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1.育児・保育

62. 写真、文字、絵などでの指示・命令

棚や「かご」などの入れ物に、並べるべき、入れるべき、おもちゃやカードなどの写真を貼って「片付けやすく」している例が見られるようになってきた。
これは新・保育指針でおこなわれる講演会などでスライドなどで示されたものを学んできておこなっている。あるいは他の法人の保育園でおこなっていて、子どもたちが片付けが上手になったなどの話から取り入れてきているとのこと。

このような方法で子どもたちが上手に片付けることができるのは間違いないだろうと思います。
しかし、よく考えてみてほしい。これは、子どもたちに、貼った写真と同じようになるように強制していることにならないだろうか?子どもたちは真似をすることは考えても、自分でものの置き方を自由に考えることはできない。失敗して工夫を重ねる事もない。 ただ黙って考えることなく上手に真似をすることで褒められる。

真似ができない時は怒られる?先生の顔つきが変わる?嫌みを言われる?何回教えたらできるの?昨日も教えたよ、00さんは上手だよ!

ただ真似をすることが目的ではなく、子どもたちが自ら考え、工夫して片付けていくことの方が大切ではないだろうか?

散らかっていたら職員が片付ければ良いこと。
子どもたちが片付けようとして困って相談にきたら少しヒントを与えれば良いこと。きれいなことだけが良いことでは決してないと思います。

ある保育園の運営法人に応募した時に、当法人運営園見学の時「この保育園は、すごくきれいに片付いていますね。きれいですね。でも、子どもたちが遊んでいる、遊んでいた痕跡がありませんね。」ということで選考されませんでした。

2019/02/28

aname tanimoto…

61.機嫌の悪い子(厚着)

                                     「子育て広場21」《育児あれこれ》2015年6月15日から転載
 
子どもたちが機嫌が悪くなる原因は様々です。
その中のひとつに暑くて耐えられない状況があります。
 先日、飛行機に乗ったとき、飛び立つ前に泣き出して、
お母さんがどうあやしても泣きやまない1歳くらいの子どもがいました。

席に着いたときはカーディガンも着ていましたが、
お母さんは暑いのではないかと考えたようで、まずこれを脱がしました。
  これでほんのしばらくは温和しくしていましたが、
飛び立った直後から再び泣き出しました。
 私も上着を着てはいましたが、機内は結構あたたかく感じていましたので、
子どもならおそらく暑かったと思います。
  この子はカーディガンを脱いでも、下着の上に厚手のTシャツ(?)を着て、
さらにつなぎも着ていました。

飛行機のシートベルト着用サインが消え、機内で飲みのもが配られ、
この子は冷たいジュースを貰い飲み始めると再び落ち着いてニコニコし始めまし た。
しかし、これも長くは続かず再び泣き出しました。
お母さんは抱き方を変えたり絵本を見せたりいろいろ工夫をしていましたが
いっ こうに収まりませんでした。

よけいなお世話とは思いましたが、まだ着陸までは間があったので、
「多分暑いのだと思いいます。少し薄着にしたりして涼しくしてみたらどうです か?」
とアドバイスしました。
お母さんの隣の座っていたお祖父さんらしき方が本を使って
あおぎ始めてしばら くしたら落ち着いてきました。
(ちなみに、このお祖父さんらしき方は飛行機に乗った時点から
  ブレザーを脱いで居られました。)

さらに、お母さんがつなぎの肩ひもを緩めて涼しくすると機嫌は良くなり
眠ってしまいました。
無事着陸し、飛行機から降りるときも、気持ちよさそうに眠ったまま、
お母さん に抱かれて降りていきました。

 子どもたちが機嫌が悪くなった時の原因のひとつに暑すぎることがあります、
いつも配慮しておきたいことだと改めて思いました。
 ——————————————————————————–Kaname Tanimoto 16.04.02

60.ブログ再開…

59.発達障害2 2歳11か月男児

ある日の保育日誌から
近くの体育館まで行った。体育館や公園などの広いところが苦手のようで、今日も皆から外れて一人で走っていた。いつもの姿である。狭いところを好む。
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この日誌の記載の通りで、この子は広いところは本当に嫌いなのかもしれない。
広いところに行くと何をしたら良いのか分からないのだろう。

