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子育て講演会、交流会

第2回子育てひろば21委員会講演会

演題 「求められている子育て支援とは~母親の育児不安から考える~」

平成14年9月7日

恵泉女学園大学 教授

大日向 雅美先生


講師プロフィール

大日向 雅美(おおひなた まさみ)
恵泉女学園大学教授
専門 発達心理学、女性学

主な著書・編著

  • 「母性の研究」 (川島書店、1988年)
  • 「母性は女の勲章ですか?」 (産経新聞社、1992年)
  • 「子育てがいやになるとき つらいとき」 (主婦の友社)
  • 「「さみしいママ」にさようなら 」 主婦の友社
  • 「子育てと出会うとき」 (NHKブックス、1999年)
  • 母性神話の罠」 (日本評論社、2001年)
  • 「子育てママのSOS」 (法研、2001年)
  • 「子育てがつらくなったとき読む本」 (主婦の友社)

(※著書にあるリンクはそれぞれamazon.co.jpの該当ページです。)


講演参加者の感想文集です。

NO.1

子育ては、私たち“親が育つ”ことであると、日々思っています。
仕事をもつ核家族の私にとって、今の保育の状況が、非常に恵まれた状況であることを、改めて感じさせられました。しかし、恵まれた保育環境にあっても、実際、私たちの一日一日は、子育てと仕事の両立に苦しみ、ギリギリのところで生活しています。…

第1回子育てひろば21委員会講演会 演目「保育と子育て支援の今後」1-4

そのいいところはどこなのか、実は幼稚園教育要領とか保育所保育指針というのは実はかなり理想像です。最低基準も書いてありますけど、かなりいい所は、特に幼稚園教育要領は理想ばっかり書いてあると思いますけど。どこも私のお茶の水女子大学の附属幼稚園というのがありますが、そこだって出来てないことが沢山ある、そういう理想像が書いてあります。だから現実離れしてますけどもでもやっぱりそういうことを承知して少しでもそれに近づける努力はいります。現実にはね、人手も少ないし予算も少ないし、おもちゃや遊具がふんだんに使えればいいし、庭だって今の何倍か広げられればいいとか、キリもないですけど。日本中いかなる幼稚園も保育園も100点は取れないんですけどだからといって60点でいいわけじゃないと言う事です。

じゃ何を目指すのか、改めて幼稚園教育要領と保育所保育指針を見て頂きたいという感じですけど、全部は今いえませんけど。私は今日少しだけ見させて頂いて保育を見たという気は致しませんが、施設を見せて頂きましたけれども、いろいろな幼稚園や保育園に行く機会がありますけど、どういう所を見るかというのを少しお話しすると、当たり前の事はありますよ。綺麗に、衛生的に大丈夫かとか、壊れてないかとかと言うレベルはありますけれど、一番基本となるのは、保育者、先生と子どもが、関係がお互いに、好きなのかなとか、子どもは先生の事大好きなのかなとか、ニッコリしてるかなとか?我々男性がいくとちょっと人見知りしないで寄ってきてくれる子もいるし、人見知りする子もいますけど、人見知りしたときに先生の所に行って安心を求めるかな?とかそういうような事、信頼関係ということですけど、信頼関係なんて言葉使わなくても、要するに先生と子どもがお互いに仲良くなってるかなということですね。子どもが先生を好きというのと先生が子どもを好きというのと両方あります。保育者というのは子どもが好きだから保育士になるんだからみんな子どもが好きなはずですけどまあほとんどそうですけどたまにそうでないこともありますね。子ども嫌いと言う事は無いと思いますけど、保育者だって疲れる事もあるわけだし、夫婦ゲンカすることもあるだろうし、やっぱり調子が悪いことがあるでしょうからやっぱそうもいかないときがあるわけですけど。それが一つ基本だと思いますね。

2番目は子ども同士ですよね、子どもと子どもが一緒に仲良く遊べるのか一人ぽつんと、一人遊びをするのはいいんですけどね。ずーとぽつんとしている子はいないだろうか?なんとなく表情の暗い感じとかなんというか沈んだ感じって見るとわかりますよね。そういう感じはないのかな?というようなことを大体見ると思うんですよね。それはやはり仲間関係がちゃんと育ってきているから、その年齢なりにですけど、ということを見ていきますね。そのあたりはだいたいこう保育のそれが出来ていればすごくいいと言う訳ではなくて大体どの幼稚園も保育園もできてる はずですけどそれがなかったら極めて具合が悪いということですよね。つまりそういう関係があることが保育を良くする事の基盤ですから、まずそれができているとすると、こうしたらどうでしょうかと言えば良くなっていくです。そこが不安定だとそこにそのなんか遊具入れてもダメなんでこういうのは改善されないわけです。まず関係を作っていかなくてはいけない、だからそこらへんがその例えばとくに幼稚園なんかだと4月なんてとても不安定ですからそういうところだとまず子どもが園にきて安心して部屋にいるとか、先生の側にいられるとか、友達とくっつけていられるとかということをこう1か月、2か月最初のね。3歳児の最初のクラスなんかそうですよね。保育園というのはこの4月に入った子もいるでしょうけど前の学年からきてる子もいるからね。そう4月は特別じゃないでしょうけど、そういう事があった上でなんですけど。

その次にはね安全とか栄養とかそういうのは当たり前のことだから今ははずしているんですよ。それは最低基準だからクリアしている。その上で見るのはこれからさきはちょっと短い30分じゃわかんないんですけど。1日こう見たりしてですけれど、子どもの活動がどのぐらい活発であるかとか、どのぐらい子ども自身が作り出しているかとか、どのぐらい多様化、つまりいろいろあるか広がりがあるかというような感覚ですね。活発かというのと、子どもから作っているかというのと、広がり、多様性ということですけど、例えば、おもちゃを考えたときにやっぱりいろんな種類があったほうがいいんです。やっぱりそのなにも変ええなくてむかしからある積木だけというのでは困る訳で、やっぱり多様ないろんなものがあるほうがいいですよね。

だけどおもちゃがあればいいていうもではなくて自分から作り出していくというのは先生がいつも与えたものの、与えた遊びだけやっているのではなくて、子どもが工夫して遊び出すかどうかなんです。

活発かというのは要するにどの子どももぼーっとしてなくて、一日の中で疲れればぼーっとしまから、リズムはありますけど、どこかでは一生懸命遊んでるかな?とそういうことですよね。

