第9回子育てひろば21委員会講演会 演題 「子どもの豊かな個性と知性をのばすためには」

平成19年4月14日(土)

演題 「子どもの豊かな個性と知性をのばすためには」

東京女子医科大学乳児行動発達学講座特任教授
日本赤ちゃん学会 理事長 小西 行郎先生


今日は初めに子どもの発見から話させていただきます。

赤ちゃん研究をやっているとご紹介ありましたけれども、その前に“子ども”っていうものの意識で、子どもっていつ頃から“こども”と認知されましたかという話から入っていきたいと思います。

実は子どもの発見とは17世紀から18世紀のヨーロッパで、大人とは違う存在っていう意味での“こども”っていうのが考えられるようになってきたわけです。それはなぜかと言うと、それまでは1歳でも2歳でも3歳でも生きている以上働かされたわけですね。大人の世界で一緒に働いていた状況で子どもがいたわけです。そうするといっぱい死んでたわけですけれども、どうやらうまくやれば助かるなという話になったわけです。日本でも実はちっちゃい子ども達っていうのは、江戸時代では“神の子”と言われていましたから、7歳までの子どもが死んだ場合にはお墓の中に入れていません。7歳までの子どもが死んだときには、家の庭とか土間とかに埋められていて、これは人間の死とは考えなかったわけです。だから神の子と考えられていたわけです。だから死ぬことは全然怖くなかったわけです。ある意味でいえば、死ぬのは当然だと言われていたわけです。
私は小児科の医者なんですけど、今ほとんど小児科の医者をやめています。というのは、もうしんどくなったっていうのが1つと、昔は子どもは死ぬもんだということがあります。私は医者になったのは30年前で、30年前の福井の現状は福井日赤にいましたけれども、患者さんが入院された時に必ず我々がお母さん方に何を言うかというと、「死ぬかもしんないよ」子どもはいつ死んでもおかしくないんだから、たとえ軽い肺炎だろうと風邪だろうと入院するときにはお母さん方に「いつ死んでもおかしくないんだから、覚悟してね」って言う、そうするとお母さん方は「そうですか」って言うかんじでした。実は福井日赤にいる医者の2年目から3年目の間の2年間勤めましたけれども、死亡診断書をその時に30枚書いたんです。1日に2人死んだとか、3人死んだみたいなところがあって、今なら全部訴えられたかなっていう状況でしたけれども、その頃福井県では、福井日赤で死ぬんだったら諦めなければならないっていう神様のような先生がいて、トミザワテイゾウっていいますけれどもこの先生に診ていただいて、死んでも文句は言えないと、逆に言えば死ぬ前までにはトミザワ先生に1回診てもらったらいいという…そういう感覚は今のお母さんにはないでしょう。今のお母さん方は子どもが死ぬっていうことは絶対に信じられない話で、受け入れられない話になってきた。でもそれをよく考えたときに、何がどうしてそうなったかということをすこし考えなくてはならないこともあるかも知れません。そこから今日は入ります。

実は子どもっていうものは、大人と違うっていう時に、西洋では何が出来たかというと学校が出来たんですね。学校っていうのは何の為につくったかというと、大人の社会から子どもを切り離す為にあったわけです。ようするに働かせている子ども達を、働かなくてもいい、お勉強さえすればいいんだよという面目なんですが、本当は大人の社会から切り離すものとして学校があったわけです。ですから学校が出来てしまってからの状態で、なおかつ学校が完備された状態で、当然何が起こったかというと、地域の育児力が落ちてきた。これはある意味当たり前なわけです。いま盛んに政府とか行政の方で、地域の教育力、育児力が落ちてきたと言う。これをどうしたらいいですか?答えは1つしかありません。学校をやめればいいのです。学校をつぶせばいいのです。子ども達を家に帰せばいいのです。それしか本来あり得ないのです。だけども我々はそれを選ばなかったわけです。なぜかっていうと、勉強しなくてはいけない、知識を得なくてはいけない。技術を得る為に学校を造った以上、地域の育児力は落ちるものとして考えなければいけなかったのです。実はこういう話はきちんと考えていかなきゃいけない。いろんな脳科学の先生方に、理想的な育児は…理想的な子どもの環境は…っていうと“自然だ”と言われる。自然の中で子ども達を遊ばすことだと言われる、或いはどろんこ、裸足で歩いたら子ども達の発達は良い、或いは学校の教育は良いと言われるけれども、それは違うのではないか…   そういうことを我々は選んだのではないか。靴を履いて、服を着て、学校でお勉強するっていうことを目標にやっていながら、なおかつ裸足で山ん中を走った方が子ども達に良いっていうのは、勝手に脳科学者が言うだけの話で、現実の場面では困る。我々はある意味では滅びの道を選んだのですよ。ようするに便利な話をしといて、子ども達は歩かなければいけないと言ったところで、おとっつぁんが車に乗って走っているので、しょうがないだろうと…そういうふうな時代を子どもの発見からずーっと考えていると、暗くなるわね………将来はないだろうって話になるわけですけれども………いろんな先生方が言われることを、少しそういう目で見直してみたら、違うことが見えて来るかもしれません。

我々自身がどうするかということを問われているにもかかわらず、それを子どもの問題として置き換えていることもあり得ます。学校を造って18世紀、19世紀は成功したけれども、21世紀は学校を造ったことの弊がいが出てきたのは、何かというと、不登校であったり、いじめであったりしたかも知れない。学校を造らなかったら、いじめは無かったかも知れない。不登校ってそもそも学校がなければ、不登校はないわけですから、学校を造ったから不登校が出来た以上、不登校の防止策はどうするかっていうのは、学校を無くせばいいんですよ、でも、それじゃ困るでしょ。どっちを選びますか?っていう問題だって考えなくてはいけない可能性があるのだろう、そこから考えると全く違うことありますよねって話になります。

20世紀を支えた教育なり、子育ての理論は何だったかというと、進化論、もう1つ怖いのは養成学でした。ようするに良い子どもを生んで、良い教育をすれば良い大人が出来るだろうっていうふうに20世紀は頑張ってやったわけですよ。だから20世紀になって子どもの問題がいろいろ出てきた時に、情報化だ、一人っ子だ、どうのこうのって、社会が変わったから子どもの問題が出来たという発想ではなくて、子どもの発達っていうのは右肩上がりだと考えたのは間違いかも知れない。ようするに、あなた方だって子どもが出来れば何がいいかって、…子ども達には可能性があるからいいよねって言うでしょ。可能性ありません。だって1個しかなれないのだから…現実そうなんですよ。だからそこの夢を語ってもしかたがないかも知れない。最初から変なこと言いますけどね…将来この子は天才になる……ならへんって、あんたの子だって(笑)。だからじっと旦那の顔を見て諦めなしゃーないだろ、選んだ相手が悪けりゃ、種が悪けりゃ、しゃーないよ。(笑)でも、実は良いか、悪いかって考えなければならないのは、好きで選んだ旦那なのだから、いい旦那なんでしょ。じゃ旦那並みになれば幸せでしょって発想になぜならないかっていうことですよ。女の人って変よね。結婚するまでは旦那が好きで好きで結婚するのでしょ。で、結婚するととたんに、うちの旦那は…てけなすでしょ。旦那もそうだよね。うちの嫁はバカだねってね。バカって選んだのはあんただろ。もっとバカなのはあんただろって話でね……わけの分からない夢で子ども達を追いやるのであれば、実現可能な夢をなぜ考えないか、実現可能な夢を考える事はなぜ問題なのかという事です。私の子どもが美男子にできるわけないじゃないですか。(笑)そこ笑うところじゃないですよ…すこし礼儀を考えて…(笑)いやそんなことありませんとかね、いや先生なかなかとか…誰も言わないからね(笑)性格がだんだん悪くなってきているのですけどね、実は大事なことなのです。
お父さん方お母さん方そうでしょ。子どもが出てきた時に誰の顔に似たかって言うでしょ。お父さん似だとかお母さん似だとか、じゃ、頭だって一緒だよ。運動能力だってどっちかに似るよ。出発点がそこだと思うと気が楽なんです。だからうちの子どもが頭がいいとかどうのこうの言ったわけじゃないですよ。うちの子どもだってかわいそうなのだから。だって娘がいつも言うんだもん。「なんで私だけお父さんに似たの?」(笑)……笑うところ違うって(笑)でも娘がかわいくて、娘の話を聞くと涙が出るんだからね。だから子どもはニートになってますからね。働かずに…家の中でごろごろごろごろしてますからね。

だからすこーし考えてみた時に、何が本当に大事で、何が実現可能かなってことを常に考える必要があるだろう。すると何が見えてくるかっていうと今の教育の中で、お母さん方よく子どもたちを水泳教室とかに出すでしょ。あれは意味がありませんから。あんたの子だから。実はなんでこんな話をするかって言うと、うちのお袋はめちゃくちゃ諦めのいい人で、私ね、ちっちゃい時に全部やったんです。私ペンシルバニア幼稚園ってわけのわからない幼稚園だったんですよ。やっとこの頃思い出すんです。俺、英語の教育受けたって…トレインとかね。あれね年取ってくると思い出すんだよね。わかんないけど、そういえば英語だったよな……トイとか、遠いだか近いだかわかんないけど、おもちゃだったな……って、昭和22年に私生まれていますけど、昭和26年くらいにすでに英語教育をやっていたわけです。結果、これですよ。英語大嫌いですからね。英語分かりません。適当にごまかせますよ、ジェスチャーでも何でもいいから。でもオランダに1年間留学していましたけどね。あそこ英語しゃべらなくていいのですよ。もちろんオランダ語しゃべれませんよ。オランダ人英語へたなんですよ。ですので、辞書を引きながら会話するとね楽しいよね。お前もわかんねーかってね。以外としゃべれるんですよ。
実はお袋は他に何をしたかっていうとピアノでしょ、絵でしょ、そろばんでしょ、私ね、悲惨だったのは小学校時代、跳び箱と鉄棒とマットの家庭教師ついたんですよ。すごいでしょ。やっとこの頃わかったんです。俺はADHDだなって…後で話ますけど、ADHDの子って運動能力悪いんです。不器用なんです。自閉症の子もそうなんです。学習障がいとかLDとか軽度発達障がいていうでしょ、あれね一番最初に出てくるのは運動障がいなんです。あれ皆さんコミュニケーション障がいだと思っているでしょ。違いますよ。私はね逆上がりがずっと出来なかったのです。だからトラウマなんですよ。ところが野球が出来たんですよ。運動神経は鈍くないにもかかわらず、跳び箱が跳べなくてマットが回れなくて鉄棒が出来なかったので、家庭教師が小学校3年生からついたんです。6年まで。お袋は84歳なので死ぬ前に聞いたんですよね。「何でそんなにいろいろやった?」って言ったら、ひとこと「試したかった」。ついでに「どうだった?」って言ったら「全部ダメだった」って…俺は全部ダメな子かなって…あなた方は全部ダメだった子の講演を聴いているわけですよ。(笑) 先生、優しい先生だから第一人者だって言っていただきますけど、赤ちゃん学会作ったのは私だから、一人しか居なかったんだもん。その時には…一人しか居なかったら楽よ。そうすると、言ったことは皆さん信用するからね。半分位うそかも分かんない…。うちのお袋は何をやったかというと、いろいろ調べてみてダメならすぐ止めたんです。半年ぐらいで脈がないと思ったら全部止めてましたから。それほどトラウマにはならなかった。だけど未だにピアノも弾けませんしね、ギターもフルートもやりましたけど1年しかもたないですしね。絵も描いたし何やっても全部だめなんだもん。全部だめだと開き直るから…全部失敗してるんです。人生ね、いろいろ。試験は3勝9敗なんです。小学校から付属学校受けるとかずっとやって通ったの3回しかないですよ。高等学校で1回と1年浪人して受かったのが1回と2年浪人して受かったのが1回、試験は落ちるものなんです僕は…試験が1回で通ると変だな~って思うわけです。1回で通ったのは車の免許だけ…若干ねこれもカンニングして取ったところがある(笑)もう1つは医師の国家試験。あれは情報収集したから…京大の情報収集係だったんです僕は…どういう問題が出て答えはって…それで勉強したんです。医学の勉強はしてないんです。勉強しないってすごいいいですよ。何でもすること新鮮なんだから…初めて注射した時に血が赤いってよく分かったからね。それでも30年たったら一人前の顔して医者してるんですからね。勉強しないからこそ、かえって自由な発想が出来たこともあります。

