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2.発達、発育

59.発達障害2 2歳11か月男児

ある日の保育日誌から
近くの体育館まで行った。体育館や公園などの広いところが苦手のようで、今日も皆から外れて一人で走っていた。いつもの姿である。狭いところを好む。
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この日誌の記載の通りで、この子は広いところは本当に嫌いなのかもしれない。
広いところに行くと何をしたら良いのか分からないのだろう。

この子が広いところでも興味を示す遊び、遊具は見つからないのだろうか、
この子にとって狭くも広くもない、丁度良い広さの遊び場はどれ位であろうか、
このような検討がされると何か見つかるかも。

この子が興味を持つ遊具は何だろうかと探してみるとよいだろう。
いつか見つかるかも。
この子が一緒に遊べる何かを見つけることが、この子の発達に役立つだろう。

狭いところが好きでいつもそこに居たがるのだから、
その邪魔をしないようにしよう、と考えるのではなくて、少し考え方を変えていこう。
狭いところも広いところも自由に行ける方が多分楽しいと思う。
そのためには、何があれば広いところで楽しむことができるか、
いろいろ探していけば、
少しずつ広いところに向かって出て行くことができるようにならないだろうか?…

58. 発達障害? 2歳11か月男児

2歳11か月男児
ある日の保育日誌から

給食の時、友だちの食べる姿を見るように声をかけ、「おいしそうだね」「上手に食べてるね」など声をかけていると、その姿を見て真似て食べようとする。
保育者が介助することは嫌がるので、カボチャを少しのせたスプーンを手に持たせると口に運び食べてくれた。一口だけであったが、保育者は「おいしいね」「食べられたね」と声をかけ、十分に褒めるようにした。今までご飯以外口にしたことがなかったので保育者皆で喜んだ。今後も無理強いせず、食事を楽しいと感じられるようにしていきたい。
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スタッフは何とかいろいろなものを食べて欲しいと頑張っている。その頑張りがなかなか通じない。一口でも食べてくれた喜びが伝わってきます。食べて欲しいという気持ちは大切です。いつか通じるものです。あきらめないことが大 切です。

この場面も含めて、もう一工夫するともっと通じるかも。

【食物アレルギーの場合】
食物アレルギーがある子の場合、もっと工夫をし、努力をして対応していると思います。食材にアレルゲンが入らないように、食べる時に誤食しないように、誤って食べた時どうするか等々。これはどこでもおこなっていることではないでしょうか。

【この子のための献立】
この子はご飯しか食べてこなかった。多分そうなんでしょう。これまでスタッフは出てきた献立の中から何とかご飯以外を食べてくれないか、一口でも!と思って頑張ってきたのでしょう。皆で喜んだ!、それくらいうれしかったのでしょう。皆で頑張ってきた思いが伝わってきます。
献立作成時に立ち返って、「この子のための」献立まで工夫をするともっと思いが伝わっていくのではないでしょうか。
皆のために作られた献立を想いを込めて食べてくれ!というだけでなく、調理室のメンバーや看護師なども一緒になって「この子ための献立」「この子が食べる献立」を作ることが出来ると良いと思います。食材選びも大切ですし、調理法も大切です。

【この子のための食器選び】
《手で食べる》
この子はスプーンでうまくすくうことが出来ないようだ。この子が出来ないのか?
できないなら手で食べることもひとつの方法と考えてはどうだろうか。
いつか上手に道具が使えるようになるのを待っても良いと、気長に考えるのもひとつの方法でしょう。

《スプーンの形》
スプーンの形を考えてみてはどうだろうか。スプーンの匙の部分は掬いやすいか、柄の部分は掴みやすいか。

《皿や茶碗》
皿や茶碗についても考えてみてはどうだろうか?スプーンで食べるのに向いているか。浅すぎたり,深すぎ
たりしてはいないだろうか。大きさは合っていて食べやすいだろうか。

《食事》
出された食事はスプーンで食べるのに向いているだろうか?堅さはどうだろう。大きさはどうだろう。
この子が「おいしそう」で食べたいと思うようなできあがりだろうか。

できればスタッフから「おいしいね」と言われる前に本人が「おいしい」と喜んでくれるとうれしいですね。…

55.母乳と粉ミルク

母乳の続け方、やめ方はこれまでも何度も議論され右に左に
大きく振れながら今に至っています。
(続けて行く推進論は右か左かは不明ですが?)

母乳は人類が地球上に現れた時からあったと推測できます。
この当時はまだ食べ物も少なく、赤ちゃんは母乳以外で
育つことはできなかったのではないでしょうか?

