CATEGORY

8.未分類

63.これは許される?

子どもたちは日々発達し、日々置かれている状況が変化している。
朝の食事にしても、毎日同じ量を食べてきているわけではない。
昼の給食も好き嫌いがあるし、美味しいかどうかは個々人により違うし、日々違ってもおかしくない。   たくさん汗をかいた日は水分と同様、塩分が美味しく感じられるだろう。

すべての子どもたちに同じ量を食べさせようとすることが無理なことは多分保育園では常識となっているだろう。しかし、小食の子に少なく盛って、これだけは食べようね!などはあり得るだろう。せっかく考えて少なくしてあげたのだから「食べてよ!」ということだろう。

しかし、最終的に食べることを決めるのは子どもたちである。少なく盛ったら足りないこともあるし、逆にそれでも多いこともある。どうやって、今、その子に、最適な量を計算し、計量できたのか? 心の奥底で「食べてよ!」などと思わないことである。子どもたちに任せれば良い。
偏食?についても余計なお世話、脅し文句が蔓延ってしまいがちである。美味しいくてもっと食べたいために野菜を残せば、「野菜を食べないとお変わりなし!」、これも常套句になってはいないか? 気をつけたい、何気なく言ってしまいそうだから。これも大人が子どもに言えば結構有効な脅し文句なってしまう。

千葉で2歳児に無理矢理食べさせて、虐待で逮捕され、姫路では逆に給食が少なくて園が潰れ、いずれにしても子どもたちに必要な量は、子ども本人以外には分からない。無理を押しつければ、体罰、虐待となってしまう。注意したいものだ。…

60.ブログ再開

 社会福祉法人 尚徳福祉会のホームページのホームページも大きくなり、
整理が行き届いているとは言い難く、読みづらいというご意見を頂きました。
 これを機に「育児あれこれ」や「育児相談Q&A」などあちこちに書いてきたものを、
再読し、手直ししながらブログに移行することにしました。

これまでに「育児あれこれ」などをお読み頂いた方には繰り返しになり煩わしいとは思いますがご容赦願います。

 ——————————————————————————–Kaname Tanimoto 16.04.02…

57,母乳はいつまで続ける

 母乳はヒトが地球上に誕生してからずっと子どもたちの成長を支えてきたと思っています。母乳がたくさん出る、少ししか出ないは母親によっていろいろです。昔、よく出る母親は出ない母親の子どもに分けて与えたりもして子どもたちを守り育ててきたことでしょう。
 このような母乳について、前回も触れましたが、賛否が分かれるのがいつまで続けるのが良いかということだと思います。生まれた直後から産休明けくらいまでは大きな意見の違いは無いと思います。産休明けがひとつの分かれ目のようです。産休が明けると、会社によっては、家庭によっては、人によっては、仕事に復帰せざるを得ない場合があるのが現状です。6割以上の女性が出産を機に仕事を辞めています。辞めたくて辞めた人もいるでしょうが、辞めざるを得なかった人もいると思います。表向きはともかく、日本にはまだ女性社員が出産することを歓迎しない会社、組織がたくさんあるということだと思います。日本を代表する一流企業の子育て支援策が一流新聞に掲載されるということは、そのような取り組みがまだ少ないからニュースになるということでしょう。日本中の企業、組織が取り組んでいれば何らニュースにはならないでしょうから。母乳を続けるべきと言い過ぎるのも、今の日本では、女性が仕事を続けることの障害になっています。仕事を選ぶか?母乳を選ぶか?ということではなくて、どちらも大事にする方法も考えるべきだと思います。しかし、方法が見つからなければ、仕事を続ける選択があっても当然でしょう。この時に母乳が全く与えられなくなるかどうかは分からない。1歳近くになっても、夜だけの哺乳なのによく母乳が出ている人もいる。出れば与えれば良いと思います。いつまで続けるか? 子どもが要求し、母親が応えられる間は続ければ良いと思う。子どもも出なくなれば要求しなくなってくる。2歳まで、3歳まで、これは分からないが。出なくなれば粉ミルクにすれば良いだけのことでしょう。だいたいは離乳食が進んでいけば母乳、粉ミルクを欲しがることも減ってくるようです。母乳、いつまで続ける?子どもとお母さんとお父さんと、何となく決めていくしかないだろう!と思っています。…