その広がりというのはいろんなおもちゃがあると言うだけではなくて、考えたら一日、一週間というなかでいろんなことして欲しいわけですよね、おもちゃで遊ぶことも必要だし外散歩することも必要だし、思いきって走りまわることも必要だし飛び降りたりすることも必要だし水遊びもして欲しいし、静かで絵本も読んで欲しいし次々にいろんなことがあります。そうやって乳幼児期にいろいろして欲しいこととか考えてみます。それが1週間1ヶ月と見たときにいろいろやってくれてるかなということです。これは一時間くらい見たってわからないです。子どもは熱中すればずーっとやってますから一時間砂場をずーっとやってたってかまわないわけで、そうじゃなくて一週間砂場やってたっていいわけです。いいんだけど三ヶ月砂場だけだとちょっとどうかな?障害もってるお子さんのなんかだとなかなか難しいこともあるかもしれないけどね、まあそれにしてもそういう広がりがある。

いろいろ選べる中でもあることを選ぶにはその子なりの理由があるでしょうからそれは考えても良いけれど選べなきゃしょうがないですよね、選べると言うことはいろいろなものが使える状態にあることで、当たり前なんですけども水遊びと言うのは、水がつかえなきゃ駄目ですよね。自分から工夫できると言うことは自分で蛇口ひねって水出してまあ少々回りにかかってもいいからホースを自由に使えると言う条件がなきゃできないです。砂場で自分から工夫してやるためには砂場のときにはスコップはこれでこう言う風にやるんだよと決まってたらできないわけで手で掘っても良いし大きなシャベル使っても良いしといろいろあるから砂場に工夫がうまれるわけです。

当たり前のこと言ってますけど例えば公園なんかでお母さんたちが子ども連れてきたりして砂場遊びさせたりしたりしてるでしょ。そういうの見て最近はあんまり見られませんけど、私のような人間が見てると怪しまれるのでなかなかおじさんというのは不便なんですけど、学生のころにとかわたしの学生の練習用に連れていって観察させたりするんですけども見てるといろんなお母さんいます。神経質のお母さんの中で砂場に座らせないとか、手で触ったら汚いからシャベルでとか細かい人いるわけですよね。

最近幼稚園にいって時々驚くのは砂に触れない子がいるわけですよ。だいたいいますね。東京で見てると30人いると数名、砂場にようするに行った事がない、最近はシャベル使わせる親はまだ良くて公園の砂場汚いって思ってるんですよ。まあ実際記事によくでるんですけど、猫がうんちしたりとかなんとかあるから、なんとか菌があるからいけないとか手に触れば口に入れるかもしれないしというので砂場に連れて行かない親が増えておりまして、まして泥んこ遊びなんかさせたことがないのでお洋服汚れるとか言ってなかなか泥んこ遊びにもっていくのは大変なんですけども、まあともかくいろんなことをするというのはそれができる条件を整えてあげないといけないしということを含めてるんですけど。

そうするとですね。そういうものはまあ一時間見たって分かりませんけれど、ある程度見ていくとその園の保育の豊かさだと思うんです。それがね、それがこうかなり見えてきます。それがだいたい子どもと保育者といいまして次に子ども同士の関係といいまして、次に子どものやってることの豊かさと一言でいいましたけれどまあいろいろあるよといいましたよね。

その上でですけどいくつかのさらに欲を言えばなんですけど例えばですね、子どもが喧嘩したときに揉めたり、いざこざがあったり勝手なことしたり悪いことっていうかな?したときに先生はどうするのか、というのはなかなか大事なポイントですよね。子ども同士が喧嘩してどう仲裁するんだろうか子供がその辺のものを勝手に壊してしまったときに先生はどうするかなかなか正答なんてないですよね。なんかで壊したときにしかりつけるのがいいのか、ほっとくのが良いのか、やさしくするのがいいのか、正答があるとか無いとかじゃないわけでいろんなやり方あるとおもいますけど、そこをどうしていくか、これはかなりその保育のあり方を決めると思うんですけどね。結構ありますよね。一日中何も無いと言うのはまずないので、午前中ずーと見たらだいたいなんか揉め事があるものでそのときにどうしたらいいか、随分保育と言うものが現れてくると思います。

もうひとつ最近思うのは、いざこざが社会性の典型的な場面ですけども、もうひとつ思うのは知的な活動っていうのはどうなっているのかな?ということなんですけど。知的な活動というのは、物を考えるとか読むとか、書くとかいうことですけど、字を教えたっていいと思いますけど字を教えることがイコール知的な活動と言うわけでもなくて、知的な活動のひとつですけどね。でも例えば絵本にしたって物語絵本があったり図鑑があったり電車の絵本好きな子沢山いますね。そういうのがあったりする、子どもが庭で虫を捕まえてきたときにちゃんと虫の図鑑がここにあってこうなってるよとわかるようになってる。例えばそういうことだとかあるいはその子どもが絵本作りをするというときに絵本を作っていきますよね。絵を書いて、字かいてお話しにしていくそこを先生が援助して上手な絵本にしてあげるとかあるいは紙芝居にしてあげるとかそれを皆の前で発表あせてあげるとかというふうに組み立てていくというときにそれはどこものやはり幼児期にふさわしい知的な力を伸ばしてるんだと思いますね。単に虫捕まえるだけではなくてこの虫なんだろうなという知的な疑問につなげていくとか、絵を書くだけじゃなくて絵本、絵本になるとストーリーです。物語にしなくてはいけなくなってというふうなイマジネーションを育てるとかいろんなことできますよね。

というような保育と言うものを保育所はやってってるだろうか?例えばそういうことをみるそういうことによって、保育のより高いレベルというのが見えてくるわけですよね。今その保育を見るポイントということでお話ししましたがそれはもちろん、逆にいえば先生方が保育を良くしていくというときに目指すべきものっていうとあれですけど、幾つかもっとほかにもいろいろあると思うんですけど、そいういうことの一端だと思うんですよね。今日は保育の外側の話しが多かったので中身に入れませんでしたけれども幾つかを話してみました。(終)

~以上の文章は平成14年4月13日、保育園ベアーズにて行われた”第1回子育てひろば21講演会”の内容をテープから起こし、文書化したものです。この文章を無断転載、引用することを禁じます。~…

第1回子育てひろば21委員会講演会 演目「保育と子育て支援の今後」1-3

常勤職をやる事が大事ではもちろんないんだけど、そういう事一つとっても要するに運良く体が丈夫なら、なんなく両立することもできますが、やっぱり大変は大変ですよね。そうすると、子どもを育てると言う事と生き生きと仕事が出来るということとそれがどうやって両立できるか、形として8時から6時まで預けて、勤務時間とつじつまが合えばいいというものでもない。もちろん親が元気いっぱいでも子どもがちゃんと育たないと困る訳ですから、その裏返しとしては子ども成長にとってちゃんとした条件がどう整えるか、その両方が問題なんです。