ということは、赤ちゃんはいつ断乳したのか?、いつ母乳をやめたのか?
多分、結構大きくなるまで母乳を飲んでいた?
食べ物がないときは母乳!!だったのでは?
赤ちゃんは結構長く母乳を飲みながら人類は生き延びてきた、これが真実?
いつ母乳をやめるか、これが現代の問題である。

粉ミルクはWikipediaによれば1800年代に登場(日本は1917年らしい)したそうである。
それまではほぼ母乳であったであろうから、
赤ちゃんにとって母乳をいかに確保して貰うかで
生死が分かれることになっていたであろう。

乳母という人間独特の方法を編み出してからは、
協力しながら多くの子どもたちが助けられたであろう。
こういうことは人間らしさ、人間の良いところである。

母乳崇拝に近い人たちも現在いる。
彼らは愛着、免疫という面から母乳推進論にあまりにも拘りすぎているようにみえる。
母乳さえ飲んでいれば少々の栄養不足は気にしないと断じる人もいるが、さすがに極端であろう。
子どもたちは「子どもの権利条約」を持ち出すまでもなく、
生まれながらに「育つ」権利を持っているのだから、
それを「主義主張」の犠牲にするのは如何であろうか。

母乳崇拝に近い人たちの言うように母乳でありさえすれば問題が何も無いわけではない。
母乳にはある種のビタミン、ミネラルが不足しており死に至っていた
ことも分かって対策が実行されている。
現在の粉ミルクにはこのビタミン、ミネラルは配合されている。

母親がある種のウイルスに感染している場合、
ウイルスが母乳を通して赤ちゃんに感染することが
分かってきて母乳を与えないことが推奨されている。
このウイルスに感染しているかどうかは血液検査で分かるので、
妊娠中に検査することになっている。

現在まだ不明の母乳の問題が今後も明らかにされてくる可能性もある。

母乳はすべてにおいて万能であると考えるのは少し無理がある。
母乳はあくまでも一人一人のお母さん、家族の問題と考えていくのが自然であろう。

粉ミルクにもいろいろあるが、粉ミルクが一方的に勧められるのもどうであろうか。
まず、金銭的負担が大きい、特にアレルギーミルク、下痢用ミルクなど
特殊なミルクは高価である。
ドラッグストアやスーパーなども特売を利用すれば安くはなるが、…

45.目線2

目線というとどうしても目や視線のことに囚われてしまう。
子育て、保育をする中で目線として考えることは他にもありそうである。

子どもたちは生まれてから日々成長・発達していく、
この日々の成長・発達をよく理解し、把握して行く必要がある。
成長・発達していくのは目の位置だけではない。身長、体重だけでもない。
言葉、動作、理解力、手や指の使い方、寝返り、お座り、つかまり立ち、
歩行、走る、飛ぶ、作る、読む、書く、・・・いろんなことが
出来るようになっていく。

しかし、ここには段階がある。その段階をよく理解していくことが
子どもたちの発育支援には求められる。
子どもたちを安全に見守っていくことは、
その子が今どの段階にあるかを理解しないと出来ないことである。

何かの上に乗って飛び降りることは子どもたちにとって冒険であり
うまく出来れば楽しいことであろう。
これには段階がある。
這うことしか出来ない子どもが1mの所から飛んだ(落ちた!)とすれば、
かなり危険なことだろう。しかし、歩けるようになり、走れるようになり、
飛ぶことを繰り返し、徐々に高いところから飛べるようになれば
危険はなくなっていくだろう。その子が高いところから飛ぶのを見守ることで
安全を確保していくことが出来るであろう。
危なそうだからという老婆心から飛ぶことを禁止するのではなく、
肝心なのは、どれくらいまでなら安全か?を的確に判断することである。
そうすればその子はさらに高いところに挑戦できるだろう。

これは、言葉など他の面でも同じことである。
言葉で言えば、生まれたばかりの子どもに言葉を理解せよということはないだろう。
しかし、3歳くらいになると多くの子どもがよく喋るようになる。
聞いているとよく分かって喋っているようにも聞こえる。
しかし、ここでも発達の個人差は大きく、
一人一人のことをよく理解することが求められる。
子どもたちとのコミュニケーションを確立していくのは大変な労力が必要だろう。
子どもたちに伝達できたと勝手に大人が思い込み、伝わらないのは子どもたちに
責任があると思ってしまう(言うことを聞かない、無視するなど)。
だからつい大声を出して叱ったり、脅したり、時には手や足が出たりということになる。

言葉でも同様に、
どこまで理解して喋っているのか、
どんな言葉で伝えれば伝わるのか、
どんな状況で伝えるべきか、
など大人の側が十分配慮して話しかけるべきであり、
きちんと伝わったかどうかの判断も慎重に行うことが肝要である。