この子が広いところでも興味を示す遊び、遊具は見つからないのだろうか、
この子にとって狭くも広くもない、丁度良い広さの遊び場はどれ位であろうか、
このような検討がされると何か見つかるかも。

この子が興味を持つ遊具は何だろうかと探してみるとよいだろう。
いつか見つかるかも。
この子が一緒に遊べる何かを見つけることが、この子の発達に役立つだろう。

狭いところが好きでいつもそこに居たがるのだから、
その邪魔をしないようにしよう、と考えるのではなくて、少し考え方を変えていこう。
狭いところも広いところも自由に行ける方が多分楽しいと思う。
そのためには、何があれば広いところで楽しむことができるか、
いろいろ探していけば、
少しずつ広いところに向かって出て行くことができるようにならないだろうか?…

58. 発達障害? 2歳11か月男児

2歳11か月男児
ある日の保育日誌から

給食の時、友だちの食べる姿を見るように声をかけ、「おいしそうだね」「上手に食べてるね」など声をかけていると、その姿を見て真似て食べようとする。
保育者が介助することは嫌がるので、カボチャを少しのせたスプーンを手に持たせると口に運び食べてくれた。一口だけであったが、保育者は「おいしいね」「食べられたね」と声をかけ、十分に褒めるようにした。今までご飯以外口にしたことがなかったので保育者皆で喜んだ。今後も無理強いせず、食事を楽しいと感じられるようにしていきたい。
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スタッフは何とかいろいろなものを食べて欲しいと頑張っている。その頑張りがなかなか通じない。一口でも食べてくれた喜びが伝わってきます。食べて欲しいという気持ちは大切です。いつか通じるものです。あきらめないことが大 切です。

この場面も含めて、もう一工夫するともっと通じるかも。

【食物アレルギーの場合】
食物アレルギーがある子の場合、もっと工夫をし、努力をして対応していると思います。食材にアレルゲンが入らないように、食べる時に誤食しないように、誤って食べた時どうするか等々。これはどこでもおこなっていることではないでしょうか。

【この子のための献立】
この子はご飯しか食べてこなかった。多分そうなんでしょう。これまでスタッフは出てきた献立の中から何とかご飯以外を食べてくれないか、一口でも!と思って頑張ってきたのでしょう。皆で喜んだ!、それくらいうれしかったのでしょう。皆で頑張ってきた思いが伝わってきます。
献立作成時に立ち返って、「この子のための」献立まで工夫をするともっと思いが伝わっていくのではないでしょうか。
皆のために作られた献立を想いを込めて食べてくれ!というだけでなく、調理室のメンバーや看護師なども一緒になって「この子ための献立」「この子が食べる献立」を作ることが出来ると良いと思います。食材選びも大切ですし、調理法も大切です。

【この子のための食器選び】
《手で食べる》
この子はスプーンでうまくすくうことが出来ないようだ。この子が出来ないのか?
できないなら手で食べることもひとつの方法と考えてはどうだろうか。
いつか上手に道具が使えるようになるのを待っても良いと、気長に考えるのもひとつの方法でしょう。

《スプーンの形》
スプーンの形を考えてみてはどうだろうか。スプーンの匙の部分は掬いやすいか、柄の部分は掴みやすいか。

《皿や茶碗》
皿や茶碗についても考えてみてはどうだろうか?スプーンで食べるのに向いているか。浅すぎたり,深すぎ
たりしてはいないだろうか。大きさは合っていて食べやすいだろうか。

《食事》
出された食事はスプーンで食べるのに向いているだろうか?堅さはどうだろう。大きさはどうだろう。
この子が「おいしそう」で食べたいと思うようなできあがりだろうか。

できればスタッフから「おいしいね」と言われる前に本人が「おいしい」と喜んでくれるとうれしいですね。…

55.母乳と粉ミルク

母乳の続け方、やめ方はこれまでも何度も議論され右に左に
大きく振れながら今に至っています。
(続けて行く推進論は右か左かは不明ですが?)