54.原則は変わらない(3) 食事について①

私保連の海外研修でこれまで多分10人くらいがハンガリーに行っている。
その報告の中で、朝食を保育園で出していると書いているものがあった。
貧しくて食べられない子どもたちがいるからということであった。

日本ではどうするか、多分いないことはないと思う。
しかし、すべての子どもたちを対象に朝食を、
となるとこれまでの保育園のあり方を大幅にかえていかなければ
実現不可能であろうし皆が食べないといけないものではない。
最近、「朝食を食べれば自閉症にならない」かの如くの研修報告があったが逆である。
自閉症の子どもたちは朝なかなか起きられず朝食も抜いていることが多いのである。

そもそも自閉症先天的な病気と考えられている、男児が女児よりも圧倒的に多いのであるから。

当法人でこれまで行ってきた対応として、朝食を食べずに登園してきて
空腹を訴える子どもには朝食を提供してきた。
しかし、朝食を食べていなくても空腹を訴えない子には特に対応していない。
朝食がどこまで必要か? いろいろ言っている人たちがいるが検証された分けではない。
食べたい人、食べたくない人、生活様式は様々である、これを認めるべきと思う。

昼の給食はどうするか?
なんでも食べて欲しいという気持ちはよく分かる。
しかし嫌いなものは食べたくないという子どもの気持ちはもっと尊重されるべきである。
子どもたちは楽しい食事を望んでいる、
おいしい食事を望んでいる。

昨年は「保育園」で無理矢理食べさせた保育士が逮捕された。
「無理矢理食べさせることは虐待である」ということである。

どこまでが許さされるかということになるが、

「一口でも食べよう」
「これを食べないとデザートなし」
「これを食べないと遊びはなし」
「食べるまで立ってはだめ」
「食べたら~してあげよう」

これらはすべてアウトである。
このような事を言われて食べさせられておいしいはずがない。

「保育所における食育に関する指針」には期待される子どもの姿が書かれている。

1) お腹がすくリズムのもてる子ども
2) 食べたいもの、好きなものが増える子ども
3) 一緒に食べたい人がいる子ども
4) 食事づくり、準備にかかわる子ども…

47.土曜日の保育

土曜日も保育園は原則として開園している。
産業構造の変化から、サービス業は増え続け、土曜日、日曜日に営業している企業はたくさんある。そのおかげで、皆、土曜日、日曜日に買い物に行ったり、遊びに行ったり出来ている。土曜日の保育が必要な子どもたちが増えていくのは今後も続くだろう。
また、土曜日の保育は、育児支援の観点からも必要である。土曜日(平日でも)が休日の保護者に如何にももっともらしく「子どもさんは保護者が休みの日には一緒に居たがっています。一緒に遊んで上げて下さい」などという。結局保護者は貴重な休日をすべて子どもと一緒に過ごすことになる。普段働いている保護者にとって、休日しか出来ないことも当然ある。子どもと一緒に居たいと思っても、一緒では出来ないこともある。これを如何にもらしい言葉で保育を拒否されてしまうと保護者は追い詰められていく可能性がある。保育園は、育児支援として「保育をすること」が最大の責務である。保護者の生活全般を考えた上で対応することが求められており、安易にもっともらしい言葉を用いて「保育を拒否」すべきではない。…