——————————————————————————–Kaname …

41.秋の服装

朝晩涼しくなってきました。
最低気温も10℃以下となり、夏は過ぎ去ったと実感します。
今日は特に寒さを感じるのか、厚着で来院する子どもたちが目立ちます。
お父さんやお母さんたちも結構厚着になっていますが、
心配し、気を遣うがために子どもたちはさらに厚着をさせて貰っています。
毎年のことですが、この頃のような気温が変動し始める時期が子どもたち受難の季節です。
朝から肌寒いので、ほぼ真冬に近い格好をしている子も珍しくありません。
さすがに手袋はまだ見ませんが、厚手の靴下を履き、着ぶくれた子どもたち、汗にまみれ、肌は荒れてきています。

夜も、肌布団、毛布、厚手の掛け布団は普通に聞きます。
中には一晩中エアコンで暖房をしている家庭もあります。
前にも書いていますが、子どもたちは暑がりです。
成長し、発達していくために身体に比べてより多くのカロリーを摂取し、消費しています。
その時に熱も産生され暑がることになります。

出来るだけ薄着にすることが子どもたちのためです。
目安として、昼間であれば大人より一枚は薄く着るようにしてください。
夜間は、敷き布団の上からはみ出さないように薄くしていってください。
敷き布団の上でよく眠っていれば寒くはありません。
本当に寒ければ寄ってきますので、それから考えてください。
首の後ろあたりが汗ばんでいれば暑いのだと考えてください。
眠っている時は、足の裏が温かければ寒くはありません。
足の裏以外は比較的詰めたいのが普通です。

 

——————————————————————————–Kaname Tanimoto 13.10.18…

37.1歳児の食事(保育園にて)

1歳児をよく考えてみると、1歳0か月から2歳までの間で大きな差がある。
生まれて1年間生きて来た1歳児ともうすぐ2年にならんとする1歳児、約2倍の違いである。
これは当たり前であるが、そういう認識で保育が為されているかといえば少し疑問がある。

多くの保育士は、1歳児の発達を話している時は発達段階の差異について理解し、実感している。

1歳0か月では、言葉(単語)も出ていないのは普通のことである、歩けなくても特に問題となるわけではない、
また手の動きもまだ自由自在というわけにはいかない、
集中して何かを行うこともあるかも知れないが
彼らは周囲の何事にも興味を持つので大人から見れば落ち着いていないように思える。

一方、2歳になろうとしている子どもたちは、言葉はかなり出ている子が多く、
走っている子も多く、
手は自由に意図通りに動くようになってきている。
遊びなどにも集中する時間が長くなって来ているのが実感できる。

これが1歳児なのである。

ところが、食事の時間になると、このような発達の年齢差、個人差を忘れがちになり、
あまり意識しなくなるのだろうか?
全員に一律に、食事を決まった時間内に目標量を決めて、
食べ方についても注文を付けて、
食事に集中することを要求してしまう傾向が見られる。

発達の年齢差、個人差を忘れず、
良く理解し把握して食事などすべての保育行為に向かう必要がある。

 

——————————————————————————–Kaname Tanimoto 13.08.29…

36.反抗期2  

3歳児は2歳児よりもいわゆる反抗期の真最中である。
この子たちが自分の主張が言え、それを通そうとするのは大きな成長を見せてくれていると考えて良いだろう。

実際にあった保育園でのエピソード。
 食事中に男の子3人がふざけて遊び始め、テーブルから離れてしまい、食事に向かわなくなってしまった。
「しつけ」という気持ちからか、担任の保育士は、3人を床に正座させ、食事中に遊び始めたこと、

途中で食事をやめてしまったこと、他の子の迷惑になることなどを指摘し、きちんと謝るように求めた。

3人は一応「ごめんなさい」とは言ったが、保育士には決して納得出来るようなものではなかったらしい。

そのため「しつけ」は更に継続され、途中からたまたま登場した園長までもが加わって3人を「しつけ」ようと頑張った。

 

保育士と園長、この二人も含めてここに登場した5人、互いに頑張り説教は1時間近くになってしまった。
そしてこの間に、この日の出来事だけでなくこれまでにも色々気になっていたことを次々と保育士が言い出して、
最後には一体何が問題であったかも子どもたち3人にも分からない状況になった。

そもそも3歳児に説教しようと考えるのは無駄である。彼らにはせいぜい一言で済ますべきである。
それが30分を越え、1時間近くになれば、最初のきっかけなど忘れてしまっている。
大人でも忘れているだろう。

諭し、脅し、声を張り上げ、目でにらみ、怖い顔を見せつけ、身体全体に怒りを表し、結局効果はない。

自分の主張が抑制できるように自然と解決する問題である。

 