ロボットの先生と話しをして、たぶん他の小児科の医者だと飛び付かなかったのを、ロボットの先生と話しをして飛び付いたのは私なんです。なぜかというと既成概念が無かったから、おもろいわなって話になった。何を研究しているかと言うと、ロボットで食欲と性欲どちらが強いかっていうのを調べているんです。お腹のすいたロボットとお腹のいっぱいのロボットを置いといて、向こうに雄と雌のロボットと充電器を置いとくわけです。そうして2つのロボットがどっちに行くかを調べるわけです。するとお腹がすいてると充電器の方に行って充電するわけです。お腹がいっぱいのやつは、男は女、女のロボットは男のロボットの方へ行くっていう…分かります?ロボットでやっている…おもしろいと思いません?もう1つは実はお腹の赤ちゃんはどうして動くかって分かっていないでしょ。お腹にいる赤ちゃんはいつから動くって、お母さん方知ってますか。経験あるから知ってるよね。よっぽど鈍いと6ヶ月。普通だと4、5ヶ月で動いてて感じるでしょ。でも動くのは2ヶ月ですからね。その時、脳みそはあると思います?だいたい2ヶ月って何センチかわかります?数ミリですよ。数ミリの赤ちゃんが動き始める。この時、脳があると思います?脳はノーですよ。ないわけです。人間は考えて手足を動かしていると思っているでしょ。受精してすぐの赤ちゃんは脳がなくても動くんですからね。面白いと思いません?あんまり面白くないみたいね。それを聞いたとき興奮して一晩寝れなかったんだから、それで何をしようかって言ったら、ロボットを使ってシュミレーションしようかって話で……出来るんですよ。そうすると胎動の意味が分かってくるんです。我々は何が分かっているかっていると、どうやら胎動するから頭が作られるのではないか。手足を動かすのが先にあって、脳が出来るのじゃないかってことを考えると面白いでしょ。嘘かも知れませんよ。そんな話をしていると、頭は柔軟な方がいいし、その時に本当に勉強しなきゃいけないかというのは考えなくちゃいけない。いろんな事を考えていくと、実は子ども達の発達なり教育なりっていうのは、簡単にできるものでもないし、こうすれば良くなるものでは、たぶんないのではないか。大変なものは何かっていうと、子どもが自分でやっているという事です。間違いなく夢が全部叶えられるわけではなくて、子どもには限界があるわけだし、発達にも必ず限界があるって事をちゃんと分かっておかないといけないと言う事です。ときには鳶が鷹を産むこともあるのでしょうけれども、ほとんどが鳶の子は鳶なんですよ。鳶は鷹と比べてどちらがいいかなんて分かんないわけだし、鳶は鳶でも立派な鳶もいれば、変な鳶もいるかも知れない。鷹だってろくでもない鷹もいるかも分からない。自分の子どもの発達をどう受け入れていくかを考えなくてはいけないということです。

実は20世紀の大きな間違いは夢を描き過ぎた事なのかも知れない。ようするに教育すれば教育するだけ良くなるって考えたのが、実は大きな間違いで、20世紀の末に我々は子ども達に見たのが悲惨な状況だったのかも知れないっていう考え方です。そうすると、実現可能な夢をどういうふうに求めていくのかになりはしないかなっていう気がします。

20世紀というのは、女性と子どもの世紀と言われて、子ども研究がもっとも伸びた時代であります。20世紀の子ども研究は、より科学的なものを追求しようと、統計学によって数値化するとか、科学的な方法の追求がずっと行われてきた。だけれども非常に面白かったのは科学的なものに対して非科学的なものも、20世紀には生まれてきた。それで今何が起こっているかというと育児書の中で、非科学的なことを書いた本が売れたりする一方で、赤ちゃん学会が出した『赤ちゃん学を知ってますか』というかなり難しい赤ちゃんの科学的な研究を書いてる本が11万部位売れてるという事で、二分化してます。科学っていうものに対しての信頼性みたいなものがあり、でも科学的でないものに対する夢はやっぱりもってると思うんです。人間っていうのは。なんでもかんでも科学で分かるっていう時に、そんなわけないだろうって皆さん思っているから、非科学的なところに入っていく。それはそれでかまわないけれど、でも皆さんが育児なり保育なり教育なりで伝えていこうとすると、一般化しないといけないし、それには、当然科学性のあるものでないと広められないでしょ、ていうふうになって来ると思うんです。だけども、それが一般に受け入れられているかどうかっていうのは、別の話になりますけれども。

実は今、非常に困っているのが、児童精神科と小児神経の問題なんです。子どもの軽度発達障がい。発達障がいって言った時に、子どもの心の問題っていうふうに考えられている人がいるとすれば、それはもうすぐに止めていただきたい。心の問題ではありません。あれは、脳障がいの問題です。どこが違うか、障がいって問題で捉える時と、心って問題って捉える時には全く違うって話になるからです。心の問題になってくると、接し方の問題になってくるし、場合によっては親の育て方が悪いって言う人がいっぱいいるわけです。それは何の流れをくんでいるかというと、お腹に居るときに…ってもってくるわけですけども、少なくとも振り返りで、子どもたちの問題が出てきたときに、お母さん方を問い詰めて「育児はどうでしたか?」お母さん方は「そう言えば…」って、「それが原因ですよ。」って言い方は少なくとも科学的ではない。これをやっていても解決はしない。なぜなら終わったことを振り返っても解決しないからです。基本的にね。そうじゃなくて、発達障がいの全てが脳障がいだという話になってきますと、それをどう受け入れるかって話になります。お母さん方、お父さん方を責めることにはならない。現実的に発達障がいのほとんどが脳障がいですから、必ず脳の障がいがあるわけですから、脳障がいだということを受け入れていかなければいけない。なおかつ大事なことは、脳障がいであるってことは、普通の子はならないってことです。だから少々キレたり、問題のある子と、いわゆる発達障がいとは、全く違うものだという観点を持たなければいけないということです。少々キレっぽいやつは、私のようにキレっぽい人間は、これでも一応正常なわけです。そこの線引きをきちんとしないといけないという早期診断はあります。けれども診断をすれば治るという発想にはなりません。診断をすることが、なぜ許されるかというと、治療があって初めて内定します。治療がない段階で診断をしても意味がない。ってことは、診断をする医者は当然治療も常に念頭において指導ができない限り、言っちゃいかんというふうになります。そうすると、私は診断をしないっていうか、しても意味ないから…と思っていますし、ADHDかLDか区別したって、あんまり関係ないので…。今のお母さん方一番困るのは、あなたの子どもさんはADHDですよって言ったら、すぐ何とか先生の本を読んできて勉強してADHDをわかったような気持ちになりますけど…分かりません。全部子どもは違いますから。子どもたちが違う以上診断をしても意味がない。と私は思います。なんとなくね、診断すると分かったような気になるんだみんなね。私はADHDの専門医だみたいに言っているわけですけど、治療まで出来ないと意味がないんだろうなって気もしますけど、いずれにせよ、その子どもたちをきちんと診ることがまず第一で、診断をするんであればそういったように努力を考えてしなければいけませんよ。ということになります。

子ども感の変遷に戻りますけれども、実はこの20世紀に行われたことは何かっていうと、もう一つ大きな問題は子どもたちに対する考え方が随分変わってきましたよということです。考え直さなければいけないだろうなと思うのは、今までは実は何歳までは神のうち、何歳までは人のうちって変わってきたのはそうなんですけど、ようするに今のお母さん方、若い世代の人たちは子どもを作るっていう発想になっている。結婚してそろそろ子どもを作ろうかっていう会話が、普通に行われているわけでしょ。われわれが、結婚したころは子どもは授かるものであったので、子どもが出来るかどうかは、なんとなくコウノトリが持ってくるかなみたいな、わりに純粋なっていうか、可愛らしい考え方を私たちは持っていたわけで、子どもが出来ると神様がくれたと思って素直に喜んだわけですけど、今の若い人たちは、子ども作ろうと思ってますので、出来て当たり前って話になります。大体生命が生まれるってことに対する、畏敬の念は常に持ったほうがいいだろうって考えれば、これは授かるものって考え方はおいとかなければいけないんじゃないか、医学が出来た為に授からぬものになったし、下手をすると再生医療が出来たために、部品まで出来るようになった。すると子どもはもうお人形さんになってきた。ってことは作り直してもいいってことになってくるでしょ。変なものが作れたら、作り直せばいいって話にだってなってきてる。一方で、子どもが死ななくなってきたから、お母さん方に育児ができなくってきた。なぜかというと、失敗して死んだりしたら、お母さんが追及されるから。そうしたら子どもできませんよ。作る気にならない。ようするに子ども観がガラっと変わり始めてきた。で、死ななくなった為に不安が増えてきた。片一方で作り変えるって発想になってきた。そうするとどこへ行き着くかっていうと、かなり怖いものはあるだろうなって気がします。もう一回昔に返るって話じゃなくて、ここの問題点をきちっと話さなくてはいけないだろう。代理母がどうのこうのって話題になってくる前に、なぜそういう事が言えるのか、神様の領域に医者が或いは人間が入っていっていいのかどうかって問題だと考えなくてはいけない。確かに子どもがほしいって分かるし、結婚して子どもが出来ない人たちがそれで悩んでいることは分かります。だけどその結論が、“子どもを作る”ってことだけですか、不可能なことは不可能なんだって発想もいるかも知れません。いくら頑張っても子どもが病気で亡くなる場合はあります。その時、小児科の医者を責めてもらっても困るって時だってある。と言うと、医者のおごりだって言われるかもしれませんけれども…。やっぱりそこも少し考えていかないと行き過ぎたところがないことはないなという気がします。みんなでもう一回、子どもは何なのか、子どもの発達は何なのかということは、常に考えていただいてもおかしくはないんではないかなっていう気がします。

