目線というとどうしても目や視線のことに囚われてしまう。
子育て、保育をする中で目線として考えることは他にもありそうである。
子どもたちは生まれてから日々成長・発達していく、
この日々の成長・発達をよく理解し、把握して行く必要がある。
成長・発達していくのは目の位置だけではない。身長、体重だけでもない。
言葉、動作、理解力、手や指の使い方、寝返り、お座り、つかまり立ち、
歩行、走る、飛ぶ、作る、読む、書く、・・・いろんなことが
出来るようになっていく。
しかし、ここには段階がある。その段階をよく理解していくことが
子どもたちの発育支援には求められる。
子どもたちを安全に見守っていくことは、
その子が今どの段階にあるかを理解しないと出来ないことである。
何かの上に乗って飛び降りることは子どもたちにとって冒険であり
うまく出来れば楽しいことであろう。
これには段階がある。
這うことしか出来ない子どもが1mの所から飛んだ(落ちた!)とすれば、
かなり危険なことだろう。しかし、歩けるようになり、走れるようになり、
飛ぶことを繰り返し、徐々に高いところから飛べるようになれば
危険はなくなっていくだろう。その子が高いところから飛ぶのを見守ることで
安全を確保していくことが出来るであろう。
危なそうだからという老婆心から飛ぶことを禁止するのではなく、
肝心なのは、どれくらいまでなら安全か?を的確に判断することである。
そうすればその子はさらに高いところに挑戦できるだろう。
これは、言葉など他の面でも同じことである。
言葉で言えば、生まれたばかりの子どもに言葉を理解せよということはないだろう。
しかし、3歳くらいになると多くの子どもがよく喋るようになる。
聞いているとよく分かって喋っているようにも聞こえる。
しかし、ここでも発達の個人差は大きく、
一人一人のことをよく理解することが求められる。
子どもたちとのコミュニケーションを確立していくのは大変な労力が必要だろう。
子どもたちに伝達できたと勝手に大人が思い込み、伝わらないのは子どもたちに
責任があると思ってしまう(言うことを聞かない、無視するなど)。
だからつい大声を出して叱ったり、脅したり、時には手や足が出たりということになる。
言葉でも同様に、
どこまで理解して喋っているのか、
どんな言葉で伝えれば伝わるのか、
どんな状況で伝えるべきか、
など大人の側が十分配慮して話しかけるべきであり、
きちんと伝わったかどうかの判断も慎重に行うことが肝要である。
——————————————————————————–Kaname Tanimoto 14.02.02