——————————————————————————–Kaname Tanimoto 13.08.25

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反抗期1

2歳半くらいになると、「風呂に入ろうか」→イヤだ、「じゃ今日は風呂に入るのやめようか」→ダメ、「じゃご飯食べようか」→黙って無視、「先にご飯を食べるよ」→ダメ、一体どうすれば満足するのか?
3歳頃になって言葉が増えると、「そのクッキー少しくれないかな?」→あげないよ、僕のだもの、「じゃ一緒に食べようか」→イヤだよ、僕が食べるから、「じゃ今食べようよ」→ダメだよ、今は食べない、「外に遊びに行こうか?」→イヤだよ、お菓子が食べたいから、「じゃお菓子食べようか」→無視
4歳にもなると、言葉も増えるが返事をしなくなることも増えてくる。そして、自分に都合で良く喋る。大人の言うこともほとんど理解できるようになってきて、良く聞いて覚えていく。(良くで聞いて、よく見て覚えていくのは恐らく生まれてからずっと子どもたちが行っていることあろうが) 三歳児にも増して反抗的に見える子どもたち、一方で要求は増える一方です、あれが欲しい、これが欲しい、これもしたい、まだ眠くない、まだ起きたくない、
「保育園での友達は誰」→無視【心では言いたくても言いたくなくなるらしい】

転んでスネを擦りむいて絆創膏→この絆創膏は誇りか、照れくさいか→誇りであれば剥がそうとすると。「剥がさない!」→「じゃ張っとけば」→【照れくささが全くないわけではないので】→「張ったまま保育園にはいかない」→「じゃ剥がそうよ」→「剥がさない」→→→一体どうすれば

カタツムリのようなもの、頭を出せと言えば引っ込める、もういいやと諦めるとゆったりと頭も角も出してくる。4歳児は、聞き出したり、押し込もうとしたり、説教したり、すべて効果は少ない。
良く聞いてやり、尋ねられたら「幸せ」と思い丁寧簡潔に間違いのないことを伝えること。
4歳児は3歳児より運動神経や言葉や知識や感情が豊富になっており、対等な大人として扱うことがうまく付き合えるコツである。「決して子どもである。」と思わないこと。 むかし付き合った大事な大事な恋人に出会った頃の気持ちで接して欲しい。

——————————————————————————–Kaname Tanimoto 13.07.04…

2歳児の「寄り道」

2歳児は「寄り道」が好きである。
彼らにとって「寄り道」は好奇心の現れであり、周囲に関心を持ち、いろいろなことに興味を持つことが出来る様になった証拠でもある。
例えば、おもちゃ箱から人形など指定した玩具を持ってきてくれる様に依頼すると、理解できることも多く、おもちゃ箱に向かって進んでいく。しかし、一歩足を踏み出した時から「寄り道」をする可能性がある。一歩踏み出した途端に犬がワンワンと吠えれば「あ!ワンワンだ!」となり、興味の方向が変わってしまっても不思議ではない。
何とかおもちゃ箱にたどり着いても、おもちゃ箱で目当ての人形を探しているうちに別の興味ある玩具を見つけそちらを手に持ってしまうことも珍しくはない。
無事に目当ての人形を探し出し、手に持って帰ろうとしても、ついでに別の玩具が目について、それを手にしようとして目当ての人形を離してしまうこともあるだろう。
無事戻るべく一歩を踏み出しても、行きと同様、帰りにも誘惑はたくさんあるだろう。人形が着ていた服が脱げることもあるだろう。脱げた洋服の方に興味が移ってもおかしくない。
2歳児にとって、周りのすべては大人のいう「遊び」の対象なのである。これは、食事中も、昼寝の時も、おやつを食べていても、夜眠ろうとした時でも、いつも、なんでも、「遊び」の 対象となっているのであり、それを前提に彼らと付き合っていくしかない。 ——————————————————————————–Kaname Tanimoto 13.05.10…

しつけ また (トイレ)

またまた問題出現、
2歳児でトイレ行きたくない子を怒ったりしない、までは良いと思う、しかしこの子を優しく抱っこしてトイレまで連れて行く、これが優しいことなのだろうか?子どもの立場から見れば、トイレに行きたくないと泣いているのは何らかの事情があるからである。その事情は子どもにとっては大切な事柄であろう、泣いているのだから。その大切なトイレに行かない事情を理解しないまま、(いつものことだから)などの大人側のいい加減な判断でトイレに無理矢理連れて行かれては、子どもにとっては堪ったものではない。行きたくない時は行きたくないのだ、これを尊重して欲しい。無理矢理連れて行ったりしていると、時々相談がある「トイレで排便が出来ない5歳児」や「紙パンツ中でしか排便、排尿が出来ない5歳児」や「ウンチが出そうになると泣き出してしまう5歳児」「隠れてウンチをする5歳児」になってしまう。本来、排尿、排便は人間にとって生理的、自然なものであり、不快なものではなく快感を感じるものであるはずである。この生理的な行為を人為的に不快なものにしないように細心の注意を払うべきであると思う。
——————————————————————————–Kaname Tanimoto 13.03.14…