科学、科学っていう一方で、科学でないものに対する憧れはずーっと持っているのが、ピーターパンであったり、星の王子様。ようするに大人になってほしくないって願いがあるのだろう。子どもの将来はすごいっていう一方で、大人になるなよって、矛盾した時代が20世紀だったわけです。そうすると、21世紀これに変わってどういう発想を発達学にもってくるかということが重要になってきます。私が思っているのは、21世紀にもし出来るのであれば、良いことも悪いことも含めて子どもは発達する。夢もあるけど大変なこともあるよ。或いは希望もあるけど限界もあるよということをちゃんと認めたうえでの発達感をしなければいけないのじゃないか。もっと言えば、これから子ども作って育ててようと思うお母さん方がいれば、大事なことは自分の相手をどう評価するかってことになるのじゃないか。個性を伸ばすって時に大事なことは、自分のだんなさんのいいところをどう探すかってことなのじゃないかな、自分の良いところ悪いところをどういうふうに判断するってことじゃないのかな。もう一回言いますけども、親なみに育てることをきちんと考えたほうがいいかな。親なみにってことは、親のいいところをという意味ですよ。だんなのいいところだけで親なみになんて言えませんからね。だから育児っていうのは、基本的に夫婦がお互いに見直す作業なんだろうなって気がします。

共働きなんですけどね、小児科の医者で大変なんですよ。子ども4人も作って…まぁ出来ちゃったわけですけどね。全部保育園ですからねうちは、6ヶ月から保育園ですからね。6ヶ月から保育園に出した時に何と言われたと思います。「医者なんでしょ。金持ちなんでしょ。人雇って、家でみればいいじゃないですか。なんで保育園に預けるんですか」って。保育園にやるのがいい親なんだよ。私は子どもが出来た時に保育園に入れたかったんです。最初から保育園に入れたかった。入れる事が重要だと思った。なぜかっていうと、子どもの集団があるのは保育園しかないと思ったんです。保育園を選ぶ条件は何かっていうと、良い保育士さんがいるところは選ばない。子どもを放し飼いにしているところを選ぶって(笑)。それが風の子保育園、この保育園は実はですね、父親の野球チームがいて今だにいるんですよ。さすがに60になったら野球チーム出来ないと思うでしょ。すると息子がいるんですよ。風の子保育園の野球チームは今、2代目。で何が一番楽しかったというと、保育園で酒盛りしたんです。これを保育園にいる間ずっと続けていたもんですから、実は私らの父会っていうのは10年位続いたんですよ。何でかっていうと、次また保育園に入れたいねって。なんてことないお父さんが野球チームを続ける為に、子どもを作って保育園に入れたというね~わけの分からん保育園でね、結局最終的に何があったかというと、保育園が地域になったんですね。○○町ではなくて、○○保育園で我々は生活をしてた。だから何かがあったら、保育園に行ったんですね。だから保育園は園のものではないと思ってました。親達のものだと思ってましたから、私たちが威張っていました。園長先生がいろんな研修会するときに、親の方が「許可証出せ」みたいな、ここは我々の保育園だみたいなところがありましたから…そういうこともずっと考えていくと、子育ても違ってきた。そういった意味で、もう一回見直しをした方がいいなと思っているし、今日ここに来させていただいて、やっぱり保育園も大事だし、地域はいいよね。やっぱり田舎はいいよ。空気うまいし、水うまいし、米うまいし、魚がうまいし、梅干はあるし、らっきょうはあるし、子どもが脱水してもポカリスエットいらないんだから、お粥さんと、梅干と、らっきょう食わしときゃ、りっぱなポカリスエットですからね。まぁどうでもいいんですけどね(笑)だけど、そういうの考えたときに、実はここで講演させていただくのは逆でね、ここの人たちが東京で講演しなきゃいけない。ここの保育がいかにすばらしいかっていうのは、ゴマすってますけど(笑)今さらゴマすっても講演料あがりませんので(笑)。ほんと地域がなぜ大事か、地域で子どもたちを育てることの重要性をこれからもっと言わなければいけないとしたら、育児情報を出さなければいけないのは、実は東京じゃなくて、横浜じゃなくて、鳥取であったり福井であったりするはずなんです。だから福井だったり鳥取だったりする保育園はもっと胸をはって東京に発信してほしい。お母さん方もそれをちゃんと言ってほしい気がします。だってこんな田んぼの中だったら、大きな声したって声が飛んでいくんだもん。「わぁー」って言ったって、すーっと聞こえなくなるけど、東京が何が起こるかっていうと、前に壁がありますから、園庭で「ぎゃー」っていうとまた返ってくるわけです。子ども2回怒られているのよ、「バカ」っていうと、向こうからまた「バカ」って返ってくるでしょ。また返って「バカ」って「バカ」「バカ」…って下手するとずっと、わんわん~~って子ども落ち着くわけがないじゃないですか。ここなら、すーっと消えていくじゃないですか、いいよね。って話ですよ。だからもう一回考え直すとき、20世紀から考え直さなくちゃいけないのは、行き過ぎた科学性を強調したのを訂正するっていうことと、きちんと子どもの育児を考え直すっていう点では、地域にとっかかりはあるんだろうなって気はします。