今少しずつ保育所に預ける率が増えてきてますし、結婚年齢が非常に遅くなってきてる訳ですけど、結婚しても共働きの率が上がってきてますが、しかし必ずしも全部が全部共働きでいきたいと思ってる訳ではないというか、日本は先進諸国の中で共働きの希望率はあまり高くない。5割ぐらいはいると思いますけど。どうしてかって言うと、あんなに大変な思いをしてまで両立させたいとは思わない、ということが非常に多い訳です。その大変さというのは先ほどから言ってるように、非常に現実的に負担がある、ぎりぎりでやってるとか、通勤時間が長いとかいうこともあるし、育児だけではなくて家事負担も女性側に非常に重いというような事もある。

これからの保育というのは形として、時間として育児と家事と働く事が両立するとか言うだけではなくて、或いは幼稚園で専業主婦、専業母親だったとしても同じで、大事な事は、子どもの健全な成長と言う事と親が生き甲斐を持って生きられると言う事の両方、親の生き甲斐は子育てによる生き甲斐もあるわけですけど。だけどもう一つ子育ての生き甲斐だけではやれないということです。数年間はやれるかもしれないけど10年間は保たない、もっと他の事もしたいそういう親の気持ちをかなえる事と、子どもが育つと言う事と最近の言い方で言えば親が育つということとその両方が必要なんだろうと思います。

その点については共働きであろうと専業主婦、専業母親で、幼稚園に子どもをやっていようと同じ事だと思います。つまり幼稚園に子どもをやってる場合には母親には自由な時間が多い訳ですが、しかし、多い自由な時間はもっぱら子育てと家事に使っている訳です。それで十分楽しみ生き生きやってる人は多いですが、先ほど言ったようにそれだけでは物足りない人たちも結構いる。フルタイムで働きたいとは限らないけれども何か部分的にしでもいいからやりがいのある仕事をしたいボランティア活動したい勉強したいと思う人もいるし、或いは今子どもが小さいうちは子育てに専念したけれど、どこかでまた社会に復帰して社会のかなで活動したいと思う人もいる訳ですよね。そういうことを可能にしていく社会にしなくてはいけない訳です。大きな事はもちろん国、行政、自治体がやる事ですけれどももっと個別で小さいレベルで具体的に自分の所に自分の保育園にきている親と子、幼稚園にきている親と子にたいして、何が出来るかいうことを考えていく必要があると思います。

そういたしますと、やるべき課題というのは一つは子どもが園にきてる訳なのでその園の保育というものをしっかりしたものにするということですね。それは当たり前なんですけどね。もう一つは子どもは園にいる時間、それが幼稚園なら4時間、保育園なら10時間、12時間ですけれども、以外に親によって育てれられているわけで、子どもが家庭に戻り、地域に戻ったときの子育てというものをよりよいものにしていくそういう働きかけがありますよね。これが子育て支援と最近言う訳ですが、それを良くしていく働きかけというものがあっていいわけです。三番目は親自身ですよね、子育て支援というときに親自身の問題も入れる事もありますが。親が育つこと親として育つと言わなくても例えば30歳の女性として35歳の男性としていろいろやりたいことがある、それをどう支援するかということです。これは男性で特にサラリーマンであれば逆に家に早く帰れるようにするとか、土、日ちゃんと休めるようにするとか、育児休暇を一年とは言わなくても部分的に出すとかなんとかというのは一つあります。

今日はあまり父親の話をする気はないんですけども、それは当然ながら非常に大事な事なんですね。父親が子どもに関わる時間というのはこの10年間でどちらかと言えば増えてきています。一番大きいのは土曜休みが増えたんですね。仕事の種類や会社にもよるでしょうけど、90年代に土曜日完全に休む会社が非常に増えました。この4月から学校の先生たちも土曜日休みになりました。やっぱり土、日休みになりますと、たとえたまに仕事が入ったとしても子どもの接触時間が増える訳です。普段は忙しくても土、日は家にいる訳ですから、それからもう一つ結構大事なのは、通勤時間なんです。地方だとあまり感じないと思いますけど、首都圏のあたり通勤時間長いですから、場合によると2時間なんてざらなんですけど、当たり前ですけど家にいる時間短くなっちゃいますから、やっぱり接触時間減りますよね。子どもが寝る時間がどんどん遅くなってきています。これは日本社会全体が夜更かし型に変わったからですけど、特に90年代ですね。三歳未満の子どもですね。だいたい保育園とか幼稚園とか朝は決まっていますし、家庭にいる幼稚園に来る前の子の就眠時間が非常に遅くなってきています。例えば夜11時、12時が平気です、って朝寝坊してるだけですけど。それはどうしてかというと親に合わせているからです。お父さん10時頃に帰って子どもと遊ぶというような暮らしをやってる、少なくとも首都圏では。

話を戻しますが、父親が育児、家事に関われる時間をどうやって増やすかという課題はこっちにあるわけですが、それはちょっと置いといて、母親の問題で言えば、母親自身の子育てをどうやって助けるかと言う事と、もう一つは母親が30歳、40歳の女性として生きてる訳で、仕事を持っていたり持っていなかったり、或いは将来仕事をしたいと思ったり、趣味をしたいと思っていたりするわけで、それをどう支えるかということも大事な事になる。それも実は幼稚園、保育所の仕事の一つに多少なってきたということですよね。

例えば一時預かりとか言うような事でも、保育園、幼稚園でそういうチャンスを作るようになってきたとか、或いはこの辺はあまりベビーシッターは盛んではないかもしれませんが、ベビーシッターとかを使いながら、或いは一時預かりなどをしながら、趣味とか、学習活動をしていくとかいうことが増えてきている訳です。

ということでですね今子育て支援という問題と、保育そのものという両方を、保育所でも幼稚園でもやりましょうと変わってきた。このことは10年ぐらい前から言われてきてると思いますけれども、両方が大事だと言う事がやっとここ数年現場の先生方に伝わったんじゃないかという感じがしています。

それまではやっぱり子どもを保育する事は大事だ、それはそうですけど、それが仕事ですからね、子育て支援など余計な事だなという感覚はあったと思うんです。保護者に関わるとか、子育て相談とかそういうのは自分の時間が空いたらするけどもただでさえ忙しいんだからそれは他の人がやってくれとか、クラスをもっている保育士は一生懸命保育して保護者との関わりとか子育ては園長先生に任せようとか、そういう感覚が強かったと思いますけども、そうじゃなくて、子育て支援というのと、保育というのが両方が同じくらい大事なんだというふうにだんだん変わってきた。