母乳は人類が地球上に現れた時からあったと推測できます。
この当時はまだ食べ物も少なく、赤ちゃんは母乳以外で
育つことはできなかったのではないでしょうか?

ということは、赤ちゃんはいつ断乳したのか?、いつ母乳をやめたのか?
多分、結構大きくなるまで母乳を飲んでいた?
食べ物がないときは母乳!!だったのでは?
赤ちゃんは結構長く母乳を飲みながら人類は生き延びてきた、これが真実?
いつ母乳をやめるか、これが現代の問題である。

粉ミルクはWikipediaによれば1800年代に登場(日本は1917年らしい)したそうである。
それまではほぼ母乳であったであろうから、
赤ちゃんにとって母乳をいかに確保して貰うかで
生死が分かれることになっていたであろう。

乳母という人間独特の方法を編み出してからは、
協力しながら多くの子どもたちが助けられたであろう。
こういうことは人間らしさ、人間の良いところである。

母乳崇拝に近い人たちも現在いる。
彼らは愛着、免疫という面から母乳推進論にあまりにも拘りすぎているようにみえる。
母乳さえ飲んでいれば少々の栄養不足は気にしないと断じる人もいるが、さすがに極端であろう。
子どもたちは「子どもの権利条約」を持ち出すまでもなく、
生まれながらに「育つ」権利を持っているのだから、
それを「主義主張」の犠牲にするのは如何であろうか。

母乳崇拝に近い人たちの言うように母乳でありさえすれば問題が何も無いわけではない。
母乳にはある種のビタミン、ミネラルが不足しており死に至っていた
ことも分かって対策が実行されている。
現在の粉ミルクにはこのビタミン、ミネラルは配合されている。

母親がある種のウイルスに感染している場合、
ウイルスが母乳を通して赤ちゃんに感染することが
分かってきて母乳を与えないことが推奨されている。
このウイルスに感染しているかどうかは血液検査で分かるので、
妊娠中に検査することになっている。

現在まだ不明の母乳の問題が今後も明らかにされてくる可能性もある。

母乳はすべてにおいて万能であると考えるのは少し無理がある。
母乳はあくまでも一人一人のお母さん、家族の問題と考えていくのが自然であろう。

粉ミルクにもいろいろあるが、粉ミルクが一方的に勧められるのもどうであろうか。
まず、金銭的負担が大きい、特にアレルギーミルク、下痢用ミルクなど
特殊なミルクは高価である。
ドラッグストアやスーパーなども特売を利用すれば安くはなるが、…

53.原則は変わらない(2) 保護者への支援①

新制度で子育て支援がこれまで以上に特定教育・保育施設(以後、保育園)に求められている。
日本の少子化は確実に進行しており1年間の出生児数が100万を割るのも目前である。
この少子化に歯止めをかけていく一助として子育て支援は役立つ施策であろう。
子育てしにくい文明社会ではなく、文明、文化を享受して皆で子育てを行う
社会を目指していくべきであろう。

子育て支援というとどこまでも広がってしまうので、
ここでは保育園で比較的取り組みやすく効果的なものから言及したい。

保護者は夕方、買い物をした後で保育園に迎えに来ても良い、
個々の判断に任せるべきだろう。
子どもを連れて買い物に行ったことがなくても分かるだろう、
子どもたちが玩具やお菓子などの前で買って欲しくて泣いているのが。
目の前に欲しいものがあれば泣いてでも手に入れたくなるのは当然だろう。
このような事態を防ぐ確実な方法は子どもたちをそのような場所に連れて行かないことである。
そのためには買い物を先に済ませてから子どもたちを保育園に迎えに行けば良い、簡単である。
時には玩具やお菓子を買う日もあるだろう、
そんな日は先に保育園に迎えに行き買い物に一緒に行けば良い、
これでももっともっとと玩具やお菓子を欲しがって泣くかもしれないが。

 