赤ちゃん学会を作りましたのは、何かというと基本的にはいろんな研究をされている情報を、お母さん方に出したいなということで、いろんな研究をされていますので、お話をさせていただきます。
うちの学会にはロボットの研究者がいるって話をしました。ロボットの先生がたがなぜいるかってことに少しふれますと、今、ロボットっていうのは計算式を入れ込んで人間が思ったとおりに動かす以上の動きをロボットはするわけです。それで、我々がこういう動物とか人間で得た情報をロボットに入れ込み、そのロボットを動かしたときに、シュミレーションした理論が正しいかどうかって分かる。ようするに、人間の赤ちゃんの歩行パターンを解明して、メカニズムが分かれば、それをロボットに打ち込んでいってロボットを歩かすことによってその理論が正しいかどうかが分かるって発想になります。我々はボトムアップ的な研究をして、彼はトップダウン的な研究にそれを結びつけてくるということが出来れば、証明ができるでしょうってことになります。究極のロボットは何を作りたいかというと、成長発達するロボットが作りたい。だから赤ちゃんから徐々に大きくなってきて、大人になって死んでいくようなロボットを作りたい。究極ですよ。浅間先生ってロボカップやってる先生です。ロボット使って国際のサッカー大会の理事長で、仲良い先生なんですけど。この先生ねアンドロイドっていう人間と似たようなロボットを作っているんです。これ一体3千万円くらいするんですよ。若い女性のアンドロイド作ってね、これが300体売れたんですよ。これどこに売れたと思います?誰が買ったと思います?買ったのはアラブのどっかの王様が買ったの。銀行の受付に置いたんです。何でかっていうと、テロで爆破されると、アンドロイドって大丈夫でしょ、無くなって終わりだから…。人間1人死ぬと大変ですからね。でもやっぱり若い女の人がいいじゃないですか。日本人の顔した受付のロボットが、アラブのどっかにいるみたいですよ、300体ほど。3千万で300体っていったら、90億、これがね儲かってないんですよ。作るの高いから…、ぱーっと全部出来ませんからね、結構手作りのところがあって。何が言いたかったっていうと、アンドロイド作って面白かったのは、人間にだんだん近いアンドロイド作っていくと、どっかで気持ち悪くなるんですって。人面魚っているじゃないですか、人面犬とか、或いは壁に人の顔が映ってるていうじゃないですか、霊の写真とかって、あれ全然違いますからね、人間ってそういう能力持っているんです。ようするに人間に似たようなものを探し出す能力っていうのは、持って生まれてくるんです。だから人間の赤ちゃんはまっすぐな線よりも、丸い線を好むんです、それはお母さんの顔に似てるから…生まれつき人間っていうのは、人間に似たものを探す能力を持っているわけです。ですのであれは霊が写っている写真では絶対ありません。そう見えるのは当たり前の話なんです。あれを探して霊能者が「ほら、女の人がちゃんと写ってますね」なんて写っているように見えるだけ、悪いですけど…。心霊写真ではありません。ただ面白かったのは、ろう人形見ていると気持ち悪くなる人いるでしょ。ずっと人間に近づけていくと、人間って嫌悪感が増すんです。これがね不気味の谷っていう意見書があるんです。似たものがいると排除しようとするんです。これね、ひょっとするといじめの原因に関係する可能性がある。同じような子どもたちをずっと入れ込んでいって、競争させると誰かを排除しようとする。ところが、はじめから障がいがある子どもたちっていうか、自分たちと異質なものをいれると、子どもたちはどうするかっていうと、中に入れようとするんです。だから、教育において発達障がいの子どもさんを入れることの重要性っていうのは、自分たちとは違う、或いは自分たちの能力とは違う人を入れることによって、その実はクラスがうまくいくっていうことなんです。人間っていうのは、もともといろんな人がいる社会でないとうまくやれないんだろう。それを一定にしてきちんと選別をして、一つに集団を作ったら伸びるかというと、そうはうまくいかないのは、分かっているじゃないですか。英才教育で早くから良い学校に入れたやつは、確かに伸びるやつはいますけど、考えたら高等学校のある中学校に成績別に行くんだったら、進学校って全ていいわけですよ。上から順番にランクづけされたら、2番目の学校から飛び越えていくことは無いはずでしょ。もちろんそういう学校であれば、でも、現実はそうじゃないでしょ。飛び越えている人もいるし、落ち込んでいく人もいるだろう。落ち込んでいるケースは何かっていうと、均一な集団を作ったことの問題なんです。だから世の中には、どちらかっていうとまばらな集団を作っといた方がいいだろうっていう、それが出来るのは実は、保育園なんですね。だから保育園っていうのはいいだろう。思いやりは、思いやられる子どもがいて、初めて成立する行為なので、同じような子どもたちを揃えていくら道徳教育をしたところで、思いやりは生まれません。競争心しかないから…と考えるとね、いろんな考え方ができるでしょ。だから発達障がいの子がいるから、子どもたちが授業で邪魔をされる。或いはうちの子どもたちは、横でぎゃーぎゃーいうと勉強の邪魔になるっていうふうに、狭い考え方を持っているお母さん方が、もしいるとすれば、あなたの子どもたちはそれ以上に重要なものを、発達障がいを持っている子どもたちから学んでますよってことです。たぶん、算数国語理科社会の成績が伸びる以上に、重要なものを子どもたちは勉強しているだろうと、だからいろんな障がいがある子どもが同じところに住まなければいけないというのは、そこなんです。
障がいがある子どもたちの為に、普通の子どもたちと一緒に住まわすのではありません。普通の子どもたちにとって、いろんな子どもがいるってことを勉強する為には、どうしてもいろんな子どもたちを入れたクラスを作らなければいけないと考えれば、ほんとに自然の状態でその地域の中でそのまま学校に行けばいいってことあるでしょ。なんとなく、見方が間違っているんですよ。よく学校に行きますけど、たとえばADHDの子どもがいたら、うるさくて授業が出来ない、ギャーギャー言うのは先生だけですからね。だって横にいる子どもたち全然迷惑してないんだもの。だって一日中うるさいんだもん。一週間いたらうるさいの分かっているんだもん。こいつはうるさいなと思ったら、しゃーないなと諦めてんだから。だからADHDで学級崩壊してるんですよって言いますけど、そういう学校を見たことありますけど、学級崩壊しているのは先生だけだもんね。勝手に崩壊してるって、子どもたちはうまくやってるってことが結構ある。そこで崩壊し始めたから先生が攻撃し始めてくるとなっちゃいます。だから考え方かなと思います。
なんで、不気味の谷からこっちいくかっていうと、不気味の谷っていう現象って結構面白い。だから近いと差別でしょ、我々は中国の人かな、韓国の人かな、日本の人かなって分かるじゃないですか。アメリカ人は全体分からないですよね。逆に僕らがドイツ人とオランダ人が分かりますか?分からないですよ。でもオランダ人はドイツ人大嫌いなんですね。パッと見たらすぐ分かる。どこが違いまんねんって聞いたら、匂いが違うとかね、は~っ?て…分かんないですよ。同じ人種だもん。言葉だってドイツ語と英語って似たようなとこありますからね。オランダ語って英語とドイツ語の間なんですよ、言葉が。チーズはカースなんですけど、オランダの一部ではチーズって、あの小ちゃいオランダだって実はオランダ語じゃない少数民族がいるわけですけど、そこはほとんど英語とオランダ語のあいだ語なんです。それでもわかるんですもん、あいつはフリースランド人だっていうんだもん。ずっと近いところに住んでると差別が生じます。だから似てる子どもには差別が生じるけど、違った子どもには差別をしないということを、教育の中でどううまく使うかです。そこをワンパターンに考えてると教育できないでしょ。自分たちの世界だって、同じような人たちばかりだと面白くないでしょ。俺よりできないなと思うと気分慰められるしね。すごいなと思ったらマネをしようかなと思うわけじゃないですか、だからもっといろんなひろい幅で子ども達を見ていったらいいなと気はしますけどね。そんな話もあります。これはロボットやさんです。実はロボットで何をしたかっていうと、ロボットがいて赤ちゃんがいて、実は研究でわかっているのは、赤ちゃんがクーイングといって赤ちゃん語でしゃべると、お母さんがオウム返ししてマザーイズを返すって、或いはマザーイズをするとクーイングが返るという報告があるので、これをロボットでやりました。養育者っていうのは研究者です。赤ちゃんがロボットです。ロボットに向かってお母さんが、研究者が、「○○ちゃんかわいいね」みたいなことをしゃべると、それを聞いてロボットが返す。その時のお母さんみたいな声で返すってことをやっていくと、研究者もだんだん仲良くなってきて、インターアクションができるよねっていう…信用する?赤ちゃん学の研究って割りにね信用できないやつがいっぱいあるんです。信用するかしないかは、その人の性格による。鳥取の人はそういった意味では、疑り深いか、疑り深くないかがすぐわかる。
実はですね、赤ちゃんが足し算がわかるっていう話。生後5か月の赤ちゃんが足し算がわかるっている話。1匹ねずみをを置いておきます。モニターのテレビでね。一回隠します。音をトントンと2回叩いてパッと開けるとねずみは3匹っていうのと、一匹ねずみを置いて隠して1回トンと聞かして開くとねずみが3匹という時に、3匹のねずみを長く見る時間、どちらがが長いかということを調べるわけですね。1+2が3になるか、1+1が3になるかです。わかってます?すると5か月の赤ちゃんは1+2から3になる時よりも、1と1で3になるほうが長くみます。あれ?なんでやねんって考えるから、赤ちゃんは足し算が分かってるって話なんです。5か月よ、これ信用する人?そうとう疑り深くなっちゃった。どうもこのへんがいい加減で誰も信用しないけど、実はこれはいろんな人が研究やってて、何回やっても同じ結果がでるんです。間違いなく5か月の赤ちゃんは足し算がわかる。でこれを反対にすると、引き算が分かる。3匹いて1匹引いて、2匹残っている場合と、1匹の時には、赤ちゃんは1匹の方を見ますから。実は、これ難しいとおもうでしょ。おんなじこと出来るのがいるんですよ、動物の中で。何だと思います?動物の中に足し算引き算がわかるやつがいるんです。チンパンジーって、オランウータンっていうと思うでしょ、実はカラスなんですよ。カラスだとわかる?ごみ収集が来るじゃない、その時に監視小屋にね人間を入れるわけですよ。まずやったのはどういうことやったかというと、1人の人間が入って、しばらくたって出ていくと、カラスは取りにいくんですよ。もう居ないと思うから、それを繰り返すわけです。2人入って、1人出ていくと、来ないんですよ。残っているから…。もう1人出ていくと取りに来るわけですよ。何人入るまでカラスは計算できるか。実は子どもたちに数を覚えさすときに、1歳とか2歳の赤ちゃんに1,2,3あとは、たくさんなんだ。ということは、3つまでわかるんです。だからこれ3つまでなんです。疑り深いやつは、これを4にすると赤ちゃんさっぱり分りません。ちょっと面白いと思うでしょ。カラスの話をすると、あ~そうかって、人間の赤ちゃんも分かるかなと思うでしょ。でも、4歳の子が足し算できないの?できないでしょ。4歳くらいになると、1+1が出来ないのがいっぱいいるわけでしょ。これなんでだと思います?こういう現象が有事現象ってあるわけです。赤ちゃんが生まれた時の能力と、それをいったん消して、もう一回出てくる能力を持っている。だから何を言いたいかっていうと、胎教しても意味がないってことです。忘れるんだから、無駄! 間違ってもお腹に電話するようなバカなことはしないでほしい。そういう人いるじゃないですか、お腹に何とかフォンとか当てて、「お元気ですか?」っていう。もっと面白いのが、お父さんが「お父さんよ」って。分かるかそんなもんってね…。男っていうのは、何となく淋しいもんで、信用するしかないもんね。