じゃー具体的にそれをどうやっていくかということなんです。保育自体の中は今動いているんですけど、それは後でお話しするとして、子育て支援のほうを先に話すとして、その背景として、今の親にとって特に初めての子どもを育てるということがなかなか大変なんだと言う事を理解していく必要があるわけです。結局今の親になる人たち例えば、20幾つとか30ぐらいの人が子どもを育てるということを見聞きしていない訳です。小さい子どもに接する事がそもそも少ないかゼロかもしれない、これも少子化と言う事が背景にあるわけです。身の回りに小さい子どもがいない、最近は中学生、高校生が幼稚園、保育園に行って子ども接するとというのが家庭科とか総合的学習などでやり始めておりますけれども、それまではあまりなかったです。近所に子どももいないと言う中で初めて赤ちゃんを産んで、育てる訳ですけれども、妊娠中に母親学級その他がありまして赤ちゃんはこういうもんだよとビデオ見せたり人形触ったり、先生のお話や、看護士さんのお話を聞いたりいろいろするわけなんですけど、最近はテレビでも沢山映像を流してる訳ですけど、でもそうやっぱりなかなか難しいこともあります。

赤ちゃんには個性がありますから、個性というか性格の違いみたいなのがあるわけです。テレビの番組では子どもをトントンっとしたり、なにかリズムのあるものを聞かせるとすぐに寝てしまう事になってますけど、実際にはそうもいかないので、なかなか寝ない子は寝ないですよね。子どもは保育園にずーといると神経が太くなるんだろうと思いますけど、平気でね、さっきも見せていただきながらわれわれが無神経におしゃべりをしていても平気で子供は寝てますけども、家庭で育ってる場合にやっぱり神経質な子は神経質ですから、ちょっと声が聞こえたり自動車の音がするだけで目覚める子は目覚めちゃいますね。夜泣きするとか、夜泣きしてお母さんが抱っこしてもなかなか寝ないとか、私は女子大で教えてますから、時々卒業生と会ったりして話しを聞いたりしますけど、例えばうちの子は、夜中に起きちゃうと横にすると寝てくれないからずーっと抱っこして寝かしたとか、夜中に自動車に乗せて一周しないと駄目だとか、変な癖をつけちゃったというのもありますけどもやっぱりそう言う場合もありますよね。

そういうのは恐らくたまたま親が甘えさせすぎたと言うようなことももちろんありますけど、子どもの性格と言いますか気質みたいなもんで寝つきが悪い子は悪いです。これは因みに大人になって寝つきのいい人もいるしそうでない人もいますよね、大人で寝つきの悪い人というのは大体子どものころから寝つきが悪いものでありまして、寝つきの良い人は子どものころから大体寝つき良いんですよ。大人になって瞬間的に寝る人っていますよね、みんなで旅行したりすると分かりますけど、枕についた瞬間に寝てる人っているんだけれどそうじゃなくて、30分とか1時間とかかかる、寝る前に儀式みたいにね、本読むとか音楽聞くとか何かしないと眠れないとかね。枕替わると眠れない人とか多いですよね。そう言う人は多分、わかりませんけど。赤ちゃんのときにもそういう傾向があったとおもいます。ですから夜泣きするとか、抱き癖つくというのは子どもの個性だと思いますけど、ともかくそういうことで苦労する親はたくさんいますよね。

そうでないにしたっていろんなことがありますよね。例えば最近良く1.2歳の家で育てる場合ですけど1,2歳で良く育児相談で出てくるのは、昔からそうですけど、食が細いというのと、オムツが取れないというとがよくあるわけですけどね。あるいはご飯を食べさせている途中で遊んじゃうとか、いろいろあるわけです。食が細いと言うときに大体先生の回答は、細くたって死にはしませんとは書いてませんけど、はっきり言えばそういうことですよね。その子なりに食べているんだから気にしなくてもいいよと、栄養は取れるものですということなんですけど、それは本当だと思いますけど、親としてはやっぱり心配、どうもうちの子は体が小さいし風邪引きやすいしやっぱり栄養足りないんじゃないかって心配になりますよね。

オムツ取れるのも保育園なんかだどやっぱり保育士の先生達は上手だから上手く取ってくれていい訳ですけど、家庭にいるとこれがなかなか難しいです。最近幼稚園も3歳児からの保育が増えたわけですけど、3歳でオムツ取れてない子というのはたまにいるんですよね。幼稚園の先生はそういうのになれていなくて非常に困るようですけども、例えば幼稚園って普通シャワーないでしょ、お湯がでないんですよね、おしり汚れたときに綺麗にする事一つとっても面倒くさいんですよね。そういう条件から始まってオムツの取り方もお母さんなら別だけどなかなか慣れてませんから面倒くさいんですけど、それは別としても30人ぐらいいると一人オムツのある子がいたりするわけですけど、遅い子は遅い、紙おむつが出てきてから随分遅くなりましたからね。だけど早い子は早いんですよ。なぜかね。満1歳ぐらいで取れちゃう子もいなくもない。平均は2歳前後でしょうけどそうすると公園かなんかで話をしてるうちに、うちの子は1歳半で取れたんだよ、とか言うとなんか早く取れたほうが偉そうですからね、「うちの子は満2歳過ぎていてもうすぐ3歳なのに取れないな」とか悩んだりする。悩む方が良いか、悩まないほうがいいかそれも難しくて、満3歳になってオムツ取れてなくて悩まないお母さんも困るんですけどね。極端な話満4歳ぐらいになってもオムツ取れなくても平気なお母さんもいるのも驚きますけど、そういう人もいますが、悩まなさ過ぎも困るんですけど、悩み過ぎも困るとわけです。

ちょっとした事というのは大勢の子どもがいれば、遅い子も早い子もいるなと思うし、おばあちゃんとかいろいろいると「あんたのお父さんも遅かったのよ」なんとか、かんとか「すぐおもらししてね。」という話になってあーそーかなと思える訳でなんとなく落ち着いてきますけど、そうでないとなかなかわからない。

或いは言葉が遅いにしてもそうですよね。やっぱり何十人に一人か分かりませんけど、言葉が遅い場合に本当の障害を持っていることもあるわけですよね。そうかもしれないな、いやでも違うんじゃないかと思っているうちに2歳半ぐらいになったら言葉がだーっとでて、急に普通になる事もあるし、そうでないこともあるわけですよね。

