いじめ、しつけ、叱る、体罰、虐待 これらの言葉は一連のものと考えられる。大人が子どもたちに対してこれらを行うとき、圧倒的な差がある状況で行われるのであり、決して歓迎されないものだろう。親子であろうと他人であろうと、どんな関係でも許容されないと思う。言葉でも、態度でも、まして暴力的であればなおさら許されないものだろう。
最近は虐待防止法が制定されたり、いじめが大きく注目されたりして少しは良くなってきていると思われるが、無意識のうちに行っている場合もある。
特に「しつけ」という名目でなされる場合がやっかいである。「しつけ」は「良いこと」であるという既成観念があるために、極端な場合、どのような方法でも「許される」「当然なすべきである」「必要なものである」となってしまう可能性が高い。虐待で事件と扱われた事例をみても、「しつけ」のためにやった事だ、という当事者の説明が少なくない。そのような行為を許す周囲の状況もある。子どもたちを「しつけ」る前に、周囲の大人も含めて今一度子どもの人権について考えなければならない。
子どもたちは生まれつき人権を持っているのであり、決して侵害されるべきではない、それが「しつけ」のためであっても。
——————————————————————————–Kaname Tanimoto 13.01.02