たぶん、お父さんなんだろうなって…(笑)「うんうん」って言ったよって、お母さんうまいからね、「あら、声がわかったみたいよ」なんてね。するかそんなもんね。有名な心理の先生だって「お腹にいる赤ちゃんは、お母さんが楽しい時は楽しくて、悲しい時は悲しい」そんなわけないじゃないですか。なんでお母さんが幸せだったら、赤ちゃんが幸せになるのよ。そんなどうやって証明するのよ。証明できません。できるのは1個だけあります。お母さんがストレス多いときには、赤ちゃんが反応します。ようするにいろんな育児実験で、悪い条件においたら、良い条件に比べたら悪くなるっていう証明はいっぱいあるんです。チャウセスクの所で、変な育ち方をした子どもたちを、普通の乳児院に入れたら良くなった。だからいい環境にしたら良くなった。悪いやつをよくすることはできますけど、それ以上にはできません。そこのからくりがわかってないんですよね。悪い状況だと悪くなる、これを良くしたら良くなるってこれは当たり前です。ところがそれ以上良くしたときに良くなるっていう話はありません。もう1つよく使われるのが、ねずみの実験で、ねずみの環境をよくしたら、そっちのねずみの方が頭が良くなった。ねずみの環境がいいかどうかって、なんで人間がわかるの。よく出されるのは、くるくるよく回る風車とか入れてね、ねずみが楽しんでいるって…。ねずみはえらい迷惑やで。人間が見ているところで、くるくる回って「あんた楽しいね」って言われて…。ねずみにしたら「早く出してよ」っていうに決まってるよね。放し飼いにさせてよ、その方が幸せだって…いうに決まってるじゃない。そういうことを使って、悪い状況から良くすることはあります。これは証明はいくらでもできます。ところが、良くしたからって良くなるって報告はありません。出来ません。なぜなら、良い状況っていうのは難しいからです。悪いのは誰でも悪いと言えるんですが、良いっていうのは難しいです。個人差があったり、考え方の違いがあるからです。悪い状況っていうのは誰が見ても悪いんです。戦争の真っ只中で住んでる子どもたちが良い状況だなんて、誰も思わないわけでしょ。戦争がない状況の子どもと比べた時に、戦争がない子どもたちが幸せ。これはいいですよ。だけど、良い状況で比べた時に、果たしていいかどうかって難しいでしょ。だけど、子どもの教育なりを言っているデータっていうのは、裏返しにしているだけです。裏返し出来ないものを裏返しにしても仕方がない。何が言いたいかわかります?どう接しても一緒だから、まぁのんびりやるべって、悪くしなきゃいいんだよって考えれば楽です。悪くすることは出来ますから防げますけど、良くしようとするから、お母さん方苦労するわけでしょ。うちのお袋みたいに、何でもかんでもやろうとして大事なことはダメなら諦めなさいってことです。だから育児っていうのは、あきらめが肝心だよって。今日の講演は全部これに繋がるんです。楽でしょ。だって、お母さん一人で育てるって無理なんだから、ここの保育園は違うんですが、いろんな保育園に行くと、お母さんの代わりって言ってさ、保育園に出すくらいだったら、家で見なさいって保育士さんずいぶんいますけど、今の子ども達は家で24時間お母さんといる方が不幸ですよ。今でなくてもずっとそうですよ。お母さんと一緒にいる子どもが幸せだとは思えない。だって24時間もたないもん。そういうこというのは、大抵お父さんなんです男なんですよ。そういう先生いっぱいいますけど、育児なんて絶対やってませんから。紙おむつと布おむつの事よく言われるんだけど、紙おむつが愛情なくて、布おむつがあるってよく言うじゃないですか、だから布おむつにしなさいとかね。おしっこするかどうかは、紙おむつと、布おむつに差があるっていうやつ、おしっこしたあと、布おむつは気持ち悪いけど、紙おむつは気持ち悪くないから、赤ちゃんいつも垂れ流しするって言うでしょ。あれへんよ。考えてみてごらん。おしっこするかどうかていうのは、溜まるかどうかの問題でしょ。溜まったときにどうしよう、どこに出そうかって時に、出た後が気持ち悪いからって考えている人います?今出したいなとか、我慢しようかしか考えないでしょ。布おむつだと気持ち悪くて…って考えるバカいませんよ。布おむつとか紙おむつとか言いますけど、50枚おむつ洗ったことあります?私は双子で年子だよ自慢じゃないけど…。3人ガキだよ。3人子どもがいて、毎日おむつ50枚洗ったのよ。布おむつで。だって紙おむつ無かったから。愛情わきません。わくわけないじゃん。毎日、京都のくそ寒いところで冬の冷たいところで、言いますけど布おむつはトイレで洗うんですよ。自分がウンチしたところで洗うんですよ。手入れて洗うんですよ。こんな顔しながら。愛情感じます?感じませんよ。このやろーちょっと我慢しろって思うんじゃんね。私も小児科の医者ですけど、そのころ小児科の先生何を言うかというと、ウンチの色を見て、においを嗅いでみましょう。それで健康度が分かりますって。分かりません。腹立つだけだもん。その時外来やってたからね僕、お母さんにウンチの色見て時にはにおいを嗅ぎましょうなんてやってたからね。これだけ嘘をつければ、立派なもんだよ。だから無理な事言ってもしゃーない。だったら利用すればいい。ミルクがダメで母乳がいい?出ないもんしゃーないやん。うちなんて、3つ子やで、おっぱい足りひんもん。おとっつぁんどう頑張ってもおっぱい出-へんもん。小児科学会の先生とかがさ、母乳が減ったら登校拒否が増えたとかね。なんやねんそれ、うちの子が登校拒否かって喧嘩しようかと思ったこともあります。そんなおっばいだけで変わるんだったら、苦労せーへんで。母乳さえ飲ましたら、不登校が減るんだったら、とっくの昔にやってます。だけど母乳数増えたけど、不登校減らないじゃないですか。母乳がいいことはいいですよ。否定はしませんよ。人間だけですよ自分の親のおっぱい飲まないのはって、なんで人間の子どもが牛のおっぱい飲むんですかって言う人がいる。文明を開化させてミルクを使うのは人間しかいないからですよ。われわれは牛と違う、サルと違う。なぜかって言うと、それを出来たから人間の赤ちゃんは生き残って来たじゃないですか今まで。栄養失調ならずに来たのは、ミルク会社が頑張って来たからじゃないですか。世界にトップレベルのミルク作ってるんですよ、日本のミルク会社は。ミルクを飲みましょう、母乳を止めましょうってどこが悪いの。こんな話をすると紙おむつが国を滅ぼすって言う先生がいる。無責任な事言うなって。洗えってこれから毎日、出来るか?って、「おまえ家に雇ってやるからやれ」って言ったら、年取った先生だったから「俺は出来ない」って。「なら言うな」って。それから言わなくなりましたけど…。頭で考えるのは構わないけど、それでお母さんいじめてどうするのよ。出来ないなら出来ないって。“早寝早起き朝ごはん”、朝ごはん食わない民族だっているんですよ。俺、朝ごはん食べますよ。肥満児です。3回食ってこうなったわけですからね。2回に減らそうかなって、でも食べるしか楽しみないので…もう立派なメタボリック症候群。改める気はさらさらありません。私、酒も飲まないしタバコも飲まないし女遊びしないし賭け事しないでしょ。楽しみ喰うことだけですからね。いいんです、早く喰って、ポコっと死ぬんですから。
簡単なことなんです。みなさんが絶対これが良いって言うときに、ちょっと逆考えて見なさい。その余裕が日本に無くなってきている。だから育児がしにくくなってきている。母乳が出なきゃ、ミルク飲んでいいじゃない。だけど金はかかるよってことですよ。紙おむつ使ってどこが悪い。あきらかにおむつかぶれが減ったんですから、だったらそれでいいじゃないですか。なぜ布おむつにこだわる、なぜそれが愛情なんですか。お母さんを縛るのはもう止めてほしい、と思いません?あんなに愛情が足りないって誰が言えるのよ、って思うんですよ。だったら適当にやれって、親は無くとも子は育つって言ってくれる先生が増えなきゃあかんでしょ。私は、親は無くとも子は育つよって、親なみにしかならないから諦めてねって、外来でよく言うことにしてるんですけど、そうすると、患者さんは増えないですね(笑)。だけど気は楽になるかな。
子どもは褒めて褒めて育てろっていうでしょ。褒めて褒めて引きこもりですからね。間違いなく。褒めて褒めて引きこもりなら、怒って怒って引きこもりの方が楽。なぜかって言うと、原因はあなたにあるっていうのが、よく分かるから…。もっと言いたいのは何かっていうと、褒めるっていうことは、少なくとも、見方が上から下なんです。褒めてあげてるんです。子どもたちはそれを好みませんって。子どもたちは出来るだけ対等な形で、大人と接したいところがあるとすれば、バカって言うことも必要だし、ダメって言うことも必要だし、あほっていうのも必要になるわけです。外来でね、子ども泣かすことに凝ってまして、お母さんに「今から泣かしますから、横で見ていて下さい」って、実は1時間に2人しか診ない外来なんで暇なんです。(笑)。10人患者さんがいると、看護師さんが止めてくれって言うんだもん。先生疲れすぎ。今日は十分仕事しましたから、10人でいいですって。絶対あの病院そろそろ潰れると思いますけど…。何がそれで分かったかというと、怒られることで子どもは伸びるんです。なぜかって言うと怒られると、何でかって子どもは考えるんですよ。面白いのは実は赤ちゃんを遊ぶ時に、たとえば4ヶ月から1歳になる赤ちゃんで、もっとも嫌な表情って分かります?。赤ちゃんにもっとも嫌なことをしようと思うと表情を変えれば、すぐ嫌がります。何かっていうと表情をなくすことなんです。顔を動かさないことです。顔を止める、するとねものすごく嫌がります。これね、めちゃくちゃ面白いですよ。どんな赤ちゃんでもやりますから。これね今、外来で凝ってるんですよ。それでね何が面白かったかというと、4ヶ月の赤ちゃんは、すごいショックなんですよね。顔の表情が無くなるというのは。6ヶ月になってくるとさすがにちょっと、怒り顔と笑い顔で止めるのと反応が違ってくるんです。面白いのは9ヶ月の赤ちゃん、どうすると思います?赤ちゃんの前で表情止めるとね何すると思います?ごまするのよ。自分から笑うのよ。手をだすやつもいるのよ、こっち向いてって。これをなぜやらないかですよ。いじめてくると、向こうから努力をするわけですよ。だから怒れば努力するってことなんですよ。怒られたら努力するってことをなぜしないかですよ。なぜ褒めろ褒めろって言うやつがいるかってことです。いかに子どもを知らないかってことです。