私の知っているある子ども、やはり幼稚園だった子ども、もう小学校になってますけど。は最終的にはいわゆる最近良く出てくるADHDという多動の子どもという診断が下されましたけれど、幼稚園の時に見て多動だなと感じて、そういうことを先生達にも言ったんですけど、いろいろあったなかで親御さんと私は面談したんですけどね、子どもの様子を伝えるとか話すために、お母さんが言ってたのは、上の子の時にはそういうもんかなぁと思っていたんだけど、下の子が産まれたと上の子が4歳下の子が1歳半ぐらいかな?なったときに「ああ!やっぱり上の子変だ。」と初めてそこで分かったと言っていました。つまり二人並ぶと下の子は年齢よりいいぐらいに明るく元気で、上の子は言葉が遅くてもたもたして、また多動でと言う子で全然違う訳ですよね。ということで、幼稚園の先生が心配だなんだと言っていたことがなかなか納得してもらえなかったのが、問題かもしれないと言う事で医者にも行ってくれた訳です。だから本当に障害もありますので親も心配する訳ですよね。

それからそういう心配だけではなくて、子どもにどう接するか自体がよくわからないということがあります。実際子どもへの接し方が分からないというのがあります。まあ育児は半ば本能だから子どもと接していれば自然に覚えるというのは半分ぐらいは本当なんですけど、全部が本能じゃないです。やっぱり覚えていくものです。子どもがニッコリすれば親もニッコリするもんなんですけどね、親と言わなくたって私がそこを歩いていて子どもが寄ってきて引っ張るから「なあに?」って聞けばついニッコリしますよね。こっちがニッコリすれば子どももニッコリしてくれて、自然にやりとりが成り立つものなんですけど、ただ7,8割の親はそれでうまくいくものですけれど全員が全員そう上手く滑らかなやりとりのサイクルにうまく入れるとは限らない訳です。

それは親の持っている問題がありますよね。例えば小さい頃からいろいろあってなかなか可愛がるという経験、可愛がられると言う経験をあまりしてなくてそうすると、可愛がるということが良く分からないという人もたまにいます。そういうことはなくて普通なんだけど、例えば夫婦仲が悪くなっていつもイライラしていてとなればどうしたって子どもに当たったり、子どもが泣いていても面倒くさくなってしまいますよね。これもわりと多いとおもいます。そう多くはないけど時々はあります。

出産後の鬱というのは産後1か月からせいぜい6か月ぐらいまで、だいたい2,3,4か月ぐらいのときですけど、落ち込むというのは研究によってパーセントは10%ぐらいという人もいるし、30%ぐらいというひともいるけど、結構多い訳ですけど。それが少し長く続く場合もあります。そうすると鬱っぽい状態というのは応対がない訳ですよね、面倒くさいというのかな?子どもが少々泣いていてもすぐに行けないとか、自分が憂鬱ですから相手が微笑んでも、微笑み返す事ができないわけです。そうすると子どもの方だって微笑まなくなるし、声を出さなくなっちゃいます。

そういった親の問題もある訳ですけど、深刻なケースではなくてもどうもこうやり方が上手くわからない、子どもをどう躾て良いかわからないとか、子どもをどう抱っこしていいかわからないということもある訳ですよね。そうするとこういうのをなんとかしていく必要があります。

じゃ具体的に子育て支援というもの、そういう子育てについていろいろ悩みを抱えていたりどうしていいかわからない人たちをどうしたらいいか。もちろん障害児かどうか心配しているなら見てあげて伝えてあげて、どうしたらいいかという具体的なことをやれば良い訳ですが、子どもをどう育てて良いかわらないというのはなかなか難しいので、「やーそれは可愛がるんだよ」とか「ニッコリしてごらん」って言われて出来るくらいなら最初からやってるんで、それができないわけです。やっぱり具体的に見本を見ていく必要がある訳です。

じゃー見本はどこで見せたらいいの?親をここに呼んでここで見本を見せてと言ってもしょうがないです。ビデオ見せてもあまり変わりませんから。例えば親の小グループにして親と子がそろいながら何人かで一緒に遊ぶというような経験をするなかで、こんな風にするもんなんだというのがだんだん分かってきて、つまり他の親が子どもを可愛がる様子を眺めながら、段々段々段々そうだなぁと分かっていくとか、或いは自分の子どもを他の人が世話してるときに他の人に対してすごくいい顔をする、あっうちの子ってこんなにかわいいんだと初めて分かるとか、そういうこともある訳ですよね。そういう事を保健所とか公民館とか場合によっては病院とかグループでやったりするわけです。極端な人を集めただけじゃなくて、例えば保育所でも或いは最近は幼稚園でも3歳未満の子どもの母子を集めたクラスやグループを作ったりしますが保育所はもちろんいろんな年齢の子どもと親が来る訳ですけど、そういうなかで親子と子が一緒になる機会を増やしていく、或いは親が保育に見学するとか参観するとか最近は更に親が保育に参加する保育の手伝いをする自分の子どもとは限らなくてですね、クラスの面倒見るとか他の子どもの面倒見る機会を入れていくということもやり始めているわけですが、そういう経験を通しながら親が子どもを育てる事の細かい技術と言うよりは親が自信を持って子どもを育てられるとか、子どもを育てる事は楽しいんだなと思えるようにしていくとか、迷ったときにいつでも聞ける相手を作っておくんです。

悩む人って言う人は例えば地方から都会に出てきて孤立しているとか、もともと産まれ育った土地とは離れていて自分の親とは今連絡が付かないとかそういうことが多いですよね。そうすると自分の親にも相談できない、近所の人ともなかなか話せない、性格的にもなかなか堅くて公園に行ってすんなり話す事が出来ないような人は孤立しやすい訳で、相談とか大げさな事言わなくても、ちょっとした悩みを交換してるうちになんとなくあーそうかなと思えるようになる訳だからそういう機会を作るようにしていくそういう事が子育て支援ということになっていく訳です。

さてそれに対して保育自体の話も加えたいので、ちょっと話しておこうと思うんですけど、幼稚園、保育園の保育ですけど、最低基準と最高基準と言う言い方をしているんですが、最高基準というのはちょっとあんまりいい言い方ではないんですが最低基準というのは何かこれは例えば国や自治体の基準なんですね、例えば認可保育所なり幼稚園の基準というのがありますよね。これは最低基準なんです。つまりこれを満たしていないとまずいよと言ってる訳です。無認可って言ってもいろいろなレベルがあるので、本当にひどい所もあるし認可に近いレベルなりこうそれなりの基準を持っている所もあるんですけどもともかく最低基準としたら、保育室はこれくらいの広さあるとか、そこに遊具がいるんだとか0歳児クラスなら先生1人に対して子どもは3人までであるとかなんとかとこう定員だとか決まってますよね。それから先生の専門家としてのレベルとして資格を持っていなくてはいけないだとか、資格を持つためには日本の場合には今専門学校、短大、2年以上の学校をでるか、或いは試験で取んなきゃなんないですね。そういうような事は最低基準です。

