする時間が長ければよりよい母子関係ができるわけでもありません。もしそうだとしたら、一番最初の子供に比べて、2番目、3番目の子供の母子関係はおかしくなるはずです。

また子育ては3歳までのような短期間で終わるものではなく、子供が独り立ちするまで延々と続くものです。母子関係、あるいは親子関係は、長い時間をかけて育んでいくものです。3歳までにその後の一生が決定されるものではありません。

祖父母の存在

「保育園に小さいときから預けずに祖父母に面倒をみてもらえばいいじゃないか」と言われる方もいます。でも、現代では50代くらいのおじいさん、おばあさんはまだまだ現役で家庭外で働いている人が多いのです。子供が生まれて、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんの誰が仕事をやめるかを相談された家族の話を聞きます。「お母さんの仕事を続けさせるために私が仕事をやめました」と言われるおばあさんがいます。孫の子守りに追われて、「孫に殺される。」と疲れきっているおばあさんがいます。
そして、現代ではおじいさん、おばあさんは必ず近くに住んでいるわけではありません。孫の病気のたびに、おばあさんが自分の家庭をほったらかしにして遠いところから孫の世話をしに来なくてはならず、一人残されたおじいさんがその間に盲腸から腹膜炎になってしまった家庭があります。

おじいさん、おばあさんだって自分たちの生活があるのです。それを犠牲にすることを強いることはできません。

外での仕事を持たないお母さんたち

一方、外での仕事を持たないお母さんたちの中には、社会から孤立し、悲鳴をあげている人たちがいます。恵泉女子学園大学教授の大日向雅美先生は著書のなかで、孤立した子育ての中で悲鳴をあげているお母さんたちをたくさん紹介しておられます。「トイレにも一人で入れない」「30分でいいから一人で町を歩きたい」「日本語で話し合える相手がほしい」。2)、3)、4)
私たちの医院の外来でも「一日子供の相手だけの生活で、社会においていかれる気がする」「何年も自分の時間がもてない」「子供に振り回される生活でいらいらする」などの悲鳴を聞きます。

現代のようにそれぞれの家庭のドアが閉じられ、家族の構成員の数が少なくなった状況で母子が向かい合っての育児は大変です。その上、家庭にいると、家事もするのが当然とみられます。そして周囲の人は、「時間がたくさんあっていいですね」とか「一日家にいると子供の相手をいっぱいしてあげられていいですね」とか言われるのです。そういう家庭のお母さんに「たまには休日にお父さんに子供の世話を任せて息抜きして御覧なさい」というと、「お父さんに任しても一時間しかもたない」「お父さんに任せても、子供をほったらかしにしてしまう」などの返事が返ってくることがあります。このお父さんたちは自分にはたった一日だけでも到底できないことを、「おまえは母親だからできるはずだ」と毎日押し付けているのです。以前に比べると、病院の受診やワクチン接種に自ら子供を連れてきたり、乳児健診に両親そろって来て、熱心に質問をするお父さんが増えましたが、まだまだ、「子育てはお母さん任せ」と決め込んでいるお父さんも多いです。

人間の母親は、母親であるとともに人間の社会生活を営む一員です。お母さんが生き生きと社会生活をおくっていくこと、自分の存在に自信を持ち精神的に安定した状態であることが子育ての上でも第一条件となるのではないでしょうか。

参考文献
1) 無藤隆他、 子供時代を豊かに 学文社
2) 大日向雅美、母性愛神話の罠 日本評論社
3) 大日向雅美、子育てと出会うとき 日本放送出版協会
4) 大日向雅美、子育てママのSOS 法研