保育園でこの間ブランコやってて、振れ振れっていうからだんだん大きくなって、ストンと落ちたやつがいるんですよ。この時にどう接したらいいか、正解は「バカ」って言う。「お前が手を離すから落ちたんだ。俺は知らないよ」って言うと、その子はどうしたかっていうと「もう1回」って来たんだもん。そこで「痛いね、お父ちゃんが悪かったね」って言うとそれで終わっちゃうんです。終わりにしない為には、もう1回やるって気にさせる為には、落ちた子どもをけなすことなんです。実はそれが子どもたちにとっては嬉しいわけです。対等扱いされてるって分かるから、のりの良い園長先生に同じことを教えたら、この間相撲をとって投げられて泣きそうになった時に「弱虫」って言ったら、子どもが泣くの止めて飛び掛ってきたって、それを何回か繰り返していくうちに園長先生と仲良くなった。褒めて褒めてどんな子どもが作りたい?セルフエスティーム、自尊感情。自尊感情行き過ぎたらわがままな人間なんですよ。だからなんだってプラスにはならないんですよ。全部プラスも行き過ぎたらマイナスなんだから、そこでバランスを取らなければならない。褒める一方でけなさなければいけない。或いは怒らなきゃいけない。ずっと怒っといて、1回褒めると子どもは感激するわけでしょ。うちの子どもなんてお父さん怖いんだからね。だって、私は家から叩き出したんだからね。暴力振るいましたよ、18歳の時にぶん殴りましたもの。うちの儀式です(笑)3人とも家から叩き出しました。で、きっかけを言うと私が悪い。こっちの方が悪いことしたんだから、わがままなんだから…で、一言、「お父さんの言うこと聞けなかったなら家から出てって」私がめしを喰わせている間は俺の言うことを聞け。それが嫌なら出て行ってもらわな、しゃーないわね。私の家は私が憲法なんだから、偉そうに言って後でかみさんに「ごめんね」って謝らなきゃいけない(笑)本当はかみさんが一番強いんだねって話なんだけど。だけどそれはあえてやりました。男親の重要な仕事は何かって言うと、世の中が不条理であることをいかに教えるかなんだよね。世の中理論どおりにいかないよって理屈じゃないよって教えるのは父親なんですよね。父親はかなり息子や娘の前の邪魔をしなけりゃいけない仕事なんだろうと私は思います。だからいつも分かりやすくて、いつも良いお父さんにはなってほしくない。お父さんが、お母さんの育児の代わりをする。いくらやってもね、私だってずいぶん、ご飯も作りましたし育児は半分以上私がやりましたけど、かみさんが最後に言った言葉は何かっていうと、「あんたは、育児はたしかにしてくれて、助けてくれた。でもあんたの育児はやりたいときにやってる育児なんでしょ。私たちは風邪をひいてても、熱だしてしんどくても、やらなきゃいけないときにはやらなきゃいけないのが女の育児だったとしたら、男は余裕のときしかできないなら、育児したとは言うな」すいません、ごめんなさいってそこから講演会では、育児したってことは言わないようにしている。いろんなこと言われてますけど、なんでそんな単純なんだろうね。褒めて褒めて良い子が育つなら、人間苦労せーへんって。褒めて褒めてごますって何ぼやねんって言われますよ子どもに、「良い子だね」って言ったら、「次何する?」っていうじゃないですか、もうなめられてるんだったらさ、怒ればいいじゃん、喧嘩すればいいじゃん。だから怒ることも考えなくてはいけない。おいしいご飯を作れなかったら、まずいご飯を作りなさいって、まずいご飯を作るとどううまく食べるかを考えるから…間食しなくなるから。お母さんがいつもおいしいご飯を作ると、子どもは食べなくなる。まずいご飯を作ると、時に良いご飯を作ってやると感激する。楽でしょ。まずいご飯を美味く食べようと、子どもたちはお父さんと話しをして楽しく食べようとするわけだから。何を喰わすかじゃなくて、いかに食べさすかが重要だとしたら、何を食べさすかは重要ではない。食欲いらない。DHA?ドコサヘキサエンサン?鰯の頭喰って頭良くなる?昔の人もっと頭良いわね。私ら鰯食えなかったんだから、芋がゆ喰ったんだからね。頭悪いかもしれない…。けれども、そういうことだってあるでしょ。何が物の本質かってことは考えないと分かんない。食事の「食」って“人が良く”って書くんですよ。良いものを入れるとは書いてない。人間関係を良くするために食事がある。だから障がい児の教育をする時に、何が一番大事かっていうと食事なんです。どんなに重い障がいの子どもだって、食べるものには興味があるから、その時に一番会話が出来やすいから、食事の時間っていうのは、コミュニケーションの時間として考えなきゃいけない。だから時間をかけて食べなさい。何を食べさすかじゃない。鰯を食う暇があったら、どうしゃべるかを考えた方がいい。と思いません?
視覚の話しで、生まれてすぐの赤ちゃんは、縞の大きな模様が分かったりすると、これで視力が分かったりする。今、視力0.02とか分かってますけど、視力0.02でお母さんの顔が分かるんですよね。なぜかっていうと、赤ちゃんは情報量が多くても分からない、情報量が少なくてもかまわない。だけど分かってますよ。小児科の先生では0.02の視力ではお母さんの顔は分からないと言われる人がいますけど、お風呂場でめがねをかけた状態でのものしか、赤ちゃんには見えてませんって言いますけど、赤ちゃんにとってその情報だけで十分なんです。それでお母さんとお母さん以外の人が分かりますから、なぜなら匂いとか声とかそういうもので判断するから、赤ちゃんはこの程度の視力でも分かります。でも間違いなく見えてますから、1ヶ月の赤ちゃんは、お母さんの髪型にむしろ注意しますから、外枠効果で外枠の方を見ますから、残念ながら中はあまり重要ではないので、お化粧はやめてほしい。まぁ旦那にとってもね、かみさんの顔なんてどうでもいいんですけどね…でもないかね…。4ヶ月に入ってくると、内枠の方に興味を持ちます。その頃にはお母さんお化粧考えて…。少しずつ赤ちゃんのこういう能力が分かると、対応の仕方が変わってくる。分かってないと思うと分かんないけど、分かってると思ったらいくらでも遊べる。4ヶ月の赤ちゃんが面白いのは、例えば左右に物を動かすときに目を追うのと、上下の時と赤ちゃんどちらが得意か知ってます?左右ですからね。面白いのは4ヶ月には手を出しますからね。ゆっくり、ゆっくり物を動かすと赤ちゃんは左手で取ります。ところがすっと来ると、右手を前に出します。右手をちょうど目の前に出します。これ何か分かります?これね予測が出来るってことです。赤ちゃんには物のスピードが分かってて、この程度で来るなと思った時に、まず間違いなく赤ちゃんは失敗しませんから。ある程度の速さでずっとくると、手を出しますから。するとね、なんとなく偉いなと思うじゃん。分かってるなと思うと遊べるでしょ。ゆっくりすると、こっち出すじゃない。6ヶ月くらいになると何をするかというと、ハイどうぞって手をだして、手を出す寸前に変えっこするわけです。すると赤ちゃん「んっ」ってこっちの顔を見ますからね。はいどうぞって言って、ダメって言うわけですから、赤ちゃん戸惑うわけでしょ。その時にこっちの顔を見ますから、「くれるの?くれないの?」って顔しますから。何回もやっていくと、手を出さなくなります。「あっおっちゃんくれないんだ」これ学習効果でしょ。赤ちゃん勉強してるよって話が分かる。だから遊びをしなさいよって話なんです。大事な事は何かっていうと、おもちゃは渡すもんじゃないってことです。おもちゃんを渡した段階で、親子の関係が切れますから。だから渡さないで長く持たせるテクニックがお母さんには要求される。そのためには赤ちゃんのそういう能力をわかってほしい。勝手に面白がっているんですけどね。だまし合いですよ赤ちゃんと。いないいないばあだって考えなきゃいけないでしょ。いないいないばあする時に、いつも同じ顔で出る時と、変な顔をするとかね。どっちを喜ぶとかね。4ヶ月の赤ちゃんは毎回同じいないいないばあの方を喜びます。ちょっと大きくなると、変わった顔を喜びます。いないいないばあを考える会(笑)。だから、赤ちゃん学が少し役立ち始めて来たかなというと、赤ちゃんの能力が少しずつ分かってき始めた。そしたらそれを利用して遊ぶことが出来るでしょ。だから、今脳科学がいろんな脳科学をやっていますけど、役に立たない脳科学がいっぱいある。場合によっては、役に立つ以上に、しょうもないやつもいっぱいあるでしょ。生まれたてのフランス人の赤ちゃんにフランス語をテープで聞かせると、ちゃんと聞いている場合は聴覚が反応する。ところがそれを反対に回わしてやると、反応しないっていうことは、フランス人の赤ちゃんはフランス語を分かっているということです。同じお母さんの声、声は一緒なんだけど、順回しと逆回しが生まれて5日目の赤ちゃんが分かるって信用する?これだと信用するんですみんなね。これだと信用するのに、なぜこの足し算は信用しないかって話ですよ。足し算だと笑いが取れるのに、何で聴覚の話だと信用するのですかってことです。グラフの曲線があるから、何となく科学的に見えるからあなた方はだまされる。だから脳ドリル?やってんでしょ?60、70のおじいちゃんがやって、30になったって喜んでるんでしょ。バカになってるじゃん、60が30になったら退行現象っていうんやで普通は…。そう思わない?だから10歳のやつが勉強して20歳のレベルになれば、成長っていうんでしょ。天才っていうわけでしょ。60のおっさんが勉強して30歳になったら、これ天才か?60歳のおっさんが勉強して90歳になったら、これ伸びたっていう話です。なんでこんな単純なことで、笑いが取れるの?ようするに、あなた方の中で二十限界論なんですよ、頭の中がね。若い方がいいと思っているの。だから今度、国民投票を18歳で、30歳すればいいんですよ。わけのわかんないやつにやる必要はないんですよ。考えられないんだから…。何が大事かっていうことですよ。我々は本当に今、価値観の一定していない時に、何を価値観として求めているかって、数字で分かりやすい指標を示したことに、皆さん方はのってくるんです。それが間違っているんじゃないですか。IQ120でバラ色の人生で、IQ80以下だと人生真っ暗だと言った人がいる。皆さんIQ120になりたいんでしょ。言っておきますけど、120になったら、全部100ですからね。だってあれは、みんなを比べての指数ですから、全員あがれば、みんな100ですからね。さもしい話ですよね。俺よりか下のやつが何人いるかって話ですから、それを一生懸命頑張って何でやるのって話ですよ。価値観ってそういうもんじゃないんじゃないの。それと、脳ドリルの大きな問題はあれは速さを競ってるゲームなんです。全てがそうでしょ反応時間でしょ。人間の脳の中には、有髄繊維と無髄繊維があります。髄消化が出来ている繊維と、出来ない繊維があります。髄消化が出来るものは、速くスピードがなります。伝達速度が速くなります。だけども、人間の頭の中には髄消化ができない神経線維があります。これは情報をゆっくり判断するための脳なんです。だから我々はゆっくりきちんとした判断が出来る人間になりたいんであれば、反応速度を競争しなさんなということです。じっくりやることだって重要でしょ。当たり前の話じゃないですか、だからなんで脳ドリルやって頑張ってたよって喜ぶのってことです。さもしいでしょって話です。もうひとつ問題は老人に対する蔑視ですよ。60歳が70歳になっていくと、これは大変だ50歳に戻しましょっていうのは、正当に老人を評価することにはならないでしょ。90歳のお年寄りがいたら、よう頑張ってくれた。我々によう教えてくれて、本当に良い世の中にしてくれてってなぜ皆さん感謝しなの。あなた方のお父さんが年をとった時に、あなた方は、1+1をやらせますか?それが親孝行ですか。ボケるのが怖いからでしょ。お父さん、お母さんがボケになったら、ちゃんとみなさいよって話になるでしょ。ボケるまでよー頑張ったなってなぜ言わない。その前にボケるようにするのは、刺激が少ないんだったらちゃんとお母さんお父さんと話をしたら、生活したらどうって話になりませんか。そこが最初じゃないですか、頭が良いのは何なのかっていうことを考えなきゃいけないでしょ。そこをちゃんと考えないで、脳ドリルにうつつをぬかしてていいんですか。そこ間違ってませんかってことが伝えたかっただけです。