その最低基準というのはそれより下回ると問題が出るというわけです。それはまずいぞと言う事なんだだからまず必要な事は最低基準をクリアすることなんです。ここにいらっしゃる方に言っても仕方がないんですけども、世の中には最低基準を割っている所が沢山ありますので、念のために言いますけどその無認可といってもピンからキリまであるので、ピンの良い方はちゃんとしてますけど、キリの方もなくもない、中には新聞で出るように赤ちゃんを虐待したり、殺したのか事故か分からないけれど死んじゃう場合もある訳で、困る訳です。本当にこう特に東京周辺には駅前保育所というのが沢山ありますけども駅前保育所もかなりしっかりして大体、庭はないけれど、大体普通の保育所なみの施設を持っている所もあるんですけど、そうではなくてまさにマンションの一室の中に何人かいるだけというところもあるみたいです。だから本当にピンからキリまであります。昨年度法律が通って無認可であっても子供を預かっている場合には行政に届け出て、行政の方が立ち入り検査をするということがやっと明確に決まりまして多少改善されるでしょうけど、しかし無認可というのはようするに基準がない、無いというと、もう少し言うと補助金が多少出る事によって自治体ごとに基準が少しあるんですけど。そういうのいらないよって言えばないんです。ですから悪い方の歯止めって子どもの生命に関わる所は行政はチェックしますけど、一応こうミルクも与えられているし殴られてもいないしというレベル以上の事は無認可については行政はチェックしない。しかしまあ子どもはミルク与えられて殴られなければ育つのか?というと違う訳ですから、でもそういうところがあるのだから、まず直さなくてはいけない。それは悲しい現実だけでありますね。

それに対してしかし大部分の認可された保育所及び幼稚園はそれはクリアされてるから認可されてる訳だから問題はその先にあります。実は子どもを育てる、教育するとか、育てるというのは最低であればいいわけじゃない、飢え死にしなけりゃ人間いいってことじゃないです。やっぱり文化を持った人として育たなくてはいけない、人を愛する人として育てなくちゃいけないわけで、そうすると高い水準を目指すと言う事になります。

じゃ高い水準を目指すのはどうしたら良いか、高い水準と言ったって、どんどんどんどん要求は上がっていきますから、そういう事で言えばどの幼稚園だって保育園だって100点のところはないです。必ず改善の余地はある。この保育園はすばらしい所ですけど、ここだって多分改善の余地は沢山あります。特に出来たばかりですもんね、庭なんかはまだまだこれから整備しなくてはいけないと思いますけども、そうじゃなくて有名な保育園だろうと幼稚園だろうと改善の余地はいろいろあるわけです。

そのときにじゃー、やっぱりどういうことまでいけばいいのかという、理想とはいわなくてもいいんですけども、このへんにいったほうがいいんじゃないかということを持っていないとなかなか改善できません。だからある程度世の中理想論というのは必要です。ああいう所にいきたいなと思わないと、現状が見えない、つまり保育の恐ろしい所と言うかいい所でもあるんですけど、とにかく子どもを預かっている訳ですよね。親は朝送りにきて、夕方迎えにきますよね。その間親は見てないわけです。見てないからと言って悪い事するわけじゃないけどね。でも不安だって言うのでインターネットで映像で送ろうというシステムがあるけどあんまりあれは日本で普及するとは思わないんですけど、だから悪いことしてる訳じゃないけどまあより良くなってるかということですね。その時に何となく子ども預かってるし、元気良くやってるし子どももニコニコしてるし、よく食べたり飲んだりしてるしいいじゃないって言う訳にはいかない。それは100点満点、保育に点数を付けるものではないけれどただ、大学の点数で言えば60点が優良可、大学の成績で60点ならいいかとそういう問題ではないんですね。やっぱり80点、90点目指すべきでしょ!

1-4へ続く…

第1回子育てひろば21委員会講演会 演目「保育と子育て支援の今後」1-2

それとともにここ数年ですけれども4,5年ですかね、幼稚園と保育所を更につなげていこうといわゆる連携といいますか、統合といいますかそういう動きが活発になりました。これは、ひとつは幼稚園と保育所はまあ幼児教育として共通の部分があるんだから、やっぱりなるべく一緒にやったほうがいいんじゃないかということで、数年前に施設はなるべく一緒に使えるものは使いなさいという通達というのがでました。それが一つのきっかけですし、それから鳥取県あるいは米子市の事情は良く知りませんけれども、全国的に言えば幼稚園教育要領が数年前に改訂されたときのいろんな講習会(説明会)がありますが、そのあたりから幼稚園教育要領の講習会に保育所の保育士が入れるようにするとか、逆に保育所の講習に幼稚園の先生が入れるようにするとかいうことで、なるべく講習会も一緒にやりましょうというふうになりまして、これはほぼ全国的に定着してきたように思います。更に米子市の事情ではなくて、全国的な事情ですけども、行政側でいっても今は幼稚園の免許と保育士の資格の両方取れるというふうにする所が、ほとんどになってきましたし、それから特に昨年度13年度、本年度当たり幼稚園と保育所を兼ねるような施設というものを作る市町村が増えてきているというか出始めているというふうになってきました。

その一方で幼稚園の方もかなり変化しつつある訳でつまり幼稚園と保育所というのは一方保育所は保育に欠ける幼稚園の方はそうじゃなくて幼児教育であるということだった訳ですけれども、世の中の変化に伴って幼稚園に子どもを入れる層と、保育所に子どもを入れる層との間の人たちが非常に増えてきた訳です。ただ、先ほどお聞きしたら鳥取県米子市はもともと共働きが多くて保育所のニーズが高いそうなので、ちょっと違うかもしれませんが他で言えばですけれども、一つは幼稚園の保育を長くしていく動き或いは、預かり保育というような形で一部の子どもについて夕方まで預かると言う事が増えてきていて、ほぼ今全国的に預かり保育を大部分っていうのは言い過ぎかな?半分以上はだと思いますけど、預かり保育をなんらかの形でやるようになりました。それから一部の幼稚園は保育時間をかなり長くしてきて2時とか3時とか4時とかという形も増えてきていると思うんです。

その一方で保育園の方はこれは先生方ご存じのようなことで、いわゆる保育に欠けるというような意味での補助金がでる以外の人たちについても保育所、定員が余ってたらでしょうけど、保育所に子どもを預ける事を認めていくとかということがでて参りましたし、更に保育所に入れないで待機していることが多い場合にいわゆる認可保育所の基準を満たさなくてもそれを積極的に国が或いは自治体が幾分かの援助をして、子どもを預かれるようにしようと言う動きもいわゆるエンゼルプランが始まって以来活発化して、特にこれも昨年度から本年度ですが、全国的におそらく急激的に広がっていくと思う訳です。