保護者が休みの日や土曜日に子どもたちを保育園に登園させることに
ついても同様に個々の判断で行われて当然である。
休みの日にしかできないことも多々あるし、
子どもたちが是非登園したいと希望する可能性もある。これは個々にしか分からない。
普段仕事に育児に家事にと忙しく、大きな買い物もままならず、
掃除洗濯ももっとしたい時もあるだろう、たまには映画に行くのも良いだろう、
これも個々の判断である。

ヒトの生活を見るに、①独身の時と②結婚してからと③子どもが生まれてからと、
いつが一番楽しく充実した人生となるか。
これは①→→②→→③の順であって欲しい。
③になって、子育てにのみ追われて疲れ果ててはいけない。
保育園を作って子どもたちを社会で育てていくことができるのは人間のみである。
せっかく作られた制度をフルに活用して子育て支援をしっかりと行い子
育てのしやすい社会にしていくことが専門職である保育士に求められている。…

52.原則は変わらない(1)

保育園の役割は、新制度において明確に規定された。施設そのものが、教育・保育施設と分類され、これまでの保育所とは変わっている。また、教育・保育施設に求められるものとしてこれまで以上に育児支援がある。これは公定価格にも組み込まれ、育児支援を行わなければ評価されない、金銭的に言えば、すなわち給付費が下がってしまう。

育児支援というのは、決して親支援のみではない。子どもたちにとって良いという前提での親支援である。
よく考えて欲しい。例1。極端な例で考えてみる。
専門職についている保護者の仕事が夕方7時30分まで。この保護者に早く帰るように、そして早く子どもを寝かすように、遅くとも9時までにはと専門職の保育士が強く指導したとすればどうなるか。

このように言われた保護者の出来る対応は
① 専門職の保育士のせっかくの指導であるが、無視してしまう。

② 指導に従って、今の職場で今のままで働きながら9時に寝かすように頑張ってみる。
しかし、職場7時30分まで働いて急いで保育園まで迎えに来て、急いで帰って、
風呂に入れて寝かしたら、どうやっても9時に寝かすことが出来ない。
どうしたら良いか、自分は子どもに悪いことをしている悪い親だ。
いつか子どもが問題を抱えてしまうのではないだろうか?

専門職の保育士にもう一度相談してみよう!
1)専門職の保育士は転職を勧めた。それに従って辞表を用意した。
転職先を探してみるがこれまでより条件が悪くとても無理。
2)専門職の保育士は7時30分ではなく、7時で仕事を切り上げることを勧めた。
職場にその旨通告し、7時で帰宅した。職場は混乱し、
多大の迷惑がかかり退職せざるを得なくなった。失業手当で凌ぐ羽目に。お先真っ
暗。
3)専門職の保育士は頑張ってください、というだけで解決策は示してくれない。
結局罪悪感だけが残ってしまっている。一生この罪悪感を持ったまま生きていくし
かない。

この専門職の保育士の言動、行動はどう考えるべきだろうか??
家族は保護者のみで成り立つものでもない。
子どもがいても子どものことだけ考えていれば良いわけでもない。
全て含めて総合的に考えることが必要である。

 

今後、この専門職の保護者、家族について考えていきたい。

 

 

——————————————————————————–Kaname Tanimoto 15.05.25

 …

51,熱中症

今年も熱中症が多く発症していると報道されている。
熱中症という病名から、どうしても熱(暑さ)が原因と考えられがちになる。
しかし、熱(暑さ)が関与していることは間違いないが、もっとも大きな発症原因は水分不足である。
水分不足(急激に起こる脱水症)が熱中症を引き起こすと考えて対処が必要である。

急激に起こるため、症状が出始めてからでは水分補給は間に合わない。
冷却も無駄ではないと考えられるが、本態である脱水症は冷やすことで解消されるわけではないので、
冷やしているから大丈夫と安心してしまうと手遅れになることもある。

めまいや立ちくらみ、吐き気、フラフラするなど軽度の時でも、
冷やすだけでなく「水分補給が出来るか出来ないか」が医療機関受診の判断基準になる。
脱水症だから水分補給が出来るということはなく、むしろ脱水症のため経口水分摂取が
出来なくなることが多い。