赤ちゃんがお母さんのまっすぐ見た顔と、横向いた顔を見せると脳波が違いますよ。赤ちゃんは真ん中しか理解できません。だから何やねんってそれだけの話なんですけどね、それだけの話だけど、何となくこれ見せる(脳波の数値)とやっぱりそうだなって思うから、だましやすいってことだけの話。実はそういうことが、知られてないし、研究されてないことは大きな問題ではないか。ようするに赤ちゃんの教科書がなかなか無いのは、実は赤ちゃんのことが分かってない、或いは、0歳から3歳までのことが、ほとんど分かっていない。それは誰に分かってないかって話なんです。お母さんとか保育士さんとかには、分かっているけど、研究者には分かってないだけかもしれません。そうすると、研究者と現場の先生との距離を縮めることによって、学問が発展するんじゃにかと思って、赤ちゃん学会を作ったんです。赤ちゃん学会は明日からでも、ここにおられる方でのすぐに入っていただいて結構です。っていうのは、資格はありませんので、医者だろうと…とにかく赤ちゃんが面白いなと思った人はいくらでも入っていただいて、お金いただきますので…ひたすら会員を増やそうと思っていますので。じゃなくて、こういうことで、学者を変えてほしいんですよね。だって現実の人間を知らんもん。チンパンジーをいかにして頭良くするかをずーっとやっていたから、やればやるほど頭良くなる思っているんです。どこまでいってもチンパンジーは3歳の子どもを越しませんから、たぶんね。ねずみの実験でいい環境にしたら、人間が良く育つのと同じですよ。人間を見ずして、ねずみをサルを見て教育を語るなってことです。脳を育てる前に我々がやらなきゃいけないことは、人を育てるってことです。脳を育てる前に、我々がしなくてはいけないことは、子どもを育てるってことですよ。基本的には…。だから、育脳なんて話じゃないんだけど、育脳って私が言ったみたいな形になってて、でも、育脳っていのは大事ではありません。はやり大事なのは、育児だと思います。子どもをいかに育てるかってことを考え直さなくてはいけない。脳科学はまだ答えてないだろうと思います。チンパンジーとその人間の赤ちゃんの行動学を調べて面白かったのは、赤ちゃんとチンパンジーのあかちゃんはほとんど同じ行動を5ヶ月くらいにしますけど、実はぜんぜん違うんですね。チンパンジーの赤ちゃんは、手と足を触るような行動があってから、手と手を触ります。ところが、人間の場合は、手と手を触ってから、手と足を触ります。何かっていうと、手と足が分離している動物は人間だけなんですよ。他の動物は後ろ足が前足を使うんですよ。ねずみと猫どっちが頭がいいか分かります。いいかどうかも分かんないですけど、ねずみと猫の差がどこにあるかっていうと、脊髄のところでポンと神経を切ると、猫はねぜんぜん手足が動かなくなるんです。手と足の間の脊髄ですよ。ところがねずみは手が動くんです。ねずみは持って食べるでしょ。りすとかねずみは持って食べるでしょ。猫はもって食べないでしょ。ということは後ろ足と前足が共同しているのが猫なんです。ところがねずみは後ろ足と前足が違う運動ができるんです。チンパンジーはもちろん手も自由に使えますけど、でも基本的には足がリードしているんです。人間だけが全く手と足を分離して動かす。でも我々だって、右手を出したら左足が動きますからね。普通はね。うちの小児科の医者で結婚式の時に、バージンロードを歩くじゃないですか、あの時に牧師さんに何言われたかって言うと、どちらの足を先に出します?って聞かれたんだね。その人右利きだから、右足だと思ったわけ、そしたら、右手も一緒に出たと言う。左足が先に出るから、右手が出るんです。それくらい、利き手と足というのは面白いわけですね。動物の中で、右手と右足が一緒に動く動物がいるの知っています?普通は右前足と左後足なんですけどね。うまが時々ギャロップすると、右前足と右後足が動きますけど、あれは訓練して動きますけど、実はらくだがそうみたいです。ほとんどの動物は交互性がありますけど…暇でしょ、こんな研究をしているやつがいっぱいいるわけですよ。でも、聞くと何となく面白いじゃないですか。あんまり関係ないけど、面白いからいいかなって、赤ちゃん学会って変な人ばっかりですからね。理事長がこれだからね。まあ知れてるわね。入ってくれます?(笑)笑っている人も何となく似ている気がするから…。
赤ちゃんって勝手に動いているんですよ。赤ちゃん上向いてる時に、動いているでしょ。知っているよね。教科書見て御覧なさい、赤ちゃんの運動は反射って書いてありますから、小児科の先生の書いている教科書見てもらえば分かりますけど、新生児の運動は原始反射です。って書いてあります。うそです。99%赤ちゃんは勝手に動いています。これは育児感をものすごく変えることなんです。ようするに赤ちゃん研究を通じて一番言いたいことは、何かっていうと、赤ちゃんは自分で動いて、自分で意識的に環境とやりとりをしています。赤ちゃんは受身の存在ではありません。だから白紙の状態では生まれてきません。生まれてすぐの赤ちゃんは、お母さんの声も分かるし、においも分かるし、手足も自由に動かします。だから邪魔をしないでほしいって話になります。育児をするっていうのは、何も出来ない赤ちゃんだからお母さんがやってやらなければならないって、教わってきたわけです。ジョンロックあたりの研究で赤ちゃんは白紙の状態で生まれてくるってずっと長い間信じられて来ましたけど、どうやらそうではなさそうだ。赤ちゃんには優れた能力がいっぱいある。例えばお腹の中で笑って生まれてくるのは何のためかっていうと、お母さんの愛情を歓喜するための能力を元からもっている。で、生まれてすぐの赤ちゃんが笑うのは理由はありません。幸せだとか悲しいだとかじゃなくて、お母ちゃん笑ってるから私のことかわいがってねっていう話です。だから、だまされてんだよ早い話が。お母さん方ね、生まれてすぐの赤ちゃんがにこっとするのは、あー幸せそうね、良い子ねってね。で、応えてあげると、お母さんのこと分かるのねってそんなの分かるわけないじゃん。単に笑っているだけ、でも、それは生きていく為に非常に重要な能力を持って生まれてくるって話になるからです。だからそういうことを考えてほしいってことになります。人間だけが、上を向いてしばらく居れる動物なんです。だがら仰臥位をとれる動物は人間しかいないってことです。なぜ仰臥位ができたかっていうと、お母さんが赤ちゃんを離すことが出来たからです。ようするに抱かなくなった動物は人間なんです。なのに、どうして抱けって言うんですか。抱くっていう行為は、人間だけしか出来ない行為なんですね。それはなぜかっていうと、抱かないっていう時間があるからです。日本ざるの赤ちゃんは1日中お母さんにしがみついています。ですのでお母さんは抱きません。チンパンジーの赤ちゃんは、時に抱かれ、時にしがみついてます。だから何が分かるかっていうと、赤ちゃんがお腹にしがみついたときに、歩くパターンを見れば日本ざるは4つ足で歩きます。チンパンジーは3つで歩きます。片手が赤ちゃんの背中にきて片手をついて歩きます。人間だけが二足歩行します。抱くっていうのが完成しているのが人間なんです。それと同時に我々は何を手に入れたかっていうと、赤ちゃんを降ろすっていうことを得たわけです。ですので、赤ちゃんをいつも24時間手に抱かなきゃいけないことはない、赤ちゃんを自由にすることが出来たから、それを証拠に霊長類研究所で生まれたチンパンジーは、あやすことが出来ます。置くことが出来ます。さらに凝ったことが出来るようになりました。なぜかっていうと襲われないからです。敵から襲われないからちゃんと下において、親子間で遊ぶようになった。子どもを下においてあやすような行動が出来てきた。そうすれば、赤ちゃんを抱くってことの重要性が逆に、抱かなくなったからこそ、抱く必要性が出来てきたともいえる。だけどそれは、一日中抱きなさいってことにならないし、抱く時間が長ければ長いほど良いってことにはならない。降ろして赤ちゃんとお母さんがコミュニケーションをとるせっかくの時間があったんだから、降ろしてあやしたらどうですかってことになるわけです。だからチンパンジーから学ぶことができるでしょ。ていうことです。だからスキンシップの話の我々考えなきゃいけないのは、赤ちゃんがスキンシップを望んでいますかっていうことは、常に考えなければならない。スキンシップとタッチケアとは違いますから、ここもはっきりしなければいけない話ですね。赤ちゃんをお母さんがマッサージするあれがいいのであれば、私があなたに触ったって痴漢行為にはならない。だって、誰一人赤ちゃんを触っているときに、赤ちゃんに断っているお母さんいないから。「さ、今から裸になって、お母さんがスキンシップしますよ」って触る?赤ちゃん邪魔かもよ。寝たいのにうるさいなと思うかもよ。なんで裸にすんねんとかね。いやらしとか思っているかもしれないじゃないですか。
そこで非常に重要なことは、何かって言うと、赤ちゃんの人権っていうことを考えてないんじゃないかって、ようするにお母さんが良いと思うことをすることは、全て赤ちゃんに良いって思い込んでいませんか、でも、それは怖いよってことです。常に赤ちゃんがどう思っているかって、どう反応するかってことは、聞いてほしいってことです。これをなぜ言いたいかっていうと、私が実は、医者になったときに、障がい児と会いました。いまだに障がい児と付き合っています。その医者がなぜ赤ちゃん研究にいったかというのは、1つだけです。しゃべれない子どもからどうサインを盗んでいくか、どう理解をするかって言うときに、赤ちゃんになってきたんです。それで分かったことは、何かっていうと、今まで我々が考えてきたことは、いかに人権を無視したことであるかってことです。障がい者のことが、分かっているような言い方をしているけども、ほんとに分かっているのか。障がいを持っている子どもの   ADHD、LD、自閉症の子どももそうですけども、誰一人私の病院に来る子どもたちが、私の診断を何ですかって聞かない。ほとんど、学校の先生が、あの子どもは変だから、小児科に行って診断してもらって来いとかね、或いはお母さんが家の子どもは変なんで、ちょっとADHDじゃないですかみたいな話を聞く。じゃあ誰の為の診断ですか、子どもの為の診断ですか、親の為の診断ではないですか、一番怖いのが、学校の先生の為に診断するんだったらいらない。なぜかっていうと、学校の先生は、この子は教えにくい、これは、私のせいじゃなくて、病気のせいですって言う為に、診断がいるんだったら、診断はしない方がいい。と思うでしょ。いったい、誰のために、何のために診断が必要かってことを考えなくてはいけない。もう一つ大事な事は、最初に言ったように診断する以上は治療出来るんでしょうね。治せるんでしょうね。そういうことできない医者が診断していいんですか、って言うことですよ。根本的なことはですよ。なぜかっていうと、障がい児の問題は全て差別の問題に入るからですよ。だからきちんと考えなければいけないでしょ。診断できるかどうかが、問題ではなくて、理解できるかどうか、受け入れられるかでしょ。その為に診断がいりますかって話です。この子はこういう問題を持っています、この子はこういう要素があります、この子はこういった力もあります、だから、こういった対応をしてくださいって言う為に、なぜ診断がいりますか。もう一つ大事な事は、ほんとに子どもたちを治せますか大人が。コミュニケーション障がいなんですよ。大人が子どもとのコミュニケーションがとれるかどうかの問題が治りますか。根本的な問題は何かっていうと、訓練室でいくら訓練やっても治らないんですよ、子どもたちは。訓練者としゃべれたとしても、友達としゃべれない子どもを作ってどうするんですか、それは訓練士の独りよがりではないですか、って話だってあるわけでしょ。子どもたちが子どもたちの中でどうコミュニケーションとっていけるかが、子どもたちを治すんじゃなくて、子どもたちの集団をどうつくるかが大人が考えなきゃいけない話なんじゃないですか。そうすると、クラスの中でそういう障がいを持った子どもたちと、普通の子どもたちを統合教育することも必要だろうし、統合保育することも必要なんだ。なぜかというと、子どもたち同士のなかで治しをするからですよ。子どもたちはどうして治しができるかというと、さりげなさがあるからです。自然に子どもたちは子どもたちを見るからです。おもしろいのは、障がいを持った子どもたちの家族に話を聞くと、お母さんは、障がいを持ったことはすぐわかります。ところが、障がいを持った子どもの兄弟は、障がいを持った兄弟を障がいを持った子どもと見ない。弟としか見ない。だからお母さんとは違った対応ができる。わかります?診断がついたために、余計なことがついたために、いろいろな目で大人は見るけれども、子どもは見ない。ましてや本人は見ていないということです。非常に重要なことは何かというと、ダウン症の子どもは自分がダウン症であることは、一生分からないかも知れない。これねすごくかわいそうな話なんですよ。自分が思っていないのに、回りは病気だと思っているんですよ。これ問題ないと思います?もし、自分がそういう立場だったとしたら、楽しいですか?回りからあの子は障がいだよって言われてるのに、自分はわかっていないことが正しいですかって考えて見ないとね。ほんとに障がいを持った子どもたちが、自分の障がいを気づくのはずいぶん後なんですよ。軽い脳障がいの子に中学校で自分の夢を書かせた時に、野球の選手って答えるんですから。松葉杖をつきながら、将来の夢はって聞かれたときに、プロ野球の選手って答えているのに、あなた方はどう考えますかってことですよ。もし不幸にして生まれたときに、足がかたいっぽなければあなた方は歩行訓練しないでしょ。車椅子に乗せるでしょって問題だってあるんですよ。