そういう具合にして、結果的にいろんな動きがあってめまぐるしいですけど、今どうなったかというと、或いはどうなろうとしているかというと、基本的には乳幼児を持っている親が自分の子どもを何時間か預けたいという時にその何時間か預けたいなら預ける事ができるという方向に持っていってる訳です。もちろん問題は保育料が幾らかかるかで、お金さえあれば今だって好きなだけ預けるなり、ベビーシッターを雇えばいい訳ですけど、それが安くいくかどうかまた複雑な問題がありますが、少なくともある人が4時間預けたい5時間預けたい10時間預けたい、12時間預けたいということがもちろんしかるべき事情があればですけど認められるようになりつつあるというふうになってきているわけです。

そういう形の変化の中でこれから幼稚園、保育所がどうなるのかこれはちょっと分かりませんけれども、日本の国としては少なくともそういう形を推進しつつあります。なぜそういう風に子どもを預けるということを重視するようになったかなんですけど、その理由はですね。大きく言うと2つあるんですが、突き詰めていくと一つですけど大きくいうと2つぐらいあると思うんですが、突き詰めると何が問題か。

国レベルで言うとですけど、一番根本は少子化って言う事なんです。子どもが少なくなる国としては、国だけじゃなく日本社会としてはもっと子どもを生んで欲しいわけです。今最近の数字では、合計特殊出生率と言いますけど、結婚した夫婦が生む子どもの数ですけど、平均的に1.3いくつですけど、これこのままいくと、数十年2050年ぐらいでしたかね、日本の人口がかなり半分までいかないかな?より減ってしまう訳で、まあそれでいいんだという立場もあるとは思いますけれど、日本の社会がかなり力を失うかもしれないという危機意識を持っています。なんとか子どもを産んで欲しいんですね。私の商売は子どもですから、商売というのもなんですけど、研究相手はね。私も子どもをたくさん産んで欲しいと願ってますけど、そういう個人的な話じゃなくて国としてそういうことを大々的に考えてるんですけど、ところがもうその話は10年以上前からそうですけど、いろんな手を打ってるけどまったく効果ないわけです。1.56というのが騒がれたのは10年ぐらい前だと思います。瞬く間に1.3幾つになりました。今思うと1.56あればすごくいい事だったのですね。まだよかったのですけどね。だから日本の不景気と同じで、あのころ不景気といったけど今思えばまだましだったという感じですが、それと同じです。

じゃーどうしたらいいだろうかなんですけどそれはなぜ子どもを生んでくれないかと言う分析ですよね。色々あるんですけど一番大きな理由は結婚年齢が遅くなったということです。2番目の理由は結婚してもなかなか子どもを産んでくれないってことです。だいたい二人か三人は産むものなのですけど。最近一人っ子が増え始めておりますが、一番大きな例はそういう訳で結婚年齢が遅いそれから子どもを・・・できちゃった結婚もありますけどなかなか子どもを産んでくれないということがあります。

じゃなぜ遅いんだろうかなんですけど、それはまあ若い女性のみなさんここいる人に聞けば分かるんですけどね。簡単に言えば子育ての負担が大き過ぎるということだろう、そういうとですね年輩の人間は私ぐらいを含めたところの人間はですけど子育ては大変にきまってるというか、今は楽じゃないのとかね、オムツも紙オムツだしとか、昔はオムツはうちで洗濯したものよ、とかそういうふうに年寄りは言うんですけどね。私ぐらいも含めてね。それはそうだけど、今の若い人は昔の事知らないのだからね、昔と比べて楽だと言われても全然実感はないんで今の人は何で比べるか、独身の若い女性と自分を比べるんですよね当然ながら。独身のOLの時に好き勝手に海外旅行に行けたとカラオケにも行ったし、ちょっと勉強しに講演会にも行けたという私が結婚して子どもを産んだら5年間ファミリーレストラン以外行った事がないとかそういう風になる。口を利いた男性は旦那以外にはいなくて後は幼稚園が一緒のお母さんだけになってるとか、そういう暮らしに満足できる人ももちろんたくさんいるんだけど辛い人は辛い訳ですよね。カラオケする自由を与えろと言っている訳ではないですし、お母さんに遊ばせろと言っている訳でもないのだけど、一つは若い女性の(20,30代)人たちが育児に専念できる人たちもいるけれどやっぱりそれぞれのやりがい生き甲斐持ってる訳で、ある人達は仕事であり、ある人達は趣味かもしれないし、ある人はまた別な活動かもしれないけれど、そういうことを可能にしていかないとまずいだろうとこれがまあ厚生労働省なんかが言ってる理屈であります。それもそうではないかなということが一つありますね。

それからもうひとつはですね、国際比較してもそうなんですけど、日本の場合に育児の負担が、女性側に非常に高いです。夫と妻、父親と母親ですね。例えば共働きの場合の育児家事の負担って言うのは国際比較すると日本はダントツに女性が高いです。夫の家事育児をする時間数って言うのは国際比較の中で非常に小さいです。そうすると結婚する前、子どもを産む前の女性としては結婚すると損をする、いや、好きな人といつも一緒にいられて幸せ、自分の子どもを持てて幸せというのと、おさんどんしなくてはいけないと言うのと、比べる訳ですよね。最近の女性はこういっちゃなんですけど、好きな人のためにご飯毎日作りたいと思わない。思う人も少しはいるかもしれないけど、あんまり思わない。好きな恋人と毎日ご飯を食べに行くならいいけど、作るんじゃーっていうとこだと思うんです。たまに料理が趣味の人もいるでしょうけど、非常に少ない。作るなら一緒に作りたいこういう風になると思うんですけど。そういう意味では日本は別に男女不平等だとは思いませんけど、育児、家事負担が圧倒的に偏っているというのも確かです。今だって男性が結婚したいって言う時に正直な気持ち言うとね、毎日外食で飽きたし、綺麗な部屋で暮らしたいしと正直なこと言いますもんね。そいうことを男性が平気で言う間はなかなかね少子化は解消されない訳です。

