32.耐えられる親に

ある母と娘の会話

「親が子供をたたいて良いかどうか」という本を呼んでいる母に、3才の娘が、

「お母さん、何の本読んでるの?」

「お母さんが子どもをたたいて良いかという本を読んでいるの」

「え!、お母さん、お母さんが子どもをたたく本は読まないで。

お母さんが子どもをなでなでする本を読んでね。」
子ども達が大人に叩かれている風景をよく見かける。診察室でも机の上の聴診器やライトや筆記具などに手を出して、手を叩かれたり、頭をごつんとやられたりするのは珍しくない。また待合室を走り回ってお母さんやお父さんに大声で叱られている子ども達もよく見かける。さすがに中学生くらいになると親も手が出せなくなるようで中学生が叩かれているのを見たことはないが、小さな幼児は手も出しやすいようである。
子ども達に叩かれるだけの理由がある場合もあるだろうが、大抵は叩かれるほどのことはないように思える。そのため、多くのおとなは子どもを叩くのに必ず何らかの理由付けを行っている。
「これだけはどうしても教えないといけないから叩いても良い」

「3回教えて言うとおりにしなければ叩く」

「危ないことを繰り返したら叩く」

「食べ物を粗末にしたら叩く」

「他の子に乱暴したら叩く」

「人の痛みを知るには痛い思いも必要」   などなど。

確かにおとなが聞けばそれぞれもっともらしく聞こえる。
しかし子ども達にとってどうだろうか。「菜々子」が言うように子ども達は誰でも、大人に叩かれるのは嫌いである。それも自分にとっては理不尽な理由で叩かれるのは府に落ちないものであろう。子ども達同士で喧嘩して噛んだり、叩いたりはよくしている。これはおとながしつけと称して叩くのとは違い自己主張のぶつかり合いでお互いに分かり合える理由がありそうだ。「菜々子」も1才過ぎの頃にはよく噛みついていたし、噛まれてもいた。今は3才になり噛むことはなくなったが、自己主張の一つの手段として叩き合いは時々やっている。
子どもに教えるのに「3回で覚えろ」とか「他の子どもに乱暴するから叩く(子どもに大人が乱暴する)」などというのは大人の勝手な論理だろう。
子どもに教えるのに回数制限は不要であり、乱暴を止めさせるのに暴力を使えば子どもに暴力を教えているようなものである。
言葉で教えることは大変な労力を要する。同じことを何度も言わなければならないし、「・・・をするのは止めようね」と言ってもその直後に「・・・」を子どもがしてしまうことも珍しくはないだろう。そうするとつい「今言ったばかりでしょう!」と声を荒げたくなってしまう。しかしこれを耐えるのがおとなである。子どもに要求するなら自分はもっと耐えるべきだと考えるべきである。