そんなに簡単な問題じゃない。訓練すりゃ良くなるなんて発想はさもしい発想だとある意味思います。訓練して治らなくても、子どもたちを受け入れるような世の中を作らなきゃいけないでしょ。障がいがあって、そのままを受け入れる世の中をなぜ作らないかってことです。そうすると障がい者の問題は回りにいる我々の問題ですよ。ノーマライゼーションて言葉はその子を治そうという言葉では全くありません。その子の回りにいる者がどう受け入れるかってことなんです。だから今こういう発達障がいの子が10%もあって、大きな社会問題になってきた時に、もう1回考え直さなきゃいけない、大事なというか、知らなかったら今から覚えといてほしい言葉は何ですかって言うと「この子らを世の光に」って近江学園の理念にあります。「この子らに世の光を」じゃなくて、「この子らを世の光に」ってことです。いかなる障がいを持った子どもたちも、自分で生きようと苦労して自己表現をしてる、自己表現する素晴らしい力を持っているから、この子たちに学ぼうって発想を我々は持たなきゃいけないっていうんで、近江学園の糸賀先生は考えたわけです。それを私は受けて医者をやっていますから、子どもたちを治そうっていう発想はしません。私たちが彼らから、何を学ぶかっていう発想はあります。私は子どもたちを治そうとは思いません。ましてや、軽度発達障がいの子どもたちを治そうとは思わない。なぜかっていうと、軽度であればあるだけ、お母さん方が苦しむからです。軽度発達障がいは治りますかっていっても、いつまで経ったって軽度発達障がいなんだと思います。そしたら、そこは治そうじゃなくて、それを受け入れるような世の中になぜ出来ませんか。出来てた時代がありました。20年前の福井県ではそうでした。なぜならば、アスペルガーのお母さんがアスペルガーの子どもを産んだのは、20年前まであったからです。っていうことは、アスペルガーであったって世の中にちゃんとして生きていけたってことです。アスペルガー症候群の問題は、アスペルガーのお父さん、お母さんが子どもを作ったとしたら、そこの問題が我々に示すものは何かっていうと、遺伝っていうことではなくて、アスペルガーであったって、昔はちゃんと一人前に生きていけた社会が日本にあったってことです。じゃあ我々がしなければいけないことは、何かって言うと、そういう昔の日本を取り戻すことではないですか。なぜ、本人を早く見つけて早く治そうという、さもしい発想をするかってことです。なぜ5歳児に見つけてそれを鼻高々に言わなきゃいけないかって話です。それがシステム化できたからっていいことなんですかって、システム化した為にそこから社会から離れていく人たちを作ったことはプラスなんですか。診断するってことは、差別をつくるってことですよってことです。そこをちゃんと考えて診断しなきゃいけないってことです。診断出来るのであれば、それが差別にならない世の中を作って下さい、そんな世の中を東京に作ってからやって下さいって話にもなるかもしれないなっていう…ことも含みながら言いたい。
実はずっと付き合ってきましたけども、なぜこんなことを言うかって言うと、私は20年前に脳障がいの早期発見をするっていうことで、随分頑張った医者なんです。早期発見をしたら治るからって、お母さん方に一生懸命訓練で追い立てた医者なんです。京都大学は実は大津方式っていう検診方式で、日本でもっとも検診システムを充実した検診を大津で作って脳障がいの早期発見をしました。ボイタ法っていう方法を使って訓練をしました。良くなる子もいました。だけども、20年経って治らない子どもが僕の前には累々といました。そのお母さん方を目の前にして、私は何が言えたかっていう意味があるんです。そういうすごい反省がある、反省というよりも、いらだちが自分の中にあるんですよ。何でまた同じことをやるんだって思いがあるわけですよ。早期発見をする人たちの中に…。今まであなた方は、そういうことをしなかったからやれたんだと思うけど、だったら失敗した医者の事を聞け。早期発見して治るって言った以上、治らなかった時には責任を取るんでしょうねっていうことですよ。その責任は簡単に取れないですよ。だったら、障がいがどうのこうのって言うよりも、或いは少々変わってたとしても、あいつ変わってるけど、いいとこあるよねって受け入れてくれませんかってなりゃしませんか。そうすると私も少しは生きやすいかな。変な小西先生もひょっとしたらとりえは少しあるかなって言うふうにもなるかなって…
実は障がい児の問題はどうするかっていうと、“受け入れてやる”そのために他の子どもたちをどううまく使うかなんですよ。ちゃんと見といて下さい。そんなに心配することないかも知れません。ADHDの子が走り回って大変だっていいます。うそです。ずっと見とったら大抵ワンパターンですから、時には危ないこともありますよ、高いところに上がって落ちるって言うじゃないですか。落ちたやつあんまり見たことないんだよね。落ちるまで待ちゃいいじゃん。落ちて骨折したらしゃーないやん。普通の子だって、事故起こすんだから。起こせばもう二度としないかもわかんないし。きちんと話しをし、大事な事はわかるように、難しいことは静かな言葉でやったほうが、子どもたちはのってきますから。保育園で大きくはっきり物事を言う指導はやめて下さい。分からないようにぼそぼそ言いなさい。内緒話をすると聞きますからね。静かにしてるとね、子どもたち来ますから。顔をチラチラっと見ながら、ぼしょぼしょって言ってると、何って来ますからね。
ずっと1時間、30分かけて自閉症の子どもを見てるっていうのは、それほど難しくないなって、お母さん方に分からせることが、目標なんです。自閉症の子どもなんていうのは、たとえば、嫌がるけども手を握って離さないってことを、何回か繰り返していくうちに、自分から手を出します。ようするに、同じことを繰り返していると安心感がある。同じことをこちらが繰り返し繰り返しやっていくうちに、このおっちゃん変かなって思うと手が出てくる。そのうちニコッと笑うようになる。その時ちょっと蹴飛ばしてやるともっと効果的っていう。泣きそうになるまで嫌がるやつを引っ張っておくといいですよ。なぜかっていうと、だんだん避けてくるから。僕が嫌なことすると子どもが避けるでしょ、それをお母さんに見せるじゃない。何を言うかって言うと、「ほら、俺のことを分かっているよ」って話。このおっちゃんは変だっていうことを、この子は分かってる。自閉症じゃないじゃんって話でしょ。山下清が線路の上を歩いた。だから放浪癖があるって言ったけども、線路の上を歩いた山下清はめちゃくちゃ頭が良かった。なぜかっていうと、線路はずっと変わらないからです。尚かつ線路は三叉路がない。交差点があんまりない。駅は決まってる。ついでに、電車が通った後は電車が通らない。するとこんな安全で確実な方法はないって知ってたから、彼は線路の上を歩いたわけでしょ。するとこれは放浪でも、訳の分からん行動ではない。あいつは頭がいいって話になるんです。症状だっていうから、あなた方は子どもたちを理解しようとしなくなった。ADHDの子はパニックになる多動になると思うから、多動が出たときにADHDだ、しゃーないと思っているんでしょ。じゃなく必ず理由、きっかけがある。そこを常に求め続けてないと子どもたちのことは分からない。だから多動の子がはしり回る前に保育士さんが走り回ってんだもん。「ほら行った」って動くんだもん、そこで横で僕が何を言うかって「あんた落ち着いて」って保育士さんを止めないとあかんわけです。保育士さんが止まると子どもは止まる。いったい何をしてるんか、訳わからん。思い込みがあるでしょ、多動でしょパニックでしょ、パニックの状態で子どもたちが来てくれるほど、小児科の医者にとってハッピーなことはない。何かって半年経てば、絶対よくなるから。最悪の時に来てるから良くなるからね。さすがこの先生名医だねって…。だけど、落ち着いた子どもが来たら、大変なんですよ。だんだん悪くなったって。ところが大事なことは何かっていうのは、病院にいくっていうのは、最終的に来るところですから、本当にお母さんが困り果ててくるわけですから、こんな幸せなところはないですよ。全部良くなりますから、だってひどい時に比べれば、必ず良くなりますから。少し余裕があるとちょっと意地悪してもいけるし、理解をしようという気になるし、尚かつ療育センターは時間があったら、保育園に行って下さい、学校に行って下さいって言われるから、行ってもらって見せてもらって、分かったのは何かっていうと、間違いなく子どもを治すのは子どもだっていうのが分かってきたからです。訓練士は子どもたちの遊びを見てて、「あーこんなことは出来ない」って言うんだもの。「すげーうまいよね。あの子どもたち」って、保育士さんはみんな知ってて、「うまい子いますよね」っていうと、「あの子でしょ」って言われたんだもん。そしたらそこをくっつける様に、クラス編成やればいいわけでしょ。先生方は外から見りゃいいでしょ。今一番やりたい事は何かっていうと、保育士の先生方を部屋から出すってことをしたい。で、大人は外から見るっていうことをやってみたい。子どもたちが子どもたちの中で、どう動くかってことを勉強してみたい。たぶん、ハンデキャップのある子どもも、正常な子どももまとめて入れて見ると、多分自分たちで作ります。間違いなく集団でやったときに分かりました。一瞬にして子どもたちは自分の能力の順番を決めます。だからすぐに、仕切るやつと仕切られるやつができます。するとまた違うグループ作ると、仕切られたやつが今度上にきます。あれは動物的な感でいきますから、そのグループを作ることの面白さってのがある。するとグループをうまく運営すればだいたいいくんだろうなって話にもなるんじゃないかなって気がします。
ちょっと机とか二人でもって運ぼうとするとき、人間関係が分かってくる。そうしたら、保育士さんから「そんな単純にはいきませんよ。大変なんです」って、でも工夫もやってないのに言うなって言うと、また喧嘩になるので、ごめんなさいって帰ってきましたけど…。
ちょっとした工夫をすることで、違うんじゃないかなって思います。今日も先生とお話したときに、言いましたけど、全体を見なきゃいけないって神話はもうやめてほしい。私たちは全体を見るから大変なんですよ。一人ひとりが見れない人が、全体を見るなんて大それたことを言わないでほしい。一人、一人をちゃんと把握してから、全体が見れるんでしょ、そのためには、一人一人を見なきゃいけないでしょ。そういう時に1対1で見るんじゃなくて、かみ合わせ少しやってみて、お互いのやり取りの中で、グループを作るみたいなことを考えていくと少し楽になるかもしれないな。工夫があってもいいんじゃないかなという気がするんです。そういう形で子どもたちを見ていくのであれば、保育の中でしか、たぶん発達障がい児は治らないだろう。そういった意味では、保育士の仕事ってのは、専門職の仕事で、お母さんの代わりではありません。「母親代わりの保育士さんは止めて下さい」って言ったら、えらい投書があって、「私たちはお母さん代わりと思って、愛情もって育てますけど、だから良くなるんじゃないですか」とあったので、それは「愛情では子どもは育ちません、あなた方に愛情に裏打ちされた技術と理論があるから子どもたちが良くなっているんでしょ、そこが重要なんではないですか」と…。   愛情というわけのわからないもので判断する時代ではもうないのではないか、もう少しきちんと客観的に科学的な考え方でもって保育を考えてもいいんではないかな。ということを思いながら、尚かつそういったことを踏まえて、世の中に普通の中に障がい児を入れて治してほしいっていう思いを含めて…なんかわけのわからん変な話。まぁいいか…。もう二度と呼んでくれないかも知れない(笑)ざっとした話でしたけど、伝えたいことだけは、少しお話ができたのかな、思い入れの大きな講演でしたけども一応これで終わらしていただきます。どうもご清聴ありがとうございました。

~以上の文章は2007年4月14日、保育園ベアーズにて行われた”第9回子育てひろば21講演会”の内容をテープから起こし、文書化したものです。この文章を無断転載、引用することを禁じます。~