情報公開と守秘義務

最近は情報公開は当然となっている。役所の情報も手続きさえ踏めば多くの情報を手がに入れる事が出来る。もちろんネット上での公開もきちんと行われている事が多いが、これはあくまでも役所側からみて公開した方が良いと考えた情報が公開されている、当たり前の話ではあるが。また、縦割り行政のため、情報を横断的にまとめ、整理するということはあまり熱心にされてはいない。横断的な情報を得るためには、それなりに指定して情報公開を求めていくのが近道である。ネット上にあるものから自分でまとめる事もある程度までは可能であるが、欲しい情報を探すのは結構大変である。担当部署さえ分かれば、依頼する方がきちんとしたものが手に入る。依頼する時に曖昧だとやはり曖昧な内容が帰ってくるので要注意である。
 役所以外でも情報公開を求められる事が増えている、保育園などでもHpなどを使ってでも、保育方針や決算情報など出来るだけ公開する方が良いと考えている。
 しかし、どこにでも公開されては困るものもある。特に個人に関する情報を持ち出すことは絶対に許されない。保育園に限らずいろいろな所に個人情報は存在するが、多くの個人情報は何かの目的を持って集められた(得られた)ものである。この目的外使用は裏切り行為であり、信頼関係を破壊させるものである。役所でも法人でも色々な規制、規則で情報管理に努めている。どのような取り決めも破られないものはない。情報を守っていくための最低限の約束が守られるかどうか、最後は個人的な責任、信用に関わってくる。情報を扱う立場にいる人が意図的にその情報を持ち出す事を完全に阻止することは不可能であろう。どのような情報も、常に漏れていないか注意を払っていく以外に方法はない、漏れていた場合には迅速に対処する事以外に方法はない。情報の動きに鈍感になっていると守るべき大切な情報がいつのまにか拡散してしまう。

——————————————————————————–Kaname Tanimoto 13.01.20…

一人っ子は増えている?

保育園の紹介や特徴の中に、一人っ子が増えてきておりその為に家庭的雰囲気や兄弟関係を補うことが強調されているのを見かける。
しかし、少子化、つまり出生してくる子どもたちは少なくなっているのは事実であるが一人っ子が増えているというのは少し違うようだ。
戦後の第一次ベビーブームでは240万人の子どもたちが生まれていた、それが今では100万人あまりに減っている。これの主な原因は晩婚化が最も大きなものであろう。
30歳の女性の未婚率は、1985年14%、1990年18.9%、1995年26.2%、2000年33.9%、2005年39.9となっている。また、もう一つの大きな要因として子どもを出産していない女性の増加であろう。40歳で見ると、昭和28年(1953年)生まれの女性では10.2%であった。その後増え続け、1965年生まれの女性で40歳で出産していない女性の割合は24.2%、1969年生まれの女性では27%になっている。
話を一人っ子に戻すと、1960年の一人っ子は44.5%であったが、その後も最低で42.05%、最高48.98%の間で動いている。つまり、一人っ子の割合は決して急増してはいない。ここで見ている一人っ子は、調査時点での一人っ子で、その後、弟や妹が生まれてくるということになる。結婚15年~19年の夫婦で、完結子ども数をみると、1977年から5年ごとの調査(国立人口問題研究所)で、2010年調査までは、大きな変動なく、2.09~2.23人の間で変動していた。2010年の調査で初めて1.96人と2人を割り込んだ。これは、子どもを希望していても現実的に(経済的に)無理な状況が生まれてきているのかも知れない、現在の経済状況の中で、事態はより深刻になってくる可能性がある。それは、第一子、第二子の合計結婚出生率は大きな変動はないが、第三子以上の出産割合が減って来ている事実が示している。3人以上も子どもを育てるには経済的にも大変な負担が生じ躊躇させるものがある。

 