熱中症は予防が肝心であるが、水分が欲しくなったら飲めばよいのではなく、
事前に予防的に水分補給を行っておくことが有効である。

炎天下で運動をするのであれば、運動開始前に水分を補給し、
運動中も早め早めに水分を飲むことが運動中の熱中症予防の方法である。
一斉に飲めばよいのではなく、個々人に合わせた水分補給が必要である。

屋内や日陰でも同じことで、必要な水分が補給されていないと熱中症になってしまう。
炎天下から日陰に移動し安心してしまい、水分補給を怠ると熱中症になるので注意が必要である。…

49.支援の必要な保護者

支援が必要な保護者と特別な支援を必要としていない保護者がいるのは当然であろう。
そして多くの保護者は特別な支援を求めてはいない。
家庭の中で、地域の中で、友人関係の中で、また色々な公的・準公的な機関・施設をよく調べて知っており、利用することも上手である。

 

一方、少数派ではあるが、特別な支援を必要としている保護者が存在する。
当然保護者と一緒に子どもたちも暮らしている。
子どもたちも育ち、発達していくために支援を必要としている。
このような状況の中で、子どもたちへの支援を行うのみでは解決は難しい。
どうしても保護者、家庭、時には親類縁者、保護者の友人にも支援が必要となる時もある。

子どもたちが育ち・発達していくためには環境要因も大きな影響を与える。
保護者などを含めた子どもたちの環境を整えていくことが求められる。
このために重要になってくることは、子どもたちを取り巻く環境を良く理解していくことである。

理解していくためには保護者との良好なコミュニケーションを保つことは最低限のことである。
その上で、周囲の人たちとのコミュニケーションも大事であるし、子どもたちの暮らす環境そのものを自分の目、耳、鼻など5感で実際に知っていくことも求められる。

困っている保護者の方から「支援」を求めてくることは少ないだろう。
「支援」について知らないことも多い、「支援」を求めることに大きな抵抗感を感じている人もいる。

「支援」を知っている人から手を差し伸べることが必要なのだ。
「支援」の門戸はまだまだ狭い。広くしていくのは当然だろうがそれを待てない現実がある。

保育園は「支援」を行いやすい施設の一つである。

門戸を開放して「育児支援」に取り組んで欲しい。

 …

48.保護者への支援

地球上には70億人が生きているが、皆、個性的であり、同じ人はいない。
子どもたちも皆個性的であり、保育を行う上で一人一人の発育・発達について、
生まれてから現在までの過去を理解すること、現在を理解すること、
そして未来を考えていくことが求められる。

子どもたちと同様、保護者もいろいろである。
家庭の中にいろいろな問題を抱えながら子育てに奮闘している保護者、
病気の身体を奮い立たせて一所懸命子育てをしている保護者、
経済的に困窮しているが何とか子どもたちの成長を保障しようと苦労している保護者、
あまりにも多くの困難に直面し育児が出来なくなりそうな保護者、
とにかくいろいろであろう。

保育園は「育児支援」を行うという建前があり、
何となく保護者の味方をしているように見せかけているところが多い。
しかし、少子高齢化が急速に進む中で、保育園の存在意義は大きくなっており、
親身になって心底保護者の味方になっていくことが求められている。
日本の出生数はもうすぐ100万人を割り込んで行くことになろう。
どこで止まってくれるのか、誰も知らない、未知の世界である。

子どもたちが全く居なくなった社会は早晩消え去るのみであろう。
多くの子どもたちが育ちやすく、育てやすい世の中が今求められている。
子育てを支援すると声だかに叫んでも子育て支援にはならない。
一人一人の保護者ときちんと向き合うことから「育児支援」は始まる。
一人一人の保護者の話を傾聴し、一人一人の保護者を理解することが必要である。
そこから「支援」が始まる。

一人一人に必要な「支援」を考え実行していくことが保育園には
今まで以上に求められてくる。保育園のスタッフ一人一人が自らの
果たすべき役割の重要性を理解し、「育児支援」に取り組むことが喫緊の課題である。…