38.いじめ しつけ 叱る 体罰 虐待 その2

しつけと称して子どもの自由を奪う行為は、体罰、虐待に当たると考えるべきである。

自由を奪う方法には色々あるあるし、奪う理由も色々理屈付けは出来るだろう。いかにも最もらしく、子どものためを心底思って自由を奪って上げていると思いたくなるのだろう。自由を奪う大人は常に正義の味方であり、自由を奪われる子どものための苦渋の選択としての行為なのである。子どもの将来を思う余りに自由を奪わざるを得ないのである。この子が立派に育っていくために自由を奪って上げているのである。

縛り付ける方法もある。子どもを暗いところに閉じ込める方法もある。身動きできない狭いところに閉じ込めることも出来る。怒鳴りつけ脅してじっとさせることも出来る。遊びに参加させず無視することも出来る。食事を食べさせないことも出来る。食事を食べるまで座らせることも出来る。

すべて子どものためを思っての行為であるので免罪される。感謝されて当然であると思っている。

子どもたちは(大人でも同じであるが)このような行為が行われているのを見ていると怖くて何も出来ない、反抗するなどとんでないことになると良く知っている。だからじっと我慢して耐えている。逆鱗に触れないように気を遣っている。顔色を見ながら恐る恐る遊んでいる。耐え難い1日である。

静かに食事している時は体罰、虐待が行われているかも知れない。静かに昼寝する時は脅かされているかも知れない。静かに本読みを聞いている時は睨まれて怖がっているかも知れない。

 

子どもたちが静かな時は気をつけろ!

子どもが泣いている時は気をつけろ!

子どもが訴えてきた時は絶対に守るという決意で対決を!