——————————————————————————–Kaname Tanimoto 12.12.24…

2歳児の怒りと絶望

2歳1か月のHくん、男児。友達に貰った手製の団扇を大事にしている。ある日、その手製の団扇を振り回していたら近くにいた大人の顔に当たってしまった。怪我をしたわけでもなく、少し触れた程度であったが、当たった大人と側にいた母親の二人で、「ごめんなさい」と言うように催促された。しかし彼には思い当たることがあったのかどうか怪しい。何度言われても下を向いて黙っていた。そして終には泣き出してしまった。彼にとっては、手製の団扇が人に当たったという事象は初めての経験であり、それが相手にどう影響したかなど分からなかったであろう。何も謝るようなことをした覚えはなかったのでは。何もしていないのに謝れとは心外であり怒って下を向き黙っていた。ところが周りは謝れとしつこく言って来る、味方はいない、絶望的となって遂に泣くしかなくなった。よく見る光景のように思う。子どもたちを「しつけ」たいが為に何気なくおこなってしまいそうであるが、子どもたちの状況を理解しているかどうかが肝心である。今回のように、初めての経験で突然謝れと責め立てられても、子どもたちにとっては理不尽な出来事に過ぎない。謝る理由が見えていないのである。時々30分叱られた、1時間叱られた等と聞くが、これも意味のない大人の対応であろう。1時間も叱っていたら、叱っている大人も何故叱っているのか忘れてしまって、返答しないこと・黙っていることなど別のことに内容が変わってしまっているだろう。叱るのが目的となってしまっていると思う、意地になって。

——————————————————————————–Kaname Tanimoto 12.12.04

 …

子どもたちは前向き

今日の給食を尋ねて、たくさん食べた?と訊くと、ほとんどの子どもたちが「うん」と答えてくれます。
早ければ2歳過ぎくらいからこちらの言うことが分かる子どもたちのほとんどです。
しかし、献立の内容まで踏み込むと、まずまず答えることが出来るのは1年生でやっと10人に1人くらい、2年生で10人中5人くらい、そして3年生になると10人中9人くらいとなります。
子どもたちにとって、食べてしまったものを覚えている必要がないのだろうと推測しています。
過ぎてしまったことは特に興味はなくなり、今のこと、次のことに関心が移っているのだろうと思います。
小学生6年生と話していたら、卒業式で涙を流すのが不思議、流すとしたらうれし涙、何故なら自分たちは卒業して中学生になることに期待して希望を抱いているのだから、ということを聞きました。
子どもたちは前向きで、過去の感傷に浸っているということは少ないのだろうと思いました。
卒園、卒業、進級いろいろありますが、子どもたちとは過去ではなく、明日、未来を語り合える時と考えた方が良いだろうと思います。

——————————————————————————–Kaname Tanimoto 12.12.02…

最近の携帯電話などと子どもたち

マイクロソフト・(ビル・ゲイツ 19歳)、アップル・(スティーブ・ジョブズ 21歳)、グーグル(ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリン ともに25歳)、フェイスブック(マイク・ザッカ-バーグ 19歳)、彼らは今の世界のコンピューター、携帯電話の世界ではなくてはならない人たちである(残念ながらジョブズはなくなったが)。彼らの起業時の年齢は大変若く、10代、20代である。起業までにコンピューター(パソコンではない)歴は数年から10年以上。この経歴の上に起業が成り立っている。

 最近聞いた話でびっくりしたのは、子どもたちにパソコン、携帯、インターネットなどを強制的に禁止してしまえ!という話題である。ついて行けない大人が多く、子どもたちにこれらの世界を与えていくと犯罪や詐欺などに巻き込まれ、熱中して勉強どころではなくなるから、というのが理由のようである。しかし、これは逆である。大いなる進歩は子どもたちにもっとたくさんのことを教えることを要求している。最近の生物学、宇宙学、地球科学などびっくりするくらい変わってしまっている。一度中学生、高校生の教科書を開いてみると面白い、立ち読みで。生物学などあまり目立たないので批判の対象にはならないが、IT関連のものは何かと目立つので批判しやすいのだろう。パソコン(コンピューター)、携帯、インターネットなどの発達が世の中に与えた衝撃は激しく、情報は一部の人たちのものではなくなりつつあるし、ビジネスも大きく変わって来ている。自動車にしてもIT化されエコカー全盛の時代がやってきいるし、もうすぐ鉄腕アトムが出現するかもしれない時代がやってきている。この時代、パソコン、携帯、インターネットなどを封じ込めるのではなく逆に子どもたちにきちんと教えていくことが求められている。学校教育に取り込むことは良いことであるが、子どもたちを遠ざけることは何も生まないどころか「世界から置いて行かれる子どもたち」を作ることになるだけだろう。

——————————————————————————–Kaname Tanimoto 12.10.06…