なんとかしていかなきゃならないんですけど、ということがひとつ背景にあってそれで小泉さんも首相もですね、待機児童解消とか国の施策にして保育所を増やせということをいいだして巨額の予算が出てきている訳です。今国の行政の解説をしに来ている訳ではないので、そういうのはどうでもいいし、少子化なんて事にはどっちでもいいんですけど。もう少し親の立場で言えば、つまり例えば特に母親ですけど、母親にとって育児と言う事自体が楽しくないといけない、やり甲斐のあるもちろん苦労もあるけどもね。でも一生涯を通せばやっぱり仕事っていうことが大事になってくる。一生涯を通せばって言うのは今専業主婦で専業母親で子どもを幼稚園に預けてるそういう人であってもどっかでは働きたいんですよね。職場復帰するなり新しい仕事するなりボランティアでもいいんですけど、なんかしたい。ただ一生涯通して見ればやはり子育てだけにはいかない。実際、子ども二人ぐらい育て上げたってそれを育てあげるのを何歳にするかにもよるのだけれども、まあよっぽどの教育ママでない限り子どもが高校ぐらいまで行けばだいたい子育てはかなり楽になってますよね普通はね。で自分はと言ったら、例えば40歳ぐらい45歳かもしれないですけど、45歳の人って言うのは若い人から見るとずいぶん年齢上と思うでしょうけど女性の平均年齢平均寿命ていうのは80幾つですから、人生の半分が残ってる訳ですよ。45歳にして子育てが終わって人生の半分が残ってお金がふんだんにあれば遊び歩くでいいのでしょうけどそいうこともないので、どうするか。

パートかなんかするんですけどね。パートしてスーパーのレジ打つとこの辺の時給は知りませんけど、東京付近で見るとスーパーのコンビニのレジで昼間1時間750円とかね。680円とかね。800円いけばいい方ですよね。もちろんそれで御の字の人もいるんですけど、例えば私は4年生大学出て会社でいろいろバリバリ働いてそれでもまあ出産で退職、結婚で退職して40になってそういうキャリアは10何年前だから生かされない訳ですよ。それなのに時給700円?という感じはあって、クラス会にいって見ると働いてずーっとやってる人たちが今度課長になっただとか、夫婦で海外旅行に行くだのと言われると悲しくなりますよね。悲しくても元気でもそれはどうでもいいけれど、とにかく別に仕事やらなくてもいいだけど、40何年どう生きるか大問題で、収入だけの問題じゃないですよね。趣味を持って楽しく生きられればそれはそれでいいんだけど、やっぱり何かしたい訳ですね。そうするとつまりそういう人たちにとってどうしていくかっていうのがあるし、もちろん働いている人たちにとってもなんとか育児することと働くと言う事とうまく両立して、ただ両立すればいい訳じゃなくてそれぞれを楽しく或いはやり甲斐を持ってやれるようにしなくてはいけないですね。

やっぱり子育てっていうのは楽しいものであるし、仕事も大変だけれどやり甲斐のあるものはずですよね。それが例えば共働きにしても毎日朝子どもをポンって置いていって帰りに仕事が長引いてハラハラしながら途中で「ごめん」とかいって飛び出してぎりぎりのところで子どもを保育園からもらって途中でスーパーで買い物して帰って、ご飯作って、作ってる間子ども面倒見られないから子どもがぎゃーぎゃーしてるんでしょうがないからスナック菓子かなにか与えて食べて風呂入ってそしたらもう寝る時間で寝て、それで起きて寝坊しちゃったそれでまたあわてて保育園に行ってと言うの繰り返してるとイヤになっちゃう訳ですよね。そういう中で育児の楽しみと仕事のやり甲斐と本当に両立してるとそれは一見共働きとして仕事と育児とりっぱに両立させてるように見えてるけれど、疲れ果てているかもしれませんよね。

私は、因みに家内も働いてましたけど、そういう話をすると思い出しますよね。うちで預けていたのも6時までなんですよね、預かる時間が、そうすると5時に終わって飛び出して、間に合わないんですよ。実はそのころの家内の職場とスクールっていうのはちょうど1時間かな?ていうことは5時にぎりぎり飛び出して間に合うんだけど、危ない訳ですよね。ちょっと電話が入ればもうダメですよね。私は大学ですから早く帰れるときと遅いときとあるので何とかなるし、ダメなときは誰かに頼むんですけど、でもまあ予定外に遅くなったりして、その園では遅くまでのひとは数名で、パートの人が多かったせいもあって5時過ぎにはみんな迎えに来てしまうんで、6時に迎えに行くと暗くなっているんですよ。園長さんは鍵を閉める寸前で子ども連れて待ってる訳です。渡した瞬間に鍵締めて園長さんでるわけですけどね。別に園長さんを非難している訳ではなくて厳密な勤務時間で残業させられないからしょうがないんですけれど、すごい悲しい気分ですね。だから我が家が嫌だったという話ではないんですけども、例えばそういう事もありますよね。

或いは、こちらの園は病児保育と言うんですか?なさってる訳だけれど、先ほど見せて頂きましたけれど、やっぱり思い出すのはうちの二人いますけどもね、下の子どもが産休あけで無認可に預けて、体が弱かったというかそんなに弱くもないんですけどでもなぜか風邪引いて、風邪引いたらすぐ肺炎になって2回入院したんです。6か月ぐらいまでに2回1週間づつ入院したんですけども、そうするとちょっとめげる訳ですよね。しかも付き添うから有給休暇消えちゃうんですよね。有給休暇が限度が来て、もちろんそれでも休めるんだけど、ボーナスが減るだけですけど、女房の母親にも手伝ってもらうにしてもぎりぎりなるわけですよね。どうももう一回預けたら多分病気になるかもしれません、もう辞めるか、それともどうするかということになって、うちの女房は一度辞めると決意して、大学の指導の先生に話しに行ったら辞めない方がいいんじゃないかといろいろ言われて結局辞めなくて、その代わりベビーシッターを雇いまして、女房の母親に頼む日と、ベビーシッターに頼む日と作って2歳ぐらいまでそうしたんです。ベビーシッター代が月に10何万かかりましたね。安月給だからそれにしても20万以上はあったでしょうけど、ほとんどが消えるということで何をやっていたのかと思います。でもおかげで今も働いてますから、あそこで辞めていたら2度と常勤職はだめだったでしょうね。

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第1回子育てひろば21委員会講演会

演題 「保育と子育て支援の今後」

平成14年4月13日(土曜日)

お茶の水女子大学子どもの発達研究センター教授
無藤 隆 先生


講師プロフィール

無藤 隆(むとう たかし)
お茶の水女子大学子どもの発達研究センター教授

委員等

平成元年12月 日本発達心理学会理事(~現在)
平成 4年12月 日本生活科・総合的学習教育学会常任理事(~現在)
平成 6年 4月 文部省・教育研究開発評価協力者(~現在)
平成 8年 8月 文部省・教育課程審議会委員(~平成10年8月)
平成 9年11月 日本乳幼児教育学会常任理事(~現在)
平成12年 5月 文部省・教育課程審議会専門調査員(~平成12年12月)
平成12年2月 文部省・幼児教育の振興に関する調査協力会合協力者 (~平成13年3月)

主な著書・編著
単著 赤ん坊から見た